2015年3月31日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・雪原の猛者たち(標高 1095 m)

【有り難うございました、ご苦労様】

今年も3月の末で雪とはほぼサヨナラ出来そうです。明日から卯月(四月)が始まります。今冬の豪雪に除雪、圧雪にその精悍なパワフルボデを惜しみなく提供してくれた「車輛」たちに心からお礼申し上げます。写真の雪上車は、株式会社大原鉄工所 (おおはらてっこうじょ、英語名:OHARA Corporationで製作されています。

 会社は新潟県長岡市に本社を置く環境関連機器と日本国内唯一の雪上車メーカーで、スキー場ゲレンデ整備車では日本国内トップシェア45%(日本国内では約1500台が稼働)との事、南極観測隊用雪上車メーカーとしても有名であります。物作り王国新潟県が誇る、世界的に名の知れた企業に、希望と誇りを持ちたいと思っています。





2015.3.28 撮影 庵主)

2015年3月29日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・暮れなずむ黒姫山(標高 1094 m)

 日が落ちて一気に温度が4度下がった。今夜はきっと星空が美しいことだろう。久しぶりに落葉松の梢を流れ星が翳(かす)めるのが見えるだろう。その時、君の、そして貴女の、幸せを祈ろう。




2015年3月27日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【雄大なるかな越後富士(妙高山)】(標高 1093 m)

 杉野沢の知人を訪ねる道すがら、雄大な妙高山に出会う。田の雪越しをしたあと、また雪が降ったので、まるでモアイのような固まりが出来ていた。その前方に広がる越後富士は、裾野を遥かに広げて神々しくも輝いていた。




(写真:2015.3.26 越後富士(妙高山)午前10時撮影 庵主)

2015年3月26日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・春の兆し(標高 1092 m)

【雪解けの 流れに岩魚 見え隠れ】

 2015.3.22 雪解け水が流れ下る清渕川にぽっかりと開いた雪の穴。とても近づく事は出来ないが、じっと見ていると、岩魚(イワナ)が駆け上って行く。雪代岩魚(ゆきしろいわな)の姿を見たのは何年ぶりだろう。





自然よほんとに 有り難う 庵主

2015年3月24日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(40)】(標高 1091 m)


【男達の黄昏・・そして今(40)最終回】

 会場はシ〜ンとしています。園長先生が立ち上がって、小田村の傍に行かれました。そして小田村の手をしっかりと握りしめて、『きっとよ、きっとですよ。』と言われました。子供達が一斉に輪の中から走り出て、小田村とぼうやを取り囲んでいます。小田村は一人一人の頭を撫でながらゆっくりと会場を離れて行きました。園長室には、天宮婦警主任が待機していました。そこへ小田村敏夫と深沢周八がドアを開けて入ってきます。

 その時天宮婦警主任が立ち上がりました。小田村敏夫を見て書類に手を掛けた時、深沢周八はそっと小田村の肩を叩きました。『小田村敏夫です。ご迷惑をお掛け致しました。宜しくお願い致します。』そう言って、天宮真智子婦警主任の前に、両手を差し出しました。天宮はそっとその手を下ろすようにしむけました。

 保育園の大勢の人達に送られて、小田村敏夫は大きなバッグを肩に掛けて出て行きます。天宮婦警主任が後ろから歩いていきます。小田村が振り返って皆さんに手を振った曲がり角、そこには宝沢警察のパトカーが止まっていました。その車に乗り込んだ時、天宮婦警主任は小田村にこう言いました。『よく自首すると思い切ったわね。』『はい、亡くなった妻と真一に恥ずかしくって。』『こちら、天宮です!報告します。今夕陽ケ丘一帯に空き巣をはたらいていた容疑者、小田村敏夫の身柄を確保しました。午後345分、自首であります』。

 深沢周八はなんとも言えない虚しさで、一人師走の風に震えながら小田村の帰って言った道を眺めていました。『おじちゃんはどこ?』と、ふ〜ちゃんが周八に話しかけました。周八はただ黙ってこの子を抱きしめてやりました。

 黄昏斑のメンバーが周八を探してやってきます。園長先生も谷水アシスタントもいました。リチャード先生が大きな手を差し出しました。周八は生まれて初めて外人さんと心から握手を交わしたのでした。『皆さん長い間まことに有り難うございました。夕陽ケ丘5丁目の空き巣事件もここに一件落着しました。ご協力有り難うございました。さあこれからもう一仕事やりますか?どうですご同輩』。そう言った深沢周八の胸の中には、まるで若さを引き戻したような充実感が湧き上がっていました。山麓保育園の遊戯室には、白雪姫と七人の小人の縫いぐるみがそっと置かれていました。まるで小田村敏夫の帰りを待っているかのように・・・。横浜生まれの深沢周八、61歳の冬物語でした。 <完>

2015年3月23日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・早春の囁き(標高 1090 m)

