【花一輪・恋の笹舟(八)】
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「是故空中無色 無受想行識」
順心は備前長船の慈眼院に立ち寄った。天平勝宝年間の創建と伝えられる古刹である。現在は真言宗高野山派に属し、本尊は阿弥陀如来である。備前長船は古くから長船鍛冶の本元、その菩提寺でもあった。
山門に立ち入りてこの旅の恙なきを念じた。その時はまだ春禰尼が袂に入れて走り去った結び文は開いてはいなかった。
次に大滝山福生寺、瀬戸内三十三箇所十番札所である。開基は鑑真和尚である。天平勝宝6年(754年)創建と標されている。老院主が四国松山から丹波篠山に出てきた時もこの寺に立ち寄ったと聞かされていた。大日如来、十一面千手観音に経を手向けた後、順心は境内でしばしの休息をとった。周りの燃えるような紅葉に、おのが体を染め上げられる感じがした。
そしてその日のうちに讃岐、高松の地に足を踏み入れている。僧としては初めての四国路である。これから順心は観音寺を通り善通寺、新居浜、西条、今治を経て伊予松山へと向かうのである。
順心の故郷は、徳島県の美馬郡である。そこは母の里でもあった。この西国の旅が終わりを迎えるころには、何としても母の眠る地を訪ね、墓に詣でようと心に決めていた。
こうして旅の空の下に起居する時、夢の中にいつも優しかった母の姿があった。その母は順心が中学に入った年、急な病を得て突然彼の前からいなくなってしまった。
悲しみの日々を経た少年は、叔父の薦めで丹波篠山の地に修行奉公に出されたのである。それは順心14才の春の事であった。
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