【糟湯酒】
さてお話を「糟湯酒」に戻そう。 「万葉集」巻五におさめられた山上憶良(やまのうえおくら)の「貧窮問答歌」は読む者にとって悲しく、酒の階級性なるものを感じさせてくれるのである。山上憶良(やまのうえおくら)の「貧窮問答歌」とはこのようなものであります。
「風まじり、雨降る夜の、雨まじり、雪降る夜は、術(すべ)もなく、寒くしあれば、堅塩(かたしお)を、取りつづしろひ、糟湯酒(かすゆざけ)、打ちすすろひて、咳ぶかひ、鼻びしびしに・・・」と続きます。
ここに言う「糟湯酒」は、酒のカスにお湯をまぜた、酒とは名ばかりの飲料で、その肴はあら塩をなめながらすするが、セキやクシャミがでてしょうがないと言う類のものなのです。今日の酒粕とは違って、まことにお粗末な代物ではありますが、奈良時代にはこれが庶民の飲むお酒だったのです。江戸時代の初期、芭蕉と同時代の伊丹(兵庫県)の俳人、鬼貫(おにつら)に「賤(しず)の女や袋洗ひの水の汁」という句があります。
伊丹は関西で有数の酒造地ですが、そこに勤める女房たちが新酒の袋を洗う仕事を引き受け、その洗った水をもらってきて亭主に飲ませる風習があったそうです。これが「糟湯酒」なのですが、当時も庶民はなかなか、良い酒にありつけなかったようで、哀しくも切ない日常が窺い知れるのです。長屋の奥に走り込んでいく一人の女房が抱えている縁の欠けた酒壺。
『おっかあ、ありがとよ。おう、そこにおいてくれ。粗塩はと・・・』『あんた、今日はちょっとした肴、用意してまっせ』『なんや、その肴て?』『タ・ケ・ノ・コ』『ええ、タケノコ!どないしてんそんなええもん』『ほら、あの法勝寺さんの竹林、あこで・・・』
『おまえ盗人したんか?』『いいええな、竹の子ですやろ地下這うてえな、横手の道に出てましたんや。そやから・・・』
『ああ、びっくりした。ほなよばれよか』
そんな夫婦の声が聞こえて来るような気がして、ちょっと書き残して見ました。そういやあ、夕べ食べたタケノコ、どこに出てたんやろ・・・?
(参考:光文書院刊、東掘一郎著・話のタネになる本)
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