【ふきのとうでペペロンチーノ】

 今年初めて雪解けした土の中から、可愛い蕗の薹が顔を出し始めました。早速、手作りパスタで、蕗の薹と、三陸産「干し網エビ」を使ってペペロンチーノを作ってみました。
蕗の薹のほろ苦さと香りを楽しみながら、美味しくいただきました。春はもうそこまで来ているようです。


(料理、写真、キャプションともAKIYO)

2015年3月22日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(39)】(標高 1089 m)


【男達の黄昏・・そして今(39)】

 山麓保育園では、園長の紺野美佐をはじめ谷水洋次アシスタントも朝から準備に追われています。子供達の父母も会場作りや昼食の準備をしています。黄昏班のメンバーは時間通り、12時過ぎに山麓保育園に着きました。途中で天宮真智子婦警も合流したようです。園長先生や父母が玄関で迎えてくれます。緊張して余り無駄口を利かない黄昏斑の面々でした。その頃天宮婦警は園長室で紺野と何か話をしていました。

 小田村敏夫とふ〜ちゃん達の車も、山道を上って今着いたようです。谷水が駆け寄ってきて荷物を下ろすのを手伝っています。運転手の女性がふ〜ちゃんの手を引いて玄関にやってきます。小田村は深沢周八の姿を認めた時、微かに笑って頭を下げました。周八もなにやら頷いて一礼したのです。保育園から少し離れて、一台のパトカーが木の茂みの中にひっそりと隠れるように止まってエンジンを切りました。広いお遊戯室にはもう子供達が集まっていました。父母の皆さんも後ろの方で子供達を取り囲むように座っています。黄昏班のメンバーも舞台の準備をしたりクリスマスの音楽を流したりと結構忙しそうにしています。やがて楽しい昼食の時間になりました。黄昏斑もそれぞれ持参の弁当を食べながら、子供たちと話をしています。

 ご飯が終わっていよいよクリスマス会の始まりです。園長先生が前に立たれて、クリスマスのお話しをされました。全員で『真っ赤なお鼻のトナカイ』の歌を合唱します。みんな元気に大きな声で歌いました。ふ〜ちゃんも顔を真っ赤にして歌っています。小田村敏夫は大きなバッグを肩に掛けて、ゆっくりと部屋に入ってきました。子供達が一斉にそのバッグを見ました。『ぼうや、こんにちは!』と口々に叫んでいます。みんなこの前の事をちゃんと覚えているようです。『良い子のみなさ〜〜ん。こんにちは〜〜。メリークリスマス』とバッグの中から「ぼうや」が叫んでいます。

 小田村敏夫こと、「川上ノボル」は正面の椅子に腰を下ろしました。紺野園長がお礼の挨拶と、今日の楽しい人形劇のことをみんなに話しました。大きな歓声と拍手があがります。深沢周八はその様子をじっと眺めていました。小田村敏夫は心鏡院の帰り道、周八にこんな事を言いました。『今度のクリスマス、真一の写真を胸に入れて出掛けるつもりです。』と。そのとき敏夫の胸のポケットには、幼くして「山麓保育園」のこの場所で死んでしまった長男真一の写真を忍ばせていることでしょう。

 『みなさ〜ん、こんにちは。ノボルちゃんで〜す。』『こら、わしの紹介さきにせんかい。主役はわしやで。』と「ぼうや」が柄悪く言いました。みんな大爆笑です。『そんな事言うもんじゃありませんよ。もっと上品にやって。』『これが地でんねん、ほっといてんか。みなさんお久しぶり、ぼうやでっせ!』。こんなやり取りがあって、「白雪姫と七人の小人」の人形劇が始まりました。白雪姫は「ぼうや」が真白いレースのドレスを着て演じています。

 七人の小人達は、縫いぐるみの人形が音楽に合わせて踊っています。小田村の操り人形の技が冴えているようです。それにしても多芸な男です。眠りについていた「白雪姫」が小人たちの介抱で目を覚まし、その白いドレスを脱ぎ捨てて、ぼうやが『変身〜〜ん!』と言った時は、会場は割れんばかりの拍手と笑いの渦でした。そのときリチャード先生の奥さん、キャサリンさんは人形たちのある場所に縫い付けておいた赤い糸をはっきりと認めていました。

 「川上ノボル」こと、小田村敏夫がみんなに向かってこう言いました。『可愛い皆さんメリークリスマス、これで私の人形劇を終わります。またお会いする日を楽しみにしています。みんなも元気でいてください。きっと、いつの日かまたここに・・・・。』そう言った時、彼の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちました。

2015年3月19日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(38)】(標高 1088 m)


【男達の黄昏・・そして今(38)】

 季節は確実に冬に向かって進んでいました。もうその年も師走を迎え夕陽丘5丁目にも木枯らしが吹き荒れる日も何日かあったようです。クリスマスイブが10日後に迫った土曜日、午後から黄昏班のメンバーが『明石屋』に集まって来ていました。大切な話があると、哲じいよりの連絡があったのです。なにか緊張した空気が、お店を支配しています。テーブルの上にはいつもの寿司もビールもありません。お茶がおかれてあるだけでした。哲じいが立ち上がっての挨拶です。

