花一輪・恋の笹舟(二十三)
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「菩提薩婆訶、般若心経」
おスミは、この丹波の地から出たことは、両親の葬儀を除いては、まずなかったと言ってもいい。出身地の淡路島にさえ帰ろうとはしなかったらしい。一端家を離れて、夫に嫁いできた以上、もう自分はその家の人間であり、実家を顧みようとしなかったらしい。
心の中では、渇くような両親への思いがつのったに違いない。しかし長い歳月がその哀しみを流し去ったのである。父が死に、母もあの世とやらへ行き、今度は自分にその順番が回ってきたことを強く感じていた。
ある日のこと、中山喜一が家を訪ねた時、おスミ婆はこのような話しをしたらしい。それはスミの夢の中に、夫が立ったというのであった。もう50年以上も前の、凛々しくも若々しい軍服姿であったらしい。その夫は、妻スミに何度も何度も侘びながら礼を言い、苦労を労(ねぎら)い、その肩を優しく抱いたと言った。
おスミ婆は、夢の中で夫にすがりつくようにして泣いたという。その時、遠からず夫の元に行くことを心にきめたのだと、それらしき事を喜一に言った。
中山喜一はそこまで話して頬を伝う涙をこぶしで拭った。集まっていた村の人々も、皆もらい泣きをしている。順心はその話をじっと聞いていたが、なにか心に感じることがあったようで、大きく頷いて席を立って外に出た。
出がけに散らついていた雪が、もう薄っすらと積もりだした。今日は大雪になると順心は思った。以前にも一度、こんな雪の降りしきる日に村で人が亡くなった事を思い出していた。
それは、まだ6歳になったばかりの女の子だった。名を「菜々子」と言った。
★ ☆ ☆
【庵主よりの一言】
菩提薩婆訶、般若心経(ぼじそわか、はんにゃしんぎょう)
そのまま其処に往き往きて、彼岸に既に到達しておるというのは自分だけではない、すべてのものは彼岸に既に到達している。もうここが實相の世界である。
光明遍照の世界であるということがわかるのだと説いているのです。これが『般若心経』であります。(谷口雅春先生 ご講演より)
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