2013年11月10日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 793 m >



花一輪・恋の笹舟(二十五)

苦諦(くたい)・老苦(ろうく)

『順心様、人間ちゅうのは仏に仕えんと救われんのじゃろうか・・・わが母は生前洗礼を受けちょぉった。じゃでワシもキリストば、信じるようになったがや』

順心はいつも佐奈助を見るとき、どこか違う男だと感じていた。草深い田舎に生きる百姓ではあるが、なぜか洗練された人間の風貌が見えていたのだ。



ひとりで畑と小さな田を作って生業としている。親兄弟もだれもこの世にはいない。天涯孤独だと言った。村の衆との付き合いも薄く、祭りにも滅多と顔を出さない。しかし野良に出る時はつねに聖書を手放さないと言う。


あのミレーの「晩鐘」の繪に出てくる、敬虔な農夫そのものである。佐奈助は今、真剣な眼差しで順心の心の内に鋭く問いかけてくる。生きていく上で、何かを求め、誰かにすがり、心の孤独感や、哀しみを消化してくれる「信仰」。はたしてそれに優劣があるのだろうか?それは人間の永遠の課題であるのかも知れない。

『あなたの良かれと思った事を信じて行じていくことは、誠に尊いことです。仏教もキリスト教もその根のところでは、教えは同じ。人類が平和に、人々が幸福になるのを信仰は助けるのです』そう説明しながら順心は、自分の言葉に驚いていた。

昨年の秋、松山市砥部町、厳修山・真言宗、永聖寺、わが師、酒井恭二が幼少の頃から育った寺にて修行をした時、寺の僧が集まって毎夜研鑽を積んだ。その時ベトナムより修行にきていた僧が真剣な眼差しで同じ事を問いかけてきた。

その質問に対し、慈恵という壮年の僧が澄みきった目を一際大きく見開いて答えた、その言葉を自分が今まさに、口移しで話しているのを知ったからであった。
その時佐奈助は始めて順心に心を開いたかのように、笑みを湛えて深く礼をしたのであった。彼の気持ちが安らいだように思えて、順心も笑顔でそれに応えた。

おスミ婆は、たった一人の頼るべき夫を戦争で亡くし、日々夫の御霊に話しかけながら畑を耕し、田を起こしてきた。いま自らの手で人生の幕引きをしたおスミ婆のありし日の姿が浮かんできて順心はじっと目を閉じた。

どれほどの時間を黙想していたのだろうか。ふと気が付くと、冷たい部屋の中には、おスミ婆の遺影の他にはもう誰もいなかったのである。


☆  ☆  ☆

【庵主よりの一言】


「苦諦(くたい)・老苦(ろうく)」



老いることの苦悩・・・老苦


「たとい 百歳の寿(いのち)を得るも 無上の法(おしえ)に 会うことなくば この法に会いし人の 一日の生(しょう)にも 及ばず」法句経(百十五)

まさに最近は、「老は苦」という一面もありますね。後期高齢者医療問題、年金問題、そして核家族化による老人の孤独・・・あげればきりがありません。昔の「姨捨山」の伝説が今も残っています。

長野道を車で走っていますと「姨捨」の地名が出てきます。そこら辺りがその話しの場所なのでしょう。ところが今日ではそれが「棄老」(きろう)となって、現実の社会の中で現れているのです。まことに悲しいことです。

2 件のコメント:

  1. 棄老はもともと親孝行の心が篤い息子が捨てないで助けるという話が付属していますね。本来そうでなければならない人間が、いつのまにか恐ろしい鬼のような行為を平気でするようになってしまいました。幸いその心配をする必要のない金第社会に生まれ合わせた幸運も感謝しなければと思っています。  山下広之

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  2. 小川 洋帆 様

    こんばんは。お元気そうでなによりです。

    孝行息子が城内のお殿様にみとめられて、おかかえ下さるというハッピーエンドのお話もあるようですね。今まで汗を流し、涙を流し、血を流して、国家、社会の為に尽くして来たお年寄りを大切にするのは当然のことだと思います。

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