 『みなさんには師走の忙しい中、申し訳ありません。今日は我々黄昏班にとって大切な日であります。詳しい事は深沢周八さんより報告があります。周さん、じゃ宜しく。』そう言って山岡哲は腰を下ろしました。深沢周八は、座ったまま話し出しました。それは一年近くこの黄昏班が対面してきた「空き巣犯」に対する吾らの動きとその結果についての現状報告でした。

 彼は先日、「心鏡院」での小田村敏夫との二人だけの面談までを詳細に話しました。そして長年、夕陽丘一帯に入っていた空き巣犯が小田村敏夫であった事。そして小田村は既に悪行から足を洗っていること。クリスマスイブに山麓保育園で子供達に人形劇や腹話術を演じてくれる事。などでありました。『周八さん、よく小田村が自分が空き巣犯であった事を認めましたな。』と市村徳治郎が驚いた様に言いました。みんな一様に頷いています。リチャード先生はじっと腕組みをして何かを考えています。『シュウハチサン、コノアキスハンニンヲ、キャッチングデキタポイントハ、サマーノ、レイデイオ(ラジオ)タイソウデシタネ。』とリチャード先生は言いました。みんな何のこっちゃ、と言った顔をしています。

 『先生よくお分かりになりましたね、私も今振り返って考えますと、あのラジオ体操の朝がこの捜査(?)のポイントでした。』と周八はハッキリと言いました。それは彼ならきっと子供達と朝のラジオ体操をしているとの周さん一流の直感でした。そこから新しい展開になって行ったのです。深沢周八は今年のクリスマスイブには黄昏班がボランテアーで山麓保育園のクリスマス会のお手伝いをする事を提案しました。みんな心から賛成してくれました。そしてついにその日がやってきたのです。

1224日、朝11時黄昏班のメンバーは夕陽丘5丁目のバス停に集まっていました。ここからバスに乗って、途中で山麓保育園行きに乗り換えます。一時間そこそこで着くはずです。全員弁当持参でした。その頃、天宮真智子婦警主任は私服を着てマンションを出ました。そして彼女もバスに乗って保育園に。宝沢警察署では、香山部長刑事より指示を受けた若い刑事二名、パトカーに乗り込んで警察署の門を出て国道を右に曲がって北へ向かって走り出しました。

1130分、小田村敏夫は大きなバッグに腹話術の「ぼうや」と「白雪姫と七人の小人」を入れて、近所の原っぱの方に歩いていきます。そこには、小さな男の子が彼の来るのを待っていました。それは「ふ〜ちゃん」と彼が呼んでいた児童でした。どうやら一緒に山麓保育園に行くようです。子供の母親らしい女性が車を運転してやってきました。三人はそれに乗って保育園に向かいました。

2015年3月17日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(37)】(標高 1087 m)


【男達の黄昏・・そして今(37)】

 小田村敏夫はある小さな園芸業者に入って植木や樹木の事について修行しながら働いていた。今から20年以上前の事である。そこそこの腕前になって、個人の邸宅の掛かり付けの庭師として仕事を始めた頃、たまたま市役所主催の園芸展の手伝いをした。その時片槙京弥氏と初めて会ったのであります。片槙は小田村を殊の外可愛がってくれた。彼の不幸な半生に同情してくれた事もあったのだろう。そして片槙は椚台の邸宅の庭を任せてくれたのでした。広いだけではない。その庭は山と言っても良いほど広大であり、一年中仕事は切れることがなかったのです。

 片槙京弥邸の庭師と言っただけで、人々は小田村を信用してくれたものでした。だから彼にとって片槙は命の恩人でもあり、自分がここまで庭師の腕を上げることが出来たのも片槙京弥のお陰以外の何物でもなかったのである。

 『小田村敏夫さん、でしたね。』『そうですが、なにか?』『実は私、夕陽丘5丁目に住んでいます。』そう言った時、小田村の顔に、なにか分からないが怯(おび)えのような戸惑いが走ったのを深沢周八は見過ごさなかった。『夕陽丘5丁目で頻発しています、空き巣狙いについて私はこの半年間ずっと調べてきました。』小田村は何も言わず周八の話を聞いている。『まあ、聞いて下さい。私はその犯人が縫いぐるみを必ず持ち帰っている事。縫いぐるみ人形が誰かの手によって、あの“山麓保育園”に寄贈されている事実を知りました。そして山麓保育園を訪ねて、あの悲しい災害の事も知ったのです』。小田村敏夫は何か言おうとしたが、それは声にはならなかった。

 『そして私はその犯人が、ある文字で次のターゲットを指し示していた事実。それが”X”で象徴される最後の止めのマークであった事。我々はそれが、リチャード邸である事までは事前に分かっていました。しかしその”X“デイが分からなかったのです。』『深沢さん、そこまで知っておられたのですか』。小田村はそれだけ言ってまたじっと口を閉じた。『私はあの夏の日、貴方がラジオ体操のボランテアーをされている原っぱを訪ねました。その時貴方はあの“ふ〜ちゃん”と呼ばれていた子供に我が子を見るような優しい眼差しで接しておられた。私はその様子をみた時、貴方の心の中にいつも棲み着いている、真一ちゃんの声を聞いた気がしたのです。貴方がもう悪の道から逃れようと必死で藻掻いておられるという事をもね。』

