2012年10月31日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・リニューアル梅田<標高481m>


【生まれ変わった阪急梅田駅界隈 2】


阪急電車梅田駅の1階ムービングウオークに乗ると阪急百貨店の前に出ます 広々としたフロアーは見通しも良く待ち合わせにも便利ですよ


ショーウインドーには薔薇の花ボールが飾られ歩く人々も足をとめて見入っています 口々に『これほんまもんの花やろか?造化とちゃう・・・』『う〜ん うまいこと出来てるは
奇麗やね』と言った会話が聞こえて来ます


ちょっと絞り込んだ光量が落ち着いた雰囲気を感じさせます
以前はせわしなく歩いていた人々もリニューアルしてからは
ゆっくりと楽しむように歩いていますよ 心のゆとりが得られます


メルヘンの影絵は子供たちの人気者 『メリーゴーランドに見とれる女の子』を見つめる子供たちの歓声 そこには夢の世界へ渡る小さな架け橋がたしかに存在するのです

(庵主の日時計日記:歓びの発見)より 

2012年10月30日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・画廊・馬岩(バロック)<標高480m>


【妙高市 いもり池】



最近妙高高原に滞在されたF氏が 秋の妙高山といもり池を独特の感性を駆使した作品を送って下さった

この作品はなんと『絵手紙』なのです 小さな空間に壮大な山容と透き通る池の配置の見事さに感動したので この度 【画廊・馬岩(バロック)】に展示させていただきました Fさんありがとうございました

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年10月29日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・再びのお知らせ<標高479m>


【妙高高原混声合唱団 定期演奏会】


宜しくお願い致します

☆ ★ ☆

<この場をお借りして庵主よりお知らせ>

11月より平成17年頃書きましたフィクション小説をアップさせていただきます
舞台は兵庫県神戸市旧居留地海岸通りの小さなジャズパブ『維摩(ゆいま)』での日常です ノスタルジック・ノベルとでも言いましょうか 港町神戸にあやなす人間模様です


2012年10月28日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・リニューアル梅田<標高478m>


【生まれ変わった阪急梅田駅界隈 1】


新しく生まれ変わった阪急電車大阪梅田駅界隈を週末に訪ねてみました 阪急百貨店の周辺には人が溢れていました
それもそのはず 梅田駅コンコースからJR大阪駅までがワンフロアーで繋がったのです



それまであった通路の柱が十数本すべて取り除かれ 見通しは抜群 天井は高く壁には美術館風の装飾が施され 穏やかなライトニングに歩いているだけで優しさを感じるヒーリングゾーンになっています

チェロを弾く婦人とヴァイオリンを奏でる男性 そこには音楽を通して繋がる人間の心が表現され その心が愛となって昇華していく歓びすら垣間見えているのです

いましも焼き上がった骨付き肉をテーブルに運ぶシェフ
その前をいかにもこのレストランの主人であるかの様な誇りをもってワインを捧げ持ち 胸に金バッチをつけたソムリエ・ドッグのバロニカ 

この2葉の影絵から【愛と夢の物語】が限りなく生まれてきます明治43年(1910)3月10日に開業したここ阪急電車大阪梅田駅その100年に及ぶ歴史の歩みはこれからの未来に光の帯となってより安全に駆け抜けて行くことでしょう 素敵な空間をありがとうまた歩かせてもらいます

(庵主の日時計日記:歓びの発見)より





2012年10月25日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高477m>

日本旅行協会『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第  17  

日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より
北信濃泉周遊  別所、田澤、沓掛、戸倉、上山田、平穩七湯

                                          田中 聖二
更に戸倉から汽車で長野に行き、長野電鐵線で信州中野まで行くと有名な平穏の泉郷に近い。平穏は最近山の内泉、と改され、湯田中、安代、渋、上林、地獄谷、發哺、角間の七泉に分たれてゐる。


その中でも湯田中、安代、渋が殊に名があり、遠く東京、大阪、及近在の浴客が集まってゐる。殊に七湯のなかで泉情調の濃いのは湯田中泉で、放浪の俳人一茶でさへが、ーー田中河原と言ふところは、田のくろ或は石のかげよりぬくき湯沸々と出でただいたずらに流れ散りぬ。あはれこのものひとつなりともおらが村里に湧きたらんには地獄にて佛を拜むよりもまさりてよろこばしからましをこの里人はさらに湯とも思はざりけり、句にーー

