2013年8月16日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 707 m >



 【花一輪  恋の笹舟(四)】

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

「色即是空、空即是色」
  
 『和尚(おっ)さん、今日はまたお出かけで?』『はい、ちょっと村まで下りて行こうと思てまする』『お詣りですか?』『いや、そうやない。そう言えばあんたとこへもお伺いしようと』。

 『ちょうど良かった。今聞きましょか』『はい、実はな、近いうちに旅に出ようと思うていますのじゃ』『旅に?またどちらへ』『亡くなった、老院主の生まれ故郷、伊予の松山まで』『そうでしたのか?老院主様は伊予の松山のお出でしたか』。

 『まだ、老院主が小さいときに育ったお寺もあるそうで。一度はと思うておりましたのでな』『そのお知らせに下の村まで。ではこれからご一緒に下るといたしましょうか』。

 『久しぶりに喜一さんのお話しでも伺いながら。ほな、ぼつぼつとまいりますかな』『順心様、ほらみてごらん遊ばせ、もうお山は紅葉で色を変えつつあります。綺麗なものですな』

 『ああして、自然は毎年私どもを裏切りません。残念ながら、この凡夫の私どもが自然を裏切り、傷つけていますのじゃ』『ところで順心様、先日紅葉谷(もみじだに)の春禰尼様の寂夢庵(じゃくむあん)の傍を通りかかりましてな、その時尼様とばったりお会いしました』『春禰尼様は、お変わりなかったかえ?』

 『なんでも、朝晩の冷えでお足がちょっと、と申されておられました。その帰り際に、順心様に会ったら宜しく伝えてほしいとのお言葉でした』『そうでしたか、いやおみ足がな・・はて事がなけりゃ良いが。そうか、有り難う、確かに承りました』。

 そうこうするうちに、おスミ婆の家の前にやってきた。ここで野菜の礼を言って中山喜一とは別れた。


☆   ★   ☆

【庵主の言の葉】

「色」即ち物質というものは在るように見えているけれども、「空」と同じものなのだ。全く何もないところから「物質」が顕れた。だから「物質」は本来無であるのだ。



 現代の最先端の量子力学もようやくそこに行き着いたようだ。現象に顕れていることに一喜一憂する事なかれ、病気は「無い!」と悟れば、太陽の前の霜の如く、自消自滅(おのずから消えてなくなる)する事がままある。


2 件のコメント:

  1.  菩提寺へ法事に参りますと、大抵は般若心経のお経で私たちもお坊さんと一緒に唱えさせていただくことが多いです。この中に「色即是空、空即是色」のことばが出てきます。禅問答みたいで若いころはよくわからなかったのですが、年を重ねるとともにその意味がおぼろげながらわかるような気持ちになってきました。

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  2. 小川 洋帆 様

    お早うございます。

    般若心経は、神仏を問わず誦行されているお経ですね。僅か300字足らずの本文に、大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の1つとして広く用いられています。

    洋帆様も日々、仏前において誦しておられ、その意味がお分かりになる境地に達せられたのですね。ではまた。

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