 『貴方が今年のクリスマスイブ、山麓保育園を訪ねて人形劇を子供達にされるのではないか。そしてそれが貴方の社会に対するせめてもの懺悔になるのではと思いました。』『もう何も言う事はありません』。そう言って小田村は深々と頭(こうべ)を垂れた。『小田村さん、勝手な推測を並べ立てて申し訳ありません。許して下さい。』『深沢さん、そんな・・・』。そう言って小田村は流れる涙を拳で拭った。『でもいくら貴方が懺悔をしても、今までの罪は消えません。それはきちんと清算しなければなりません。でないと、奥様も、真一ちゃんもきっと天国で悲しむでしょう。そして貴方をここまで導いてくれた片槙先生に対しても申し訳が立たないのではないですか』。

 彼は大粒の涙を流して男泣きに泣いた。誰もいない心鏡院の墓所に、もう深まる秋の夕暮れが迫っていた。小田村敏夫と深沢周八は、心鏡院を出て肩を並べて蓬莱川に添って歩いた。周八は彼が描いていたシナリオをその帰路、小田村に話した。小田村は一瞬驚いたが、周八の目をじっと見つめた。そして持っていた荷物を横に置いて彼の手をぐっと握った。それは節くれ立った、職人の手であった。周八もぐっと握り替えした。その時二人の間には、男同士の心の繋がりがしっかりと出来上がっていたのでありました。

2015年3月15日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【熊の足跡】(標高 1086 m)

【ドームの階段周辺に熊の足跡が!】

 313日の午後のこと、ドームの階段に続く雪道に点々と残る動物の足跡。人間の大人の手の平くらいの大きさで、爪の形が雪にくっきりと残っている。マインヒュッテ周辺には、このような足跡を持つ生き物は熊以外にはいない。

 辺りに注意を払いながら、写真に収めたが、気温の上昇で少し崩れかけていた。午前中に訪ねてきた方も、『今年は熊の冬眠から醒めるのが、少し早いので充分気を付けて下さい。』との言葉を残して帰られた。熊も充分に食べ物を食べずに冬眠をしたらしく3月初旬に、もうお腹がへって早めに目覚めるらしい。



2015.3.13 早速鈴を付けて作業をする事にした。足跡は庵主撮影)

2015年3月14日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(36)】(標高 1085 m)


【男達の黄昏・・そして今(36)】

 二人が訪ねた嵐山周辺は今日のようにまだ観光化されていませんでした。周辺には畑が作られ、芋や野菜が植えてありました。渡月橋の畔(たもと)に腰をかけて、それでも錦秋の装いの嵐山を眺めて二人は幸せでした。薄倖の新妻、加奈子は敏夫にとって初めての女性でした。生きる為、がむしゃらに働いた敏夫にとってそれまで恋愛などする余裕がなかったのでした。その二泊三日の新婚旅行は二人にとって、初めての誰にも邪魔をされる事のない未体験ゾーンですらありました。

 初めて手をつないで歩いた嵯峨野の竹藪。秋の残照の中に照り映える柿の実に故郷の子供の頃に帰ったような気持ちがした敏夫と加奈子。旅館での粗末な夕食、少しの酒。それでも二人にとっては今まで経験したことのない至福の一夜でした。そして加奈子を抱いた夜、この幸せがいつまでも続いて欲しいと抱擁しあった二人は嵯峨野の夜の宿で、頷きあって御仏に心から祈ったのでした。

 その後加奈子に子供が宿り、男の子が生まれます。二人はその子を「真一」と名付けました。真一が3歳になった秋、母加奈子は原因不明の発熱が一週間続き手当の甲斐無く、帰らぬ人となったのです。敏夫はただ呆然として、一人小さな部屋の中でむせび泣く日をおくっていました。彼はその後真一を連れて、「山麓保育園」を訪ねています。生活するために息子を保育園に預けないと何も出来なかったからでした。そしてその真一を思いもよらない災害が襲うのです。

 それは母、小田村加奈子が亡くなって二年が経たない9月の事でした。敏夫は目の前から愛する二人を一瞬にして亡くしてしまったのです。彼は放心状態でただ何もする気力とてなく、二人のあとを追って自分も消えてしまいたい。そんな事ばかり考えて、時間だけが空しく過ぎて行きました。そんな頃ふと知り合った人の紹介で園芸関係の仕事をする事になり、植木職人への道が拓けたのです。彼が夕陽丘周辺の邸宅の庭の手入れをする仕事を得たのは、片槙京弥氏の庭園を任された時がきっかけでした。その頃から片槙京弥氏はこの宝沢市のコミュニテイー誌の編集長として健筆を揮(ふる)っていました。

