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【庵主の草枕・夢旅日記(八)】
展望大浴場は一枚ガラスの内側より下界全望が眺められるような設計でありました。よく暖まるまことに結構な風呂を出た私は、夕食を食べるべく館内割烹『若狭』に出向きました。
食の楽しみは、『若狭ふぐと越前カニ』のフルコース。一人で来るにはちょっと贅沢と言うもの。とは言え、一緒に来る人がいないとなれば、やんぬるかなであります。ただ私に付いてくれたウエイトレスの方が若くて美人だったのは嬉しい事ではありました。
色白で、ちょっと小柄でふっくら美人。まさにここの温泉にいつも入っている女性の証明でもありました。お酒を進めても決して口にしません。仕事中の飲酒は御法度だそうで。う〜ん、残念!!
最上階に海上遥か彼方まで見渡せる素晴らしいナイトクラブがあるのです。その一席に深々と座り、静かな中で夜景を楽しむことにしました。
敦賀湾を行く漁船の灯が細い光の筋となって、遠くの波間に見え隠れしています。敦賀半島から、武生市あたりまでチラチラと町の灯りが明滅しているのを見る事ができるのです。
今宵は私にとっては珍しく、コニャックなどを飲んでいます、この雰囲気の中では、酒や焼酎はどうも場違いのような気がして、そうなっただけです。今夜は客が比較的少ないように感じました。
私の席から少し離れたところで、テーブルライトに浮かび上がる一人の女性。彼女もブランデーグラスを傾けている。細い指の間にロングサイズのイブサンローランの煙が揺れています。一人旅でしょうか?傷心の流れ旅にでたうら若き女性一人なのでしょうか。北陸路の早春の夜をどんな気持ちで過ごしているのかと、勝手に想像を巡らせています。明日はまた、風に押されて北へ流れるのでしょうか。とりとめのない推測が夜のラウンジの薄明かりの中で、ひときはイメージアップされてくるのでした。
そういう私も『草枕・夢旅』の身であります。男と女の違いはあっても同じ事でありましょう。人生の出会いは、まさにバイチャンス(偶然)の成り行き次第だとも言えるのです。あの時思い切って掛けた一声が、今、共に老後をおくる二人になる事だってあるのです。
そんな幻想に駆られながら、優しく縺れた時間が流れて行くのです。ふと我に返った時そこには、さっきまでいたはずの女性の姿がなかったのです。席を立つ気配もありませんでした。私の横を通らずに出て行く事は出来ないはずです。
不思議だ・・・。私が見ていたのは『夢・幻』だったのでしょうか?彼女の座っていた席に、人のいた気配すらないのです。人生とはまさしくそんなものなんだと自分に言い聞かせて再び夜の湾内に目を転じました。
大きな一枚ガラスの中に一人の女性が浮かんでいるのが見えています。先ほどの女性ではありません。ああ、その人こそ私の永遠の恋人『祇乃』の姿か、それとも菜の花畑に消えていった『菜々子』の後ろ姿なのでしょうか?若狭路、敦賀の夜は忘れられない思い出を残しながら、濃密な時を刻んで、夜の静寂の中に溶け込んで行くのでした。
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