2011年6月30日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・アマガエルのガマン君 <標高77m>


 【水中アマガエルのガマン君】


 ガマン君、隠れていないで出ておいで


お言葉に甘えやして・・・こんな面(つら)でやんす 以後お見知りおきを!

Imagined by 庵主

2011年6月29日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・渓流の野武士 岩魚 <標高76m>



時間は今日夕方5時、魚が動き出す「夕まずめ」のいっとき。マインヒュッテの横を流れる清渕川、桑の木したの小滝で竿を出しました。餌は小さなバッタを針の先にチョン掛けをして、道糸から針先まで45センチの提灯釣りです。

毛針で釣るのが有効だと聞いていましたが、やはり「旬の餌」が一番でしょう。昆虫網でバッタを採って、生きたまま使用します。餌が水面に落ちたとたんググッと引きが手首に伝わってきますが、うまく銜えてくれません。

昨日の雨で水量も増え白い泡が立つあたりに餌が落ちた瞬間、飛び上がるようにしてバッタを喰ってくれました。結構強い引きで楽しませてくれました。写真を撮ったのちリリースをしました。これからは岩魚との駆け引きを楽しみたいと思っています。

2011年6月28日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・画廊 馬岩(バロック) <標高75m>



豊中市にお住まいのF先輩からメールが届きました。ボクが以前一枚の妙高山の写真をお送りしていたのを参考に、イメージを膨らませてそれを水彩画にしてくださったのです。早速ご了解を得て、画廊【馬岩・バロック】に展示させていただきました。

実はこの妙高山、5000年前のマグマ噴火で頂上の一部が吹き飛んで今の山容になっています。現在は標高2454mですが、噴火前は3500mほどあったとのことです。日本でも有数の高山だったと考えられます。

この絵を眺めていると、のどかな妙高山の早春の風を感じます。この道をブラブラ行くと教会があってイモリ池からクリスチャン村があります。そこを登ってスキー場の近くまで歩くと、アルペンブリック・ホテルに着きます。お花畑で一休み、クローバーの絨毯に寝転がって流れる雲を見ていると、お山の霊気に包まれて、癒されていく自分を体感できるのですよ。F先輩有り難うございました。一度このコースをご一緒致しましょう。


2011年6月25日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高74m>

ルカによる福音書 第1818節〜30

『金持ちの議員』

24節〜30
イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。するとペテロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

金持ちが自分のお金を持って天国に入る事は難しいのだ。さすればいったい誰が救われるのだろうか?私たちは自分の力で天国に入る事は出来ない。しかし神様なら何でもできるのです。
そこでペテロが出て来てこう言います。自分は全てを捨ててあなたに従いました。イエスはそのペテロに対して何も応えておられないのです。それでは、何を言おうとされたのか?「はっきり言っておく。・・・」この言葉を額面どおりに受け取って、その行為を助長する教会があり、私有財産を全て召し上げてしまったのです。それは一時、社会問題化してきたのです。間違った解釈が、多くの人々の人生を狂わせてしまったのです。

イエスが言われた。神の国の為にとは、つまり神様とあなたの関係は、たとえ家や家族や財産なんかは関係ないのです。まず神に従う事が大切なのです。では神の国に入るには清らかな信仰、純粋な信仰を持ったものしか入れないのでしょうか?

子供のようにする人は神の国に入る事が出来るとあるが、果たしてその言葉通りなのでしょうか?子供のように・・・どんな者であっても資格の有無は問われないのです。つまらない者ですが、こんな私を受け入れて下さいと祈る事が大切なのです。人間が今までやってきたことを誇るとすれば、それは空しいものであります。

人生、山あり谷あり、罪も過ちも犯します。そんな私ですが神様、哀れんで下さい。そう言って従う人をイエスは喜ばれ、求められるのです。ありのままの自分をさらけ出して神様に祈るのです。信仰の強さを神に誇ってはなりません。

(2009年 旭キリスト教会にて岸本牧師のお話を筆記したものです。文責 庵主)


人間の心や行いがどう変わろうとも季節は巡り、生命の糧は光りとなり水となり、空気となって与えられます。それに感謝して生活する事が、恵みに対する返礼なのです。(庵主のひとこと)

2011年6月23日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高73m>

ルカによる福音書 第1818節〜30

『金持ちの議員』

聖書を理解するためには、文字面よりもその背後に書かれてあることを理解しなければならないのです。この話は、金持ちが天国に入るのは難しいといった単純な意味ではありません。アメリカには、富めるキリスト者が多くいます。その人々が救われないのかというと決してそうではありません。