「好事魔多し」と言う諺がありますが、彼はその出入りするお宅に空き巣に入ると言う禁断の木の実を食してしまったのです。深沢周八は「心鏡院」の境内に来ていました。寺院の中に沢山の墓があります。彼はそれらの墓の中から、「小田村加奈子・真一」の墓石を探しました。それは後ろが谷間に続いている、大きな菩提樹の下にありました。一端境内の中にある休憩所に戻ってお茶を戴きました。周八は小田村敏夫がきっとやって来ると考えていました。それまでここで待ってみようと思っていたのです。次のバスは11時半に着く予定です。それに乗って来るのではないかと心の中では決めていました。寺院の塀の上にバスの屋根が見えました。何人かの参拝者が降りて歩いて来るのが見えます。山門をくぐって入って来る人の一番後ろから、やはり小田村敏夫はやってきたのです。

 手に桶と花を持って、下を向きがちに歩いています。夏の原っぱでラジオ体操をしていた男性その人でした。休憩所の前を通り過ぎて、小田村の墓のある方に消えて行きました。微かに線香の香りが秋風にのって漂ってきます。しばらくして深沢周八は、真一ちゃんのお墓に向かって歩き始めました。小田村は花を生けて、線香を供えて静かに手を合わせています。周八はしばらく離れたところからその様子を眺めていました。小田村は傍の石に腰掛けて、タバコに火を付けました。周八はそっと近づいて行き、小田村に軽く頭を下げました。小田村は驚いたようでしたが、『どうも』とだけ言いました。

 周八は、自分の名前を名乗り、ここには「真一」ちゃんのお墓詣りに来た事を話しました。『深沢さん、ですか? 今までお会いしたことありましたかな?』『ええ、一度、とは言っても貴方はご存知ないかも。』『それは、いつの事で?』『今年の夏、原っぱでのラジオ体操の時です。私も参加させて頂いていて・・・』『そうでしたか、気がつきませんでした。それは失礼いたしました』。小田村はそう言って会釈をしました。

 『ところで何故、真一をご存知で?』ひときは大きくタバコの煙をはきながら言いました。『山麓保育園で知ったのです。』『ああ、保育園ですか?でも真一がいたのはもう随分前の事ですが。』『そうでしたね。それと貴方が腹話術のボランテアーに行かれた事も聞いています。』『保育園の関係の方ですか?』

 小田村敏夫は、周八をよくわからないようです。それは当然です、彼が夕陽丘5丁目の空き巣事件を調べている事など知りようがないからです。『今度の腹話術はクリスマスイブの日ですか?』『ええ、そのつもりです。』『私達もお手伝いに伺う予定なのですよ。』『ところで深川さん、真一の墓がここにあると、どうしてお分かりになったのですか?』
周八はどう応えようかと迷っていた。『先日、貴方がここから出てこられるのを見て、そうではないかと思ったのです』。どうしても天宮真智子婦警から聞いたとは言えなかったので咄嗟にそう繕った。

 『小田村さん、以前植木屋をしておられませんでした?』『はい、私は植木職人です。』『椚台の片槙京弥さんからも、貴方の事は聞きました。』『片槙先生をご存知なのですか?』そう言った時、小田村の背筋がピンと伸びた。

2015年3月11日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(35)】(標高 1084 m)


【男達の黄昏・・そして今(35)】

 牧場の施設で、チーズやバターの製造工程などを見学しました。みなそれぞれにお土産品を手にしてゲストハウスに帰って来たようです。大きな木製のテーブルにはランチが用意されています。全員揃ったところで、哲じいが一言挨拶をしてその後「地ビール・夢遥」で乾杯です。とっても美味しいサッパリとしたビールです。自家製ハムやチーズにとっても良く合う感じです。この牧場のもう一つの特徴は、シシ肉(いのしし)が有名です。この辺りの山には沢山の野生のイノシシが棲息しています。決まった時期に狩猟が出来るのです。そのイノシシの肉がとっても美味しいと評判なのです。寒い雪の降る日、このログハウスで大きな囲炉裏を囲みながらシシ鍋(ボタン鍋)をつつきながら、とって置きの地ビールを飲む。そうそう日本酒は池田郷の銘酒『呉春』に致しましょう。

 このハイキングが終わる頃には、そろそろ北の国からは雪の便りが届きます。黄昏班のメンバーは、『山麓保育園』のクリスマスイブの日にはボランテアーとしてお手伝いに参加するようです。 深沢周八は近い内に『心鏡院』に出掛けようと思っています。幼くして亡くなった小田村真一ちゃんのお墓詣りです。その日を1125日と決めていました。それは真一ちゃんの月命日であったからです。

 1125日、深沢周八は朝からなんと歩いて『心鏡院』に向かっていました。辺りはもう秋が深まっています。蓬莱川の川筋には、楓やイチョウの木が燃えるような晩秋の装いで迎えてくれていました。周八は、今日小田村敏夫がここにやってくるかも知れないと考えていました。彼の『競馬のレース』をよむ勘がこんな時まで役に立っているようです。それはメンタルな部分で小田村の心の中がよめるのです。リチャード先生宅に空き巣に入った(周八はそう確信している)小田村敏夫は、その後夕陽丘への空き巣はぴったりと止めている。と言うよりも、もう悪行から足を洗ったと考えた方がいい。あの男の子「ふ〜ちゃん」を見る彼の目は悪人のそれではなかった。慈愛に満ちた優しい目であると周八は思っていました。

