今日から新しい読み物『花一輪 恋の笹舟』をアップさせていただきます。平成19年に書き上げた小説です。草深い丹波篠山の古寺の住職、順心(じゅんしん)と村の人々の日常を描いています。それではお楽しみ下さい。(庵主 敬白)
【花一輪 恋の笹舟(一)】
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時」
小さな寺に住まいしてこの秋でもう三十有余年が経った。庭の梅の木もそれなりに大きくなったと思った。ふとそんな事を考えていた。雲間から薄陽が差して、村に続く道に朝露が光っている。
順心坊は墨染の衣に網代笠の托鉢姿、草鞋を履いて庭に下りた。ここから下(しも)の村はまだ霧に隠れて何も見えない。 この山深い久遠実相寺(くおんじっそうじ)には、もう秋が深まろうとしていた。そして晩秋を迎える山間の冷たい風が渓の底から吹き上げてくる日が続いていた。
今日は順心の師、老院主の祥月命日であった。
順心は今日がその日であるからこそ、村への托鉢をすべきであると思った。師の教えは、仏陀への無条件の帰依そのものであった。行が全てであると師は常に自らの身体で教えてくれていた。日夜経を誦(とな)え、365日はかったように御仏の御前に座した。その師、老院主に仕えたことが、順心坊、その人の人生を根本的に変えたのである。
経を唱えながら、ゆっくりと杉木立の中を歩いて行く。大きな木の根元に苔むした祠(ほこら)がいくつかある。立ち止まっては、般若心経を手向ける。木の上には、キジバトのつがいが肩を寄せ合うようにとまっている。
デデポッポウ、デデポッポウと誰かを呼んでいるように聞こえる。しばらくして、また下っていく。岩の裂け目から清水が零れるように湧き出している。順心は掌(たなごころ)にそれを受けて、口を注いだ。もうそれは冷たい晩秋の石清水であった。
しばらく行くと、川に架かった小さな木の橋が見える。最初の人家である。おスミ婆さんの住まいである。そこには今日も畑に出て、曲がった腰をなおの事屈めて土を耕している婆さんがいた。順心坊を見て、婆さんはそのまま畑の土の上に膝を折った。そして一言だけ呟いた。『マナンダブ』、手を合わせてじっと順心を見上げた。
順心は、手に持っている数珠でおスミ婆の頭と肩にそっと触れた。婆はじっと硬直したように動かなかった。そっと袖で目頭を押さえた。着衣に付いていた土塊(つちくれ)がハラハラと地面に落ちた。
(この話はすべてフィクションです。登場人物、組織・団体には一切関係ありません)
新しい小説が始まりましたね。妙高の隣町の長野県信濃町に浄土真宗の「明專寺」がありますが、ここが私どもの菩提寺で、法事に伺うと出してくれるお経がこの小説のサブタイトルでもある「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」で、住職の読経に合わせて私どもも一緒に読むわけです。お経の中でも特に優れたお経であると聞いたことがあります。このお経をバックにしてどのようなストーリーが展開していくのか楽しみにしています。
返信削除小川 洋帆 様
返信削除こんばんは。コメント有り難う御座います。
信濃町の「明專寺」ですか。そのお寺のお近くにおられるのは、不思議なご縁ですね。
洋帆様がご先祖のご供養をなさるのは、ご使命なのかも知れませんね。
お読みいただき感謝です、ではまた。