【水底の鎮魂歌】(みなそこのレクイエム)
私たち村の若い衆が寄って、長老の話を聞く会も今年で10年目を迎えた。一年春夏秋冬の四回、酒の席を囲んで思い出話を聞くのである。
今日の語り部は私の親戚の直衛(なおえ)爺である。もう年は80歳を越えている。とはいえ毎日の野良仕事、川漁師を今もやっているので赤銅色の肌と筋肉質の腕や足は、まるで壮年のような感じがする。
大きな和室に床の間を背負って直衛爺が座る。あとは集まってきた順番に適当に座に着くのが習わしになっている。家の女連中が寄って酒の用意、皿鉢(さわち)料理の準備がなされている。
まだ小学校に上がらない男の子たちも爺の話しを庭先で聞こうと集まってきている。放し飼いのニワトリがコッコッと鳴きながらミミズを掘り返している。牛小屋から物憂げな鳴き声が聞こえて来た頃を見計らって、今日の世話人、森岡岳人(もりおかがくと)が居住まいを正した。
今日は8人の参加である。新屋(にいや)の森岡信之助は息子の大学の下宿探しとかで東京に出掛けていた。土佐の高校きっての秀才と名が高かった息子、信太がなんと、一発で東大に入学したのだ。それは私ども親族一統の中でも初めてのことであった。
旧帝国大学では、高知の叔母さんの息子が東北大学、そして地蔵寺の緑叔母の長男が京大に入ったのがそれまでの実績であった。別に大学など行かなくってもどうって事はないが、ここいらは特になにもない土地、教育だけは人一倍熱心だった。四国の中でというよりやはり関東、関西へ出て行くのが夢でもあったのだ。
『忙しいのによ、こうして集まってくれて有り難う。さて今日は、部屋の長老、直衛爺の話しを聞く会になるろか。まあゆっくり酒でも飲みながら爺の話しをじっくりと聞こうぜよ』こう言って、岳人の横に座っているこの集落の谷の奥に住む、鍾馗(しょうき)さんにグラスを指さした。
『奥の鍾馗じゃ。僭越ですが、乾杯の音頭を取らせてもらおうわい。みんなビールをつげや』一通りグラスにビールが注がれたところで彼はこう言ったのだ。
『この過疎化が進む田舎も、いつまでも安泰ちゅう訳でもないがの、ここは日本でも一番水も空気も綺麗な土地じゃきに、この村の自然と我が一族一統にこれからも神の御加護を、乾杯!』。みんなが唱和していよいよ春の長老を囲む会が始まった。
【庵主の短編読み物(リーフノベルス)より】明日も続きます
囲炉裏を囲んで長老の話を聴く、という世界は都会育ちの私にはあまり記憶にない光景です。第一囲炉裏そのものが我が家にはありませんでした。こうして田舎生活を送っているといつかそういう場面に遭遇するのではという予感もしないではありません。しかし「庵集」様の短編小節を読ませていただくといつの間にかその光景が彷彿してきます。
返信削除小川 洋帆 様
返信削除こんばんは。お年寄りの苦労話を聞かせてもらえるのは、ある面幸せなことなのです。よほどお近づきになって、気心が知れないとなかなか出来ないことなのです。その話の中に、自分の人生にとって大切なヒントが隠されていたりするものですね。謙虚な姿勢で、耳を傾ける時、その方の口から発せられる言葉は、千金の値に匹敵するかもしれないのです。
ボクが洋帆様に学ばせていただけるのもそれに似ていますね。