【花一輪 恋の笹舟(三)】
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「色不異空、空不異色」
村の家々をまわった。そして彼は老院主の命日の勤めを果たして、日が暮れかかった頃、寺に帰り着いた。心は清(すが)しいが、身体には心地よい疲労が感じられた。風呂を焚き、一日の汗を流す。
その時、順心は今までにはなかった心の騒ぎを覚えて、すぐさま頭から冷水をかぶったのである。しかしその不可解な胸騒ぎが治まるまでには暫くの時間が必要だった。
順心は風呂から出るや、すぐさま僧衣を付け本堂の御仏の前に坐した。坐さざるを得なかったのである。それは女人に対する色情と思われるものへの懺悔であった。あの時の春禰尼(しゅんでいに)の肌に迷ったと言うのか。そんな事はないと、いくら打ち消しても春禰尼の姿が浮かんできて、心千路に乱れる夜であった。
春禰尼に出会ったその日から数日が経った頃、順心は秋の深まり行くのを見計らって、西国に旅することに心定めをした。行く先は老院主の故郷、四国は伊予松山の地である。生まれて始めての長旅でもあった。その事を村の檀家の人たちに伝えるため、今日も朝から出掛ける仕度をしていた。
下(しも)の村から大八車を引いて坂道を上ってくる男の姿が見え隠れしている。どうやら、檀家の世話人、中山喜一らしい。彼はまだ年齢は50の始めだろう。しかし村人たちの信頼は篤い。それは人柄にもよるが、人の嫌がる仕事には必ず先頭に立って対処しているからであろう。
たとえば寺の裏山の木の手入れ、大雨で崩壊した道の修理。そして村の水利に関するもめ事の仲介などである。一所懸命、車を引いて急な坂道を登って来る、顔から汗がしたたり落ちているのがわかる。
『和尚(おっ)さん、こんにちは』『おお喜一さんか、朝から一体どうした?』『いやね、昨日畑でとれたダイコンやほうれん草をお持ちしました』『ほんに、まあ立派な野菜ですな。いつもいつも、有り難うございます。ナマンダブ、ナマンダブ』
その野菜に秋の色が宿って光っている。
たとえば寺の裏山の木の手入れ、大雨で崩壊した道の修理。そして村の水利に関するもめ事の仲介などである。一所懸命、車を引いて急な坂道を登って来る、顔から汗がしたたり落ちているのがわかる。
この和尚様も色欲で悩んでおられますね。浄土真宗の開祖親鸞でさえ色欲にもだえたようですね。いくら修行しても、色欲煩悩からのがれられないことから、開き直って色欲を肯定しますね。
返信削除人間が色欲を離れようとするのは、親鸞の言うように「不自然」ですよね。 かれは不自然な禁欲をしなければ、僧侶になれないのなら、「僧」になれなくていい、「愚禿」のままでも浄土に行けるって宗論をたてたほどでした。
小川 洋帆 様
返信削除こんにちは。親鸞上人の生き方には共感がもてますね。『現象に無駄なし』とは谷口雅春先生のお言葉ですが、無駄な物はこの世に存在しない。人間の心がそれを無駄だと感じた時、その物は無駄になってしまう。
これを佛教では『三界は唯心の所現』と喝破しています。雑草と呼ばれる草は本来無い。すべて名前がついており、遥か昔から先祖の命を継承している。必ず何かのお役に立てるはずであります。
神や仏の命を受けた生き物に感謝し大切にしたいものです。庵主