イエスは金持ちの天国に入るのは難しいと言ったのではありません。それでは聖書の、み言葉を読みながら進めてまいりましょう。

18節〜21
ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

ここに出てくるある議員とは、上に立つ人、また別の箇所では青年ともなっています。すなわち若い議員なのでしょう。その議員がイエスに、何をすれば永遠の命を受けることが出来るのかと聞いたのです。永遠の命を受けるとは、「霊的な祝福を受ける」ことです。その時イエスは「姦淫するな、殺すな・・・」とモーセの十戒の事を話されました。

その掟をあなたは知っているはずだと。その議員は言います。そんな事は子供の頃から守って来た事ですと。この議員はこの返答でもわかるように、まじめな議員だったようです。若いのにそのような立派な人物であったらしいのです。

22節〜23
これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。彼は大変な金持ちだったからである。

さてイエスはその議員にある条件をお示しになっています。持てる物を全て売り払って貧しい人々に施しなさい。議員はそれを聞いて悲しんだのです。自分にはとても出来ないと思ったのです。イエスは、この議員はそれが出来ないと既に知っておられたのです。

この議員は、イエスが言われたモーセの十戒にたいして「子供の頃から守ってきました」と神に対して自分を誇るかのような態度をとったのです。人は日常生活の中で、知らず知らず罪を犯し、間違いもしています。ーーー自分は神の御前ではそのように完璧に生きる事が出来ないのを知っているはずなのです。

間違いを犯した時、私たちは落ち込んでしまって、その先希望が持てなくなる場合があります。また奉仕が出来ない人々は、神に対して何も恵まれないのかと言うとそうではありません。では人生、何をしていても救いの手が差し伸べられるのかというと、これもまたそうではないのです。(明日に続きます)


この道は歩きにくく、そしてまた冷たい。でも歩き続けなさい、そのうちきっと歩く喜びに満たされるでしょう。その時あなたの全心身は温かく健やかになっているでしょう。(庵主のひとこと)

2011年6月21日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ベニシジミ <標高72m>



シジミ蝶の仲間のベニシジミです。とっても可愛い蝶のひとつです。芝焼きをしたあとに、緑の絨毯を敷き詰めたような景色が広がります。この上を蝶やトンボが飛んでいよいよ暑い夏の兆しがうかがわれる今日この頃。桑の木に今年も沢山の実がなっています。もう一週間ほどすれば「桑の実摘み」が出来るでしょう。

2011年6月19日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ダビドサナエ <標高71m>


この時期に見られる「サナエトンボ」の仲間は、ヤマサナエ・オナガサナエ・コサナエ・タベサナエ・ダビドサナエ・ヒロシマサナエ・ヒメクロサナエ(九州)などがいます。どのトンボも似たり寄ったりでなかなか一発で名前を特定することは至難の技です。


和名のダビドはフランス人の生物学者の名前に由来するとの事です。小渓の流れの近くに棲み、葉っぱの上にとまっているのが見つけるポイントです。その通りマインヒュッテの庭の葉っぱの上にいるのをゲットいたしました。


2011年6月17日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・アオイトトンボ <標高70m>



白樺林のなかに初夏を告げる桃色の「タニウツギ」の花が香る頃、ここ妙高高原には色んなトンボが生まれます。清渕川はこれから昆虫の夢舞台です。この写真のトンボはイトトンボの仲間で、「アオイトトンボ」と言います。体がコバルトブルーに輝く、揺れ飛ぶ宝石なのです。

幽の憂なる、か細きトンボ。その名を「アオイトトンボ」と称す。金色に輝く雌を求めてひらり、ゆらりと舞い踊る様はいと優雅なり。

2011年6月14日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・関川の急流 <標高69m>



新潟県焼山に発し、笹ヶ峰の乙見湖を経て日本海・直江津まで延長64Kmを流れ下る一級河川が関川です。ボクの住む杉野澤あたりは源流に近い方にあたります。なにしろ急流で、水は冷たく澄んでいます。雪解けの頃はゴウゴウと音を立て、大きな石を呑み込んでその様はまさに「暴れ川」なのです。

上の写真の橋は「地震滝橋」と言います。橋の右側は新潟県、渡ると長野県、信濃町方面というまさに信越国境を隔てる川となっています。イワナを釣るため竿を出しましたが、この日は残念ながら坊主(釣果なし)。

