2013年11月30日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・黒姫山の朝景色 <標高 811 m >

夜中に降った雪が 10センチほど積もっています新鮮そのものの空気を胸いっぱいに吸い込んで いつものルートを歩いて行きます




東の森の中があかく染まり始めました ゆっくりと動物の足跡でも探しに出かけましょう
早速 野ウサギの足跡がみつかりました



この子は夜中に→の方向に走って行ったのでしょう 前の大きい ふたつの足跡が後ろ足です うしろの縦にふたつ並んでいるのが前足です 前足が先に雪面に着いて そのあと後ろ足が かき込むように着地して跳躍しながら走って行くのです

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2013年11月29日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 810 m >



花一輪・恋の笹舟(二十九)

苦諦(くたい)・怨憎会苦(おんぞうえく)

雪の夜とはいえ尼寺に男と二人だけで過ごす事は、春禰尼にとっては考えてもみなかった事に違いありません。しかしこのまま順心を大雪の谷間に帰すのは、まさに永遠の別れに繋がるかも知れない。その二つの相反する心と気持ちが尼の胸中を去来していました。



その時、春禰尼は「夜とぎ」ならそれは許されるのではないかと思ったのです。だから先程、順心にそう願い出たのでした。順心も尼が一緒に「夜とぎ(通夜)」をしてほしいと言った言葉をそのまま受け止めはしたのでしたが、はてここに通夜をする死人(しびと)がいる様には思えなかったのです。



『尼様、通夜と申されてもお亡くなりになった方はどこに・・・』尼は順心の目を思慮深い眼差しで見つめてこう言います。『その死人(しびと)はわたくしでございます』『尼様、今なんと申されました。死人が尼様ですと・・・?』


『さようでございます。順心様にこの尼の骸(むくろ)を浄めて頂きたいのです』そう言いながら、か細い右の手を畳について尼は身体を震わせて嗚咽(おえつ)したのでした。順心は尼の前に膝を進めました。そして尼の背中にそっと手をあてて、優しく撫でました。そこには男と女の隔たりはもうありません。人間と人間の命の響きあいが、夜の静寂(しじま)の中で、秘められた、時の織布を紡いでいるのでした。

春禰尼はそっと身体を起こすと、着物の袖を目尻にあてました。そして静かにゆっくりと話し出したのです。それは順心がいつも尼を思うとき、どうしても解き得なかった尼の半生でした。

降り続く雪がこの寂夢庵を包み込んで、俗なる世界からまるで遊離しているかのようなまことに不思議な夜でございました。


★  ★  ☆
【庵主よりの一言】

苦諦(くたい)・怨憎会苦(おんぞうえく)

憎みあいつつ生きる苦しみ

 むさぼるなかれ 争いを好むなかれ 愛欲に溺るるなかれ
 よく黙想し 放逸ならざれば 必ず 心の安らぎを得ん

 (法句経 二七)

私たちは、別れたくもない愛する人と別れなければならない「愛別離苦」を味わう反面、別れたくても別れられず、憎しみ怨(うら)みあいつつ、生をともにしなければならないときもあるのです。これが怨憎会苦(おんぞうえく)です。

「愛憎」、愛と憎しみとは表裏一体です。「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉があるようにです。こんな人間の醜い一面を「よく黙想し 放逸ならざれば 必ず 心の安らぎを得ん」、目をつぶらず、よく見つめようと法句経は教えているのです。

これらの厳しい人生の現実を回避せず、その奥に有る人間の本来の姿(実相)を諦観する行こそ『座禅』であり『神想観』ではないでしょうか。

2013年11月28日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・リーフノベルス <標高 809 m >

【水底の鎮魂歌】(みなそこのレクイエム)

『親爺がよ吸っちょったタバコを消してな、一つ頷いて、こう言うた』『直衛、お前この淵に潜れるかや?』『親爺、なに言うとるんぜよ、ワシは今までここいらの川の淵や渕には殆ど入っちゅうがよ』。

『そう言うがな、ここはいつもの場所とは違うんじゃ、
そうたやすうはないぜよ』『なして?』『それはな、ほらそこの早瀬から一気に5メートル以上も垂直に落ち込んじゅうからじゃ』。『そう言うてな、白波を立てて流れ下る荒瀬を、タバコのヤニで黄色うなった指で差して見せたわけよ』。

聞いている男達も、今は酒を飲んでいる者は誰もいない。じっと爺の方を凝視している。爺がキセルを取りだして一服つけた。紫煙が、か細く尾を引いて庭先に流れて消えて行く。

『この底はな、あの崖の縁(ふち)が川底についている辺りで、水が地底に抜けとると言われちゅう。じゃで、吸い込んだ物はなかなか浮かび上がって来んちゅうが訳よ』『ほな親爺、この淵には誰れっちゃ潜れんちゅうことか?』『そうじゃ、並の素潜りの手ではまず上がって来れんじゃろう』。

『ワシはその時、正直言うて恐ろしかった。5メーター以上の深さ、水が下に抜けて行く、こりゃ無理じゃと正直思うたに変わらん』。

その時、森岡岳人が言った。『爺、そんな淵でも潜って行ける道筋はあると思うがの』『そうじゃ、ワシもそれを考えておった。そこでまず川に飛び込んで上から探ってみた。そいでの、徐々に深みへ入っていった訳よ。3メートルほどで日の光が薄うなってきた、そこで一度水面に出て懐中(ライト)を持ってまた下りて行った』

5メートルほど潜ったところで何か白い物が崖の傍に見えたな。光を当ててじっと見た、それはなんと人間の骨じゃった。それも何体も折り重なるように沈んでいたのじゃ。ワシはすぐさま浮上してよ、親爺にそのおぞましい川底の様子を告げた』。そう話した後、直衛爺は胡座を正座に変えた。連れて回りのみんなも同じく姿勢を正した。

『親爺はその間、舟の上で般若心経を唱えちょった。その水底に眠る遺骸に経を手向けていたのじゃ。そこに眠っているかも知れん母の遺骨にせめてもの供養じゃと思っている様ざったな〜。ワシはもう一度慎重に潜っていて、それらの遺骨に手を合わせた。とその時じゃった!』

直衛爺が突然大きな声を上げたものだから、みんな驚いて腰を浮かした者もいた。庭先で聞いていた子ども達も驚きの声を上げてしゃがみ込んだ。爺はまた静かな口調に戻って話を続ける。

『その時ワシの目の前に現れたのは、なんと2メーターほどもある巨大な黒い鯉じゃ、大きな目でワシをじっと見ておる。その鱗(うろこ)は、わが手の平ばあった。そして奴はその折り重なった遺骸の周りを悠然と泳いでいる。その光景はまっこと、見た者しか分からない凄かものじゃったで』

ふっと、一息ついて爺はまた胡座(あぐら)に戻った。そして最後にこんな風に話してくれた。

『ワシがあの深淵の底で見たものは決して夢幻じゃねえ。あの巨大な鯉は、亡き哀しみの人々を鎮(まも)る、神、仏の使いじゃと今も信じちゅうよ。もう今は誰もあの墓淵に入っていける者はおらんじゃろうて』。ここに集まった男達8人は一様に頷いた。

その時たったひとり、庭先でじっと拳(こぶし)を握って瞳を輝かせていた男の子がいたのには、誰も気付かなかったのである。

【庵主の短編読み物(リーフノベルス)より】最後までお読み下さり有り難うございます。またこのような短編読み物もアップさせていただきます。宜しくお願い致します。