 小田村敏夫の人生に、初めて訪れた心休まる生活。愛する息子、真一への供養と懺悔の心。周八は小田村の眼にその心の変化を感じ取った、というか嗅ぎ取ったと言った方が適切なのか、彼に何かが起こっている事が伝わって来たのでありました。菊や秋桜(コスモス)の花束を持って、周八は蓬莱川を上って行く。下からバスが追い越して行った。先月黄昏班のみんなと行ったハイキングが思い出される。あの時の天宮真智子さんの清らかな美しさに圧倒されて、目をはずした自分が恥ずかしくもあった。あの時、天宮が言った言葉が甦ってきた。『深沢さん、どうして真ちゃんのお墓の事を・・・』『なんでもないのですが、一度お詣りしようかと思って。』『そうですか、真ちゃんきっと喜ぶでしょうね。お母さんの愛も受けずに可哀想な短い命だったのですから』。

 昭和36年、小田村敏夫は一人の女性と心を許しあう仲になっていました。その人は同じ職場に勤めていた女性でありました。日本海の漁村から都会に働きに出て来たと聞いていました。その女性の名を、沢村加奈子といった。二人は明くる年結婚した。それはなにもない、誰も来ない二人だけの結婚式でした。そして小さな市営住宅に住まいをして、そこで真一が生まれたのです。

 敏夫は結婚した時、名ばかりの新婚旅行に加奈子を連れて京都「嵐山」を訪ねています。後にも先にも、一度きりの加奈子との旅でした。その時の新妻加奈子の喜ぶ顔が今も瞼に浮かんでくるのです。一人焼酎を呑みながら、加奈子と真一の事を思い出すのが小田村敏夫の日課になってしまったようでした。

2015年3月9日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(34)】(標高 1083 m)


【男達の黄昏・・そして今(34)】

 小田村敏夫は、『椚台』から夕陽丘一帯の邸宅の庭の手入れに植木屋として入り込んでいたのでした。仕事の合間にそれぞれの家の間取りや家庭の中の事まで知り得たのです。いつの日からか彼はそれらの家々を荒らしてまわる空き巣犯に成り下がってしまったのでした。深沢周八は、この事実を宝沢市警察が掴んでいるのだろうかと考えていました。事は急を要しているのです。一日も早く小田村敏夫に会って彼のシナリオを伝えたい。もう今年のクリスマスは間近に迫ってきているのでした。

 その年も既に残すところあと二ヶ月、十一月を迎えておりました。ここ夕陽丘にも冷たい風が『仙人岳』から吹き下ろしてきます。町の通りが、風の道になって時には突風ともなって楓の葉を巻き上げ、それは恐ろしい姿を見せているのです。その頃、黄昏班のメンバーは秋の「馬の背町」へのハイキングに出掛けるため日本晴れの日曜日、5丁目の公園に集まっていました。哲じいの先導で歩き出したのが朝の9時でした。

 参加者は山岡哲夫妻、上沼幸三夫妻、市村徳治郎さんの奥さんは健康上の理由から欠席です。リチャード先生、キャサリン夫人。深沢周八さん、そして寿司屋の明石鶴之進さん。それと3丁目のバス停から合流した、天宮真智子さん。合計10名でした。国道筋に出て、「馬の背町」方面行きのバスに乗ります。距離にして25Kmほどでしょうか? 国道を北へ走り途中で逢来川に添って走る。ちょっと寒い位の風が頬に心地よい。七曲がりをバスはゆっくりと上って行く。途中真言宗「心鏡院」の山門を右に見て「馬の背町」へと入って行きます。平安の昔に建立された、延喜式内社「馬の背神社」が苔むして鎮座ましましています。

 町役場の前でバスは止まる、ここが終点です。夕陽丘辺りと比べると海抜にして100mは高いでしょうか。それだけ外気温度も下がって、今摂氏12度を示している。当然周りはもえるような紅葉であります。早速、沼ちゃんはカメラを採りだして写真撮影に余念がありません。リチャード先生はなにやら古式豊かな、磁石などを取りだして方角のチエックをしています。奥さんの横で、山の方を指さして何か説明しているようです。英語で話しているので、何を言っているのか判りませんが、山の奥にお寺の屋根の先端が見えています。どうやらそれについて説明しているようです。

 このバス停付近で小休止という事で、それぞれ町役場のトイレなどに散っていったようです。徳さんは早速、ビールを取りだして飲んでいます。この景色の中で飲むビール、さぞ美味しい事でしょう。深沢周八さんは、じっと腕組みをして何か考え事をしているようです。この地域が今後の宝沢市発展のキーポイントとなるかも知れず、自分の目でしっかり確かめているのでしょう。その時彼の側に、天宮真智子さんがやってきました。今日の彼女は、普段の緊張感漂う宝沢市警察の婦警主任の面影は全くありません。明るいお茶目な女性としてこの自然の中に溶け込んでいるようです。