誰もいない川の縁に腰掛けて、花々に囲まれて川の流れる音を聞いているだけで、地上天国にいる気持でした。『辺鄙な地は心を癒す拠り所、いや”おきどころ”』なのです。

2011年6月12日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ヤマナメクジの怪 <標高68m>


軟体動物が嫌いな方には、まことに申し訳ありません。でもこの生き物決して人間に悪さをするものではありません。しかし人間の食べ物を横取りするという点から言えば、困りものであることには違いないのです。

では何を好んで食べるのでしょうか?答えは椎茸です。薄暗い湿気の多い林や森の中に、クヌギの原木に椎茸の菌を植えて並べてあるのを見た方は結構おられるでしょう。その栽培している椎茸がこの「ヤマナメクジ」の好物なのです。

大きな物は長さが15センチにもなるそうで、初めて見た人は子供のヘビかと間違うかも知れませんね。いましも梅雨の最中、ブナの木に取り付いた大きな「ヤマナメクジ」は、樹液を舐めながら銀色の光跡を残しつつ、ゆっくりと高く高く登って行くのでした。果たして何を考えているのでしょうね。

2011年6月10日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・カラスアゲハ(蝶) <標高67m>




朝の8時半頃でした。釣り竿とカメラを持って杉野沢集落から関川方面に向かって歩いていました。田の土手下の草地に今羽化したばかりの「カラスアゲハ」が羽根を休めていました。飛び回っているときはなかなか写真に撮るのは難しいのですが、生まれたあとすぐならこれは簡単ですね。チャンスは一度、だからカメラは必ず持参することが大切ですよ。

2011年6月9日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・エゾハルゼミ <標高66m>




朝からエゾハルゼミが合唱をはじめました。カラマツ、クヌギ、楢などの木が好きな蟬です。声を頼りに歩いていると、木にとまって休んでいるエゾハルゼミに出会いました。

小さな蟬の抜け殻も残っています。ツクツクホウシと同じくらいの可愛らしい抜け殻でした。妙高高原にもいよいよ初夏がやってきます。水辺ではカワトンボ(オハグロ)も羽化しました。

2011年6月7日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高山の大岩スミレ <標高65m>




大規模なマグマ噴火が起こった約5,000 年前の火砕流噴火によって、頂上付近から飛んできたと思われる大岩が、妹の敷地内にドデンと鎮座ましましています。

その岩の割れ目から今年も可憐なスミレが咲きました。ボクはその花に『大岩スミレ』と銘名したのです。

今朝の妙高山麓は曇り空ですが、気温は20度近くあります。ホンドリスが森の中を走り、カッコウの管楽器のような響きが、静寂を一層深い雰囲気にしてくれます。誰もいない森と林の中。さあて、ぼちぼち行きますか・・・どっこいしょ。


2011年6月4日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今年初めてのトンボ <標高64m>


【ウスバキトンボ】

昨日はじめてハルゼミの声を聞きました。という事は今日辺りトンボが羽化するかも知れないとカメラを用意してスタンバイしていました。午後の1時頃だったでしょうか。芝生の上をフワリとなにかが飛んだのが目に入ったのです。

『トンボだ!』独り言を言って、その姿を追います。風に乗ってあちこちに移動しています。この時期に羽化するのはきっと「ウスバキトンボ」だと思っていました。やっと石の上に止まったところをなんとか写真に納めました。この後一気に飛び去ってしまったのです。

このトンボ、すごく運動神経が発達しているので、なかなかゆっくりと落ち着いて止まってくれません。早春の頃、南方(東南アジア)や沖縄あたりで生まれるのです。そして風にのって九州〜四国、近畿地方の田んぼなどで二世代、三世代と生死を重ねてちょうど6月〜7月頃、長野や新潟にやってくるのです。

このトンボの生態は分からない事だらけです。1000キロ以上の旅を何世代にもまたがって、それも生まれ変わってやってくるのです。何が彼らをつき動かしているのでしょうか?

ボクのお目当ての「ミヤマアカネ」はまだ出てきません。6月後半でしょう。

2011年6月3日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・春のキノコ <標高63m>


春に顔を見せた「ヒラタケ」

6月3日の朝、このところ降り続いた雨もようやく上がり、素晴らしい天気になりました。朝の内に庭の傍を流れる渓流添いに自生している「ウド」を採ってきました。(下の写真)


その時何気なしに山積みになっている薪を眺めていたら、クヌギの木よりキノコが生えています。キノコは大体秋に出てくるのが多いのですが、なんと「ヒラタケ」の春バージョンです。(トップの写真)

充分食べることが出来ますが、味は秋に収穫されるものには勝てません。二、三日降り続いた雨がもたらしたプレゼントでした。自然に感謝です。