花一輪・恋の笹舟(二十七)
苦諦(くたい)・死苦(しく)
『もし宜しければ、むさいところではございますが、お上がりになられませぬか?』土間はやはり冷える、順心一人ならそれほどでもないが、尼にとっては冷えは禁物。足腰が少し弱っておられると、喜一から聞かされていた。
『では遠慮無くそうさせて頂きましょう』順心は尼に続いて寂夢庵の座敷に上がった。冷たい空気の中に、微かに香の匂いが感じられる。
小さな部屋に案内された。そこには灯明(あかり)が一つ点されている。お厨子が正面に安置されていて、いましも春禰尼が経を手向けていた気配が残っていた。
早春の野草が生けられてある。それ以外はなにもない、まさに尼の侘び住まいである。今までにここに来た者はまずいないのではないだろうか。ましていかに僧だとはいえ、男たる者が・・・。
懐に入れてあった手甲脚絆を取りだして、順心はそれを膝の上に置いた。そして尼を見て深く頭を下げた。春禰尼は手を上げて口元を覆った。笑みが頬に浮かんでいる。そして『わたくしこそ伊予絣を頂戴し有り難く思っております』と順心が頭を上げるのと入れ替わりに礼を言った。
正面に安置されている、如来像が行灯の薄明かりの中で冷気を纏って揺れている。ここも夜が更けてくるとその寒さたるや尋常ではない。順心も同じ様な生活をしているのでその苦労は充分判っている。
『尼様、お御足の具合は如何でございますか?』そっと尋ねてみる。『ご心配頂き有り難うございます。やはり冬の寒さはちょっと・・・』尼はまた手を口元にあてて、恥ずかしげに答えた。
この紅葉谷、寂夢庵は山の奥、特に谷の底に位置している。川の水の冷たさも加わって、順心の守る久遠実相寺より底冷えがするのである。
部屋の隅に小さな炉が切ってある。鉄瓶が掛けられて、細い湯気がたっているのが見える。これがたった一つの暖かさであろう。春禰尼が時折、茶を嗜(たしな)んでいるのだろう。
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【庵主よりの一言】
苦諦(くたい)・死苦(しく)
「子たりとも 父たりとも 縁者たりとも 死に迫られしわれを すくうこと 能わず」(法句経
二八八)
生とはなにか、死とはなにかということを、普段から明らかに見て・確認をしておくことは、心の安らぎを得る最も大切なことなのです。
昔読んだ書物にこんな言葉がありました。今でも覚えていますから、よほど印象深かったのでしょう。それは【聖人は生死を生死にまかす】。それではまた、ご機嫌宜しゅう。
生あるものが自然の状態で従容として死んで行くときは、極楽の世界が意識の中に浮かんできて恍惚とした一瞬を得た状態て死んで行く、と聴きました。死に逆らわず従容として死んで行ける境地になりたいですね。
返信削除こんばんは、寒くなって参りましたね。いかがお過ごしでしょうか…一時は心も身体も変わり果て、もう「お役目は終わり」かと静かに過ごしておりました。と、来月、突然の代役。人生とは解からぬものですね…庵主さまのブログに励まされております。これからリハビリに励みます…
返信削除小川 洋帆 様
返信削除お早うございます。その方の今まで生きて来られた人生が、徳積みの生活だったのでしょう。世のため人の為という人生を歩んで来られたからこそ、そのような状態で死を迎えることができたのですね。
ボクもそんな境地になりたいですが、まだまだ足下にもおよびません。
maruru 様
返信削除お早うございます。なにか素晴らしい事があったのですね。その日のためにしっかりとご準備なさいませ。体のリハビリと相まって、心の修復も大切ですよ。そのキーワードはこうです。【私は神の子、仏の子、これから毎日あらゆる点で一層良くなる、有り難うございます】この言葉を呪文のように毎日100回となえるのです。きっと何かが変わって来ます。ではまた。