2013年11月29日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 810 m >



花一輪・恋の笹舟(二十九)

苦諦(くたい)・怨憎会苦(おんぞうえく)

雪の夜とはいえ尼寺に男と二人だけで過ごす事は、春禰尼にとっては考えてもみなかった事に違いありません。しかしこのまま順心を大雪の谷間に帰すのは、まさに永遠の別れに繋がるかも知れない。その二つの相反する心と気持ちが尼の胸中を去来していました。



その時、春禰尼は「夜とぎ」ならそれは許されるのではないかと思ったのです。だから先程、順心にそう願い出たのでした。順心も尼が一緒に「夜とぎ(通夜)」をしてほしいと言った言葉をそのまま受け止めはしたのでしたが、はてここに通夜をする死人(しびと)がいる様には思えなかったのです。



『尼様、通夜と申されてもお亡くなりになった方はどこに・・・』尼は順心の目を思慮深い眼差しで見つめてこう言います。『その死人(しびと)はわたくしでございます』『尼様、今なんと申されました。死人が尼様ですと・・・?』


『さようでございます。順心様にこの尼の骸(むくろ)を浄めて頂きたいのです』そう言いながら、か細い右の手を畳について尼は身体を震わせて嗚咽(おえつ)したのでした。順心は尼の前に膝を進めました。そして尼の背中にそっと手をあてて、優しく撫でました。そこには男と女の隔たりはもうありません。人間と人間の命の響きあいが、夜の静寂(しじま)の中で、秘められた、時の織布を紡いでいるのでした。

春禰尼はそっと身体を起こすと、着物の袖を目尻にあてました。そして静かにゆっくりと話し出したのです。それは順心がいつも尼を思うとき、どうしても解き得なかった尼の半生でした。

降り続く雪がこの寂夢庵を包み込んで、俗なる世界からまるで遊離しているかのようなまことに不思議な夜でございました。


★  ★  ☆
【庵主よりの一言】

苦諦(くたい)・怨憎会苦(おんぞうえく)

憎みあいつつ生きる苦しみ

 むさぼるなかれ 争いを好むなかれ 愛欲に溺るるなかれ
 よく黙想し 放逸ならざれば 必ず 心の安らぎを得ん

 (法句経 二七)

私たちは、別れたくもない愛する人と別れなければならない「愛別離苦」を味わう反面、別れたくても別れられず、憎しみ怨(うら)みあいつつ、生をともにしなければならないときもあるのです。これが怨憎会苦(おんぞうえく)です。

「愛憎」、愛と憎しみとは表裏一体です。「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉があるようにです。こんな人間の醜い一面を「よく黙想し 放逸ならざれば 必ず 心の安らぎを得ん」、目をつぶらず、よく見つめようと法句経は教えているのです。

これらの厳しい人生の現実を回避せず、その奥に有る人間の本来の姿(実相)を諦観する行こそ『座禅』であり『神想観』ではないでしょうか。

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