花一輪・恋の笹舟(二十四)
「区諦(くたい)・生苦(しょうく)」
ここ丹波篠山の冬は寒い。雪こそそう多くは降らないが、厳冬期の山間部での冷え込みは氷点下10度を越す日も度々である。順心の勤行する久遠実相寺は、虚空蔵山の麓にある。まわりには雑木林がひろがり、頂上に続く山道は深い森の中に太古の眠りを貪っているかのように鎮まっている。
おスミ婆が亡くなって早くも四十九日を迎えた。順心は朝から法要に出かける用意をしている。この日は明け方から雪が舞っている。虚空蔵山から、猛烈に冷たい風が吹き下ろしてきた。
おスミ婆の四十九日の法要を済ませ、久しぶりに村の皆さんと話しをした。村人の聞きたがったことは、前年の秋、順心が伊予の松山へ出向いた時の話だった。特に西条の湯ノ谷温泉の遍路宿での出来事には、みんな膝を進めて目を輝かせて聞き入った。
湯ノ谷温泉遍路宿に顕現していた光景は、今まさに順心と村の衆の姿そのものであった。「人はみ仏を信じ、無条件にそれに帰依(全託)する時、環境が変わる」順心の師、老院主の言葉が、自分の潜在意識の奥深くに沈静して、悩みや苦しみが消えていくきっかけになっている。
その時、不思議と奇蹟すら起きるのであろう。そこには「知・信・行・證」の輪が廻っているのであり、知って、信じて、素直に生活に実行すれば、必ずその證(あかし)が顕れるのである。そのような理(ことわり)を、村の人たちに分かり易く話していた。その時一番後ろで隠れるようにして座っていた男が中腰になって順心に話しかけてきた。村の仲間達の間では、キリストを信じていると噂のある、佐奈助であった。
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【庵主よりの一言】
「苦諦(くたい)・生苦(しょうく)」
この言葉は「法句経」の中に出てまいります。人生を苦しくさせる八つの原因の一つです。
「一切の行は無常なり 慧(さとり)の観察する所の如し 若し能(よ)く此の苦を覚(さと)らば、行道、其の跡を浄くす」(二七七)
よくこの世(人生)は無常なものである、と人は口にします。確かにこの世に生を受けた限り、全てのものは生存の長短は別にして死んでいきます。そういう観点から人生は無常だと言えばその通りかも知れません。
しかしその「無常」なるものは貴方の、貴女の、お心ではありますまいか? 現象の移り変わりに一喜一憂し、取越し苦労をして、独り悩み、体を痛める。その「心・Mind」そのものこそが無常であるのです。
こんばんは、いつも楽しく拝読しております。無常を受け入れ悟ろううとも、日々の悲しみに振り回されてしまいます。庵主さまのブログにお邪魔すると、ほっと致します。
返信削除maruru 様
返信削除ようこそ おこしやす。いよいよ寒さがやってまいりました。京の都もさぞ朝晩は冷えていることでしょう。ここ妙高高原ではいつ雪になっても不思議ではありません。
「日々の悲しみに振り回される」なら一度思い切り力を出して「その悲しみの尻尾」をつかんでエイヤア!と振り回してご覧なさい。きっとすっきりとして一時なりとも「悲しみを忘れる」でしょう。「忘れる悲しみなら」本来存在しないものなのです。無いから消えるのです。実在(ある)ものならどんなに手を施しても消えませんよね。安心してゆっくりとお休みなさいませ。