 深沢周八は軽く会釈をして、横のベンチをすすめました。少し離れて座った天宮の髪から、爽やかな香りが漂ってきます。まるで、宝塚歌劇の男役が今しも抜け出てきたようです。『天宮さん、少しいいですか?』と周八は言いました。『ええ、いつもお世話に・・・』そう言って彼女はウィンドパーカーの襟を立てました。『あの、小田村真一の事なんですが。こんな場所でお聞きしていいでしょうか?』再び彼は念を押しました。『真一がどうって?』『35年前の風水害で亡くなった真一。山麓保育園と小田村敏夫の繋がり、そして彼の保育園に対する思い入れ。年末クリスマスの腹話術。当然貴女は、それら全て掴んでおられる・・・。』『さあ、どうでしょうか? 私どもも仕事柄、それらに集中して対応していますからそれなりには』。と天宮真智子は周八の目を見て云った。周八は彼女に見つめられて、自然に目をそらせた。吸い込まれるような深い目の色である。『一つ教えて頂けないでしょうか?』『はい、なんでしょう』。そう言って天宮は再び周八の顔を見た。

 どうやら、彼女は人と話すとき必ず相手の目をじっと見る癖が付いているようであった。警察官の身に付いた習わしであろうか。『真一ちゃんのお墓はどこにあるのでしょうか・・・?』『お墓? 真ちゃんの?』天宮も驚いたようなリアクションであった。しばらく考えていたが、『真一ちゃんのお墓は、ここへ来る途中バスが通ってきた心鏡院にあります。』『ああ、そうですか。有り難うございます』。周八は礼を言って頭を下げた。
『深沢さん、どうして真ちゃんのお墓の事を・・・』『なんでもないのですが、一度お詣りしようかと思って。』『そうですか、真ちゃんきっと喜ぶでしょうね。お母さんの愛も受けずに可哀想な短い命だったのですから』。

 大きな檜の前で山岡が、集合!と叫んでいる。どこからともなく9人の参加者が木の周りに集まった。これから、牧場を目指して出発である。空はあくまで青く、空気は凛とした風となって川面を駆け抜けてくる。先頭を行くのは上沼夫婦、みんな一様に子供の頃に帰ったような気持ちがしていた。宝沢市、馬の背町切畑、「夢遥牧場」(ゆめはるかぼくじょう)には牛や羊が、草原を亘る風にアルペンホルンの音色の中で群集いながら草を食んでいました。大きなログハウスが見えて、屋根の上から白い煙が上がっている。もうストーブを焚いているのでしょうか。メンバーはみな、ここが宝沢市とは思えなかったのです。

 ほんのりと木の香りがする、「夢遥牧場ゲストハウス」です。大きな入り口、檜と杉の木をふんだんに使った丸ログ。これらの素材は全てここ「馬の背町」の山林から伐採されたものである。やはり日本の木材の素晴らしさが随所に感じられる木造建築である。広いホールには、大きな木製テーブルがゲストを心優しく迎えてくれる。黄昏班のメンバーは、腰をかけてコーヒーを注文しました。コーヒーサイフォンから醸し出される香ばしいかおり。南側に開けている森林の風景が、おおきなガラス窓より見える。牧場では牛や羊が草を食んでいる。ここは岩手県の「樅の木牧場」(もみのきぼくじょう)と提携をしています。かつて阪神淡路大震災の時、かの地より多くの支援を戴いたのでした。今年もお互いの牧場に働く青年の「交換留学」が行われていました。

 岩手県よりやって来た青年が、コーヒーを運んできます。香り高い一杯のコーヒーの中にも、山の自然と人の優しさが溶け込んでいるようです。リチャード先生ご夫妻も、アメリカ、ワイオミングの故郷を思い出して感無量と言った面持ちで外を眺めておりました。

2015年3月6日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(33)】(標高 1082 m)


【男達の黄昏・・そして今(33

 自称『川上ノボル』こと、小田村敏夫はクリスマスイブの日に演じる『腹話術』の準備と練習に余念がなかった。今回は彼の心の中に描いていた、『白雪姫と七人の小人』のお話しを人形劇のタッチで演じようと決めていた。部屋の隅に並べられたその人形達は、あの日リチャード先生の応接間にいた人形達なのであろうか? 今はまだそれは分からない。山麓保育園の子供達が喜ぶ光景が、彼の心を序々に清らかな状態に変えていくようであった。

 山岡周八はその後、自分の書いたシナリオに添って行動を開始していました。その為にはなんとしてもクリスマスの日までに、その男小田村敏夫と会っておきたいと考えていたのです。それは、宝沢警察署の香山雄三部長刑事が言った『深入りをしないように』と言う戒めを破る事でもありました。ある危険を侵してでもその目的を果たさないと、彼の描いたシナリオは途中で挫折するからに他ならないと思っていました。そうは言っても何の繋がりもないその男に会うなんて、どう考えても容易な事とは思えなかったのも事実でした。また小田村もそれなりにガードを固めるに違いないでしょう。深沢周八の胸の中に去来していたのは、小田村敏夫の早世の息子『真一』と、この夏の朝、小田村と話をしていた『ふ〜ちゃん』と呼ばれていた男の子こそが彼ら二人をを繋ぐ唯一の紐だと確信していました。