『雪散るや湧きて捨てある湯のけむり』とおらが郷里の爲に、大に羨んだ揚句、ーー湯のあるところに山陰ながら、糸竹の聲つねにして、老の心もうきたてさながらに仙窟に入りしもかくあらんとゆ、句に『三絃の撥で掃きやる霰かな』と一夜遊んだらしい遊郭があって旅の徒然を紅く彩ってくれる。


湯田中は養の地ではなくて歡場だ。藝者も七八十人ゐるし相當なカフエーもある。此處は他の泉場の玄關口に當り、北方に妙高、戸隠、斑尾、姫の高山が巍然として聳えてゐる。眺望は更に男性的で粗だ。安代、渋は湯田中より自動車の便を借りて更に八丁。他の諸泉は周圍に散在してゐる。泉は鹽類泉と硫黄泉の二種があって慢性レウマチス、婦人病、泌尿病、花柳病、水銀中毒、創傷炎、脚氣に効く。



旅館

湯田中ーー万屋、湯本、大見崎屋等

安 代ーー鹿表閣、山口屋等

渋  ーー金具屋、山本館、つぼたや等



宿料はいづれも二圓から三圓五十錢、尚この泉の特徴は自炊制がが實によく完備してゐる事。それは晩秋頃になると近在の農家から一家をあげて入浴にくる爲に備へたもので一日五十錢位から一圓五十錢位であがるやうに出来てゐるのは便利だ。(昭和7年当時の価格)



名産には湯の花、あけび蔓細工、蕗砂糖漬、凍豆腐、山葡萄、桃、山兎等がある。

<庵主よりの一言>

80年前の紀行文にも紹介されている『渋温泉・金具屋』は現在8代目の歴史を重ねておられ、既に9代目を承け継ぐ西山和樹氏がホームページにおいて「金具屋の歴史」を語っておられます。

少しだけご紹介いたしましょう。『当館は宿屋になる前は、松代藩出入りの鍛冶屋でした。当館の前を通る道は、善光寺と草津を結ぶ草津街道であり、志賀高原の山越えの宿場町として栄えていたのが渋温泉でした。当時の交通手段は馬や徒歩、馬具の整備や蹄鉄を作っておりました。ところが宝暦四年(1754年)、裏山「神明山」が崩れ、渋はほぼ半分が土砂に埋まるという壊滅的な被害を受けます。当館のあった場所も土砂に埋まってしまいました』

『その災害の復旧中に敷地内より温泉が湧出し、それを機に宝暦八年(1758年)に宿屋となりました。前身が鍛冶屋であったため、当時の松代藩主から「金具屋」と命名されたと言うことです。これが金具屋の創業となります。現在の渋温泉が傾斜地になっているのはこの時崩れた土砂の上に街が作り直されたためです』(西山和樹氏)
館は宿屋になる前は松代藩出入の鍛冶屋でした。当館の前を通る道は、善光寺と草津を結ぶ草津街道であり、志賀高原の山越えの宿場町として栄えていたのが渋温泉で

2012年10月24日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高山頂雪化粧 <標高476m>


【妙高山の写真を撮りに出かけたら・・・ええっ!!】


妙高山に雪が降ったので 早速写真を撮りに出かけました
山頂から袖を引くように薄らと雪化粧をしていました


さて帰ろうかと周りを見た時 昨日の雨に濡れた砂地に クッキリと熊の足跡がついているではありませんか
大きなのと小さいのがありましたから 親子の熊がついさっき歩いた感じでした 持っていた熊鈴を大きな音でならしながら注意深く歩いて帰って来ました

熊もそろそろ冬ごもりの準備をする頃です お腹が減っているのでこうして森から出てくるのです 

(庵主の日時計日記:自然と私)より


2012年10月23日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・そろそろ冬支度 <標高475m>


【今年の冬 雪は多い? それとも・・・】


仲間が集まるときまって『今年の冬はまた豪雪だろうかね』と言った会話が聞かれます

昨年の冬は稀に見る大雪で 雪下ろし中の事故が多発し 地滑りなども発生しました 雪も一切手を緩めること無く降り続きました

『カメムシの発生は昨年より少ないし カマキリの卵も普通の高さに付いているし う〜ん ボクの心もとない判断では例年並みだと思いますが・・・』とお答えしています

それと冬支度は別問題です そろそろ薪の整理と今冬に使用する薪を地下室に目一杯搬入します 雪が積もると薪置き場から移動させるのは困難です 昨年は『焚きつけ(小枝など)』の用意に失敗し3月中旬ころからストーブの点火時に困りました そんなこともあって今年は十分備蓄しています

雪が降り出す前に『煙突のメンテナンス』をすることにしました



足場も組み上がりました 準備はスケジュール通り進んでいますが ボクの腰の調子の方が問題です でもそんな弱音を吐いている場合ではない! 気合いを入れてパワーアップ!!

