花一輪・恋の笹舟(十八)
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「慧阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅蜜多」
久しぶりに訪れた寂夢庵にはもう冬が支配していた。木々の葉は散ってしまい、小さな手水鉢の中にも紅葉の葉やら、ドングリなどが沈んでいる。そこに映った空の色もどちらかというと、鉛のような鈍さだ。
順心はそっと枝折り戸を押した。そして小さく言った。『春禰尼様、順心にございます。おいででございましょうか』しばらくそのままで待った。奥から人の動く気配がする。電気もなにもない、薄暗い部屋の中がことさら冷たく感じられた。
『はい、ちょっとお待ち下さいませ。今まいりましょう』春禰尼の落ち着いた、それでいて凛とした声が戻ってきた。順心は胸の騒ぐのを覚えた。手にしっかりと持ってきた、伊予絣の包みをぐっと胸に抱いた。心臓の音が聞こえるように感じられる。
胸の動悸が紺の作務衣の温もりの中に溶け込んで行くのをじっと目を閉じて聴いていた。灯明のあかりが序々に光を増して、障子から襖にうつっている。あの時、村はずれの大きな木の傍で別れてより、もう一ケ月が経過していた。尼の走り去って行く姿が今もはっきりと目の奥に残っている。
春禰尼の姿は、少し痩せたかとも感じられたが、それは蝋燭(ろうそく)の灯りのなせるわざであった。襖に映った影がそう見えさせたのである。順心はまるで息をしていないかのようにじっと土間に立っている。春禰尼は、粗末な畳に手をついて順心に深く礼をした。そして顔を上げた。花の顔(かんばせ)という言葉があるが、それはたとえようもない美しさだった。
日々の行の中で浄められたその心の中から、目映いばかりの美しさが湧き出ているのだろうと思った。順心は長い間の留守を侘び、自分が不在の間、村人達の恙なきことに礼を言った。春禰尼はそっと坊に座布団をすすめた。
道中のことや、伊予松山の厳修山・真言宗、永聖寺の様子を一通り話した。順心の言葉にその都度頷きながら春禰尼は目を輝かせて聴いてくれた。それはまるで少女が見せる好奇心そのものの様であった。
順心は身も心も、尼の瞳の奥深くに吸い込まれて行くのではないかとさえ思えたのである。この不思議な感情は、生まれて初めて彼が体験したことでもあった。
一切の規範に触れることもなく、自由にその麗しい感情に浸れる時代が人間の一生には万人に等しく与えられているのですから、その時代をいかんなく有効に活用できたら、人の一生は素晴らしいものになるでしょう。
返信削除小川 洋帆 様
返信削除お早うございます。素晴らしいコメント感謝いたします。自由闊達な人生が万人に与えられていることこそ、本来のあるべき姿でしょうね。それを信じて日々生きて行きたいと思っています。 有り難うございました。