 季節は中秋の鰯雲をつれて、夕陽丘5丁目から眺める仙人岳の山頂を美しい夕焼けで染め上げていました。朝晩の冷気は一層、山裾から広がっていく広葉樹林を遠目から見ても色鮮やかに変えつつあるのです。黄昏班のメンバーはそれぞれに新しい季節の到来に向かっての準備に余念がありませんでした。紅葉の頃に、『馬の背町』へハイキングに行く計画も進んでいました。日曜日なので、あの天宮真智子さんも是非参加したいとの事。みんな何故だかそわそわしているのは一体どうしてでしょうか?

 山岡哲はその後何度か、『椚台』の片槙京弥氏の邸宅を訪ね来年の市会議員選挙についての勉強と構想を練っておりました。黄昏班が白羽の矢を当てた候補者、深沢周八は仲間の熱心な説得に、心は少しづつ動き出していたようです。そうは言っても全く未知なる世界に、周さんならずとも不安と戸惑いを感じているのはやむなき事であります。山岡氏から聞いたところによると、当選に必要な票数は4,000票以上だとか。気の遠くなるような数字にその不安は益々つのって行きます。しかしそこは、データ分析の周八さん、それなりに彼一流のシナリオを既に書きつつあったのです。世の中、出来る人はどこにでもいるものですね。

 そんなある日、山岡哲は深沢周八を伴って『椚台』の片槙京弥氏を訪ねています。黄昏班の市会議員候補予定者、深沢周八を紹介するのが目的でした。片槙翁はいつもの羽織袴姿で紅葉に彩られた邸宅の庭を散策しているところでした。若い書生然とした青年に案内されて、翁の居るお庭に入りました。大広間から眺めるお庭とは全く違った景色が広がっています。大きな池があって、その畔に東屋が造られています。翁はその東屋で池の鯉に餌をやっていました。大きな錦鯉が折り重なるようにして餌に殺到しています。

 『先生、お早うございます。この前お話ししました深沢周八氏です。』『深沢です、初めてお目に掛かります。宜しくお願い致します』。と神妙な姿勢で周八は深く腰を折りました。『ようこそ、深沢さん。貴方のお噂はかねがね聞いていました。いや山岡さんからじゃあありませんよ。』『と申されますと。』『実はあなた方も知っておられると思うが、市警察の香山雄三は私の遠縁に当たるのじゃよ。』『ご親戚ですか?』と山岡。

 『そうは言っても、滅多に会うことはないがのう。この前私の母の法事で彼と出会ってな、世間話の中で君たちの事を聞いたのじゃよ。その時深沢さんのお名前が出て、面白い人じゃとの記憶が残ったのです』。そう言って片槙は書生の運んできた茶を飲んだ。二人もお茶をいただいた。まろやかな上質の旨いお茶であった。池にかかる老楓が燃えるような葉を揺らせている。都会の中にある、まるで別天地のような片槙邸。妻を早く亡くし、今では書生と二人でこの邸宅に住んでいる。一人娘は、大手薬品メーカーの社長に嫁いで関東に住まいしている。一年に一度、母の命日にここに帰って来るが、なにしろ忙しい身ではあるらしい。それもそのはず彼女はその会社の取締役を務めているからである。

 山岡が先日伺ったとき築山に見た「蜜箱」が書生の手によって運び出されて行く。どうやら今日辺りが「採蜜」の日らしいのである。その時深沢周八が京弥翁に問いかけた。『あの蜜蜂の箱は、出入りの植木屋さんが置いていったと山岡から聞きましたが・・・』『おう、あれはもう長く出入りしている植木屋の道楽らしいのだよ』。『その植木屋さんのお名前を聞かせてもらえませんか?』『小田村だが、それがどうかしたかな?』

 『いや、どうって事はないのですが私も蜜蜂に興味があるものですから。』そう言ってさりげなく話を交わしたのでした。やはり小田村敏夫は植木職人であった。だからあの日、リチャード先生宅に事もなく入り込んだのであろう。それも変装して顔形を完全に変えてしまっていたのであった。

2015年3月5日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【春の兆(きざ)し】(標高 1081 m)

   明日は啓蟄だね 昆虫たちが土中から動き出す日
   
妙高山麓はまだ 春の野鳥が騒ぐていどなのに

   今宵は満月だよ でもスーパームーンではないよ

   2015年では最も 小さな満月になるんだってさ

   そう言えば夕方 日が長くなったのを感じるよね

   木の影が西から 東に伸びて 南風が頬に優しい

   昨日まで屋根に 積っていた雪も消えてしまった

   そんな時ふっと 雪のスロープを歩きたくなった


  (夕暮れのマインヒュッテの雪原 2015.3.5 Pm4