(庵主の日時計日記:自然と私)より






2012年10月21日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・もうすぐハロウイン <標高474m>


【ハロウンとカボチャ】



キリスト教にとってはハロウンは大切な祭祀であります 11月1日の万聖節(全ての聖人を記念する祝日)の前夜祭がハロウンという事ですから 10月31日がそれにあたります
簡単に申せば 秋の収穫を祝い悪霊を追い出すお祭りです

数千年前の古代ケルト人の祭りがその起源とされているようです古代ケルト人は10月31日を大晦日と定め その夜を死者の祭りとしていました

死者の霊魂が親族を訪れると言った考え方は 日本の『お盆』と似ていますね 死者の霊が悪戯をしないように焚き火を欠かしません それも日本の『お灯明』や『提灯』の風習とどこか似ていますよ

仮装して子供たちが街を歩くのや 家々の窓を叩いてお菓子をねだるのは 日本の『地蔵盆』とどことなく似ています
でも日本では仮装した子供たちはいませんがね ハロウンのシンボルカラーはオレンジと黒です カボチャをくりぬき目鼻口をつけた提灯を作ってつり下げたり ガイコツや黒猫 クモやクモの巣で街を飾るのも悪霊退散のおまじないかもしれませんね

古代ケルト人たちは死者の霊を慰め 先祖に感謝し 豊年満作を祈り年を越したのです 昔の日本人も住む場所は違っていても『魂の永遠性・輪廻転生』などを祈る『お盆』や『大晦日の除夜の鐘』などの行事として今に残しているのです
(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年10月20日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝の落葉松林 <標高473m>


【キノコがいっぱい】


今朝の落葉松林はことのほか美しかった 朝露が降りて羊歯がとっても瑞々しい こんな朝にはキノコが出るので早速行ってみました


落葉松のまわりにドクダミなどが生えています 群生するように出ているのはナラタケのようです でもオオワライタケ(毒キノコ)にも似ていますので今回はパス


針葉樹林によく出るイグチダケ このキノコは食用になります みそ汁の具にも良し 茹でてポン酢で酒の肴にももってこいですでも傘が開かないまだ子供のよう小さいのが美味しいですね


これ以上大きくならないのが良いね 至る所にいろんなキノコが生まれています 探すだけでも楽しいですよ 
あとヤブタケ ヒラタケ じごぼう など専門家は森の奥に入り込んで収穫しています でもねえ〜今年の秋は熊がよく出るので充分気をつけないと・・・

一昨日は知人の山に入って来ました その方はいろんなキノコを栽培していて とれとれのナメタケを頂き感動しました
妙高山は10月19日朝初冠雪を迎えました 2,454mの頂上がうっすらと雪化粧しましたがすぐに解けてしまいました
こうして季節は日に日に冬に向かって進んでいるのです 

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年10月19日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・お知らせ <標高472m>


【妙高高原混声合唱団 定期演奏会】


春 雪解けを期して練習に励んでまいりました 私たち妙高高原混声合唱団は今年も演奏会を開催致します

合唱組曲 くびき野「春」

県民の歌 「故郷の春」

混声合唱組曲「リボンの歌」〜1 オーロラ

★ ☆ ★

「母の手」混声合唱組曲より

たんぽぽ

いのち

母の手

木のように  他

☆ ★ ☆ 

賛助出演:男声四部合唱・『メイルクワイア3 1/2』


是非ご家族お誘い合わせの上ご来場下さいますようご案内申し上げます 



2012年10月18日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高471m>


日本旅行協会『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第  16 



日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より

北信濃温泉周遊 別所、田澤、沓掛、戸倉、上山田、平穩七湯
                              田中 聖二


別所温泉ではーーー兄さん、今晩は、お寂しいでせう。

と馬鹿に察しのいいのがゐて嬉しくなる。



温泉は硫黄泉と、純泉の二種類があり、レウマチス、痛風、婦人病、皮膚病等に効能がある。面白いのは石湯と言ふのがあって自然石にまれて湯槽をなしてる。男女混浴である。

名勝として、北向山大悲閣、脊後は山お負ひ北に面し間口五間奥行七間、二重の杮葺で本尊は千手觀音。護摩堂は不動明王を祀り、天文二年慈覺大師の開基だと言はれてる。維茂塚、温泉場の入口左側小丘の上に草に埋もれてる。七尺五寸、四面八重の石塔で、 餘五の將軍平維茂が戸隠山の鬼女を退治した際の手創をこの温泉に療し、此の地に歿したその墓。

旅館には、柏屋、花屋、新井屋、萬屋、上州屋等が大きく、いづれも一圓五十錢から三圓位。何處にも内湯がある。

名産 七久里漬、七味唐がらし。
上田に戻り、青木行の電車に乗ると西南四里と言ふ處に田澤温泉がある。青木迄電車賃三十三錢。青木から乗合自動車で三十丁四十錢で行ける。
田澤温泉は海抜二千二百尺の高地にあって、子壇弓獄の麓にある。三面翠山に擁せられ、上田盆地の一帶が下瞰でき、實に雄大な眺望を持っている。 
たまりや旅館の内湯になってる子持湯と言ふのは、坂田金時の母山姥の産湯として婦人客が好んで入浴してる。此の温泉は都會の知識階級の客が多いので氣持がいい。

附近には又沓掛温泉がある。青木から乗合自動車で四十錢。この温泉は無色透明、硫化水素を有し、關節炎、痔疾、神經痛に効能を持ってる。
上田から信越本線で更に北行三つ目の驛戸倉で下車すると、戸倉温泉と上山田温泉がある。驛から十三丁、自動車十五錢、戸倉は千曲川に沿って軒を竝べ、上山田は山を背景としてゐる。此の邊の千曲河原は實に美しい風景を持ってゐて散策にいい。
正木不如丘作るところの千曲小唄に、

岩間逃げ水よひそひそ小道よ 木の根草の根わけてきて
さざめき合へばよ うわさ末廣千曲川
宵の睦言 ほろほろ河鹿よ
戀の姿の月見草 湯の町戸倉よ うわさ末廣上山田

と言ふのがあるやうに、河原の夜となれば月見草がぽっかりと音して咲き、河鹿がほろほろと實に可憐な聲をたてて啼いてゐてひとしほに温泉情調をそそってゐる。戸倉も上山田もアルカリ性の反應のある硫黄泉で脚氣、消化器病、皮膚病、痔、神經痛によく効く。

名勝には、
姥捨山がある。一里二十町、北西の山麓八幡部落まで乗合自動車の便がある。姥捨山は觀月の名所として知られ、田毎の月が名高い。『嫂(あによめ)や姥ひとりなく月の友 芭蕉』
『信濃にも老の子はあり今日の月 其角』
歸る雁田毎の月のくもる夜ぞ 蕪村
八月十五夜滿月は千曲川を隔てた相のやま鏡䑓山にかかり眺望がよく、又遠くに川中島平のはて長野市の灯がきらめいて美しい。對岸坂城の町には葛尾の古城址がある。

名産、
名産として眞先にあげねばならぬのは「更科蕎麥」であらう。その風味は流石本場だけあって美味。その他杏、柿、松茸、千曲川で獲れる鯉。

旅館、
戸倉ーー笹屋、千曲館、戸倉ホテル等
上山田ーー龜屋、柏屋、上山田ホテル等
皆内湯の便があって家族同伴に適してる。宿賃一圓五十錢から三圓程度、自炊ができる。

<庵主からのひとこと>
今から80年ほど前の紀行文ではあるが、懐かしい地名やら、いまだに現存する旅館等もあって、その時間の流れの中での紆余曲折も偲ばれるのである。金銭感覚は如何ともしがたいが今の宿泊代が仮に一泊二食付で15,000円とすれば、当時の10000倍か。乗合自動車(タクシー)が2km15銭だったとすれば今の価格では単純に計算すれば1,500円になる。なるほど納得は出来るというものだ。

2012年10月17日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 470m>


【アカタテハもやって来ました】


白樺の木にとまって日向ボッコをするアカタテハ 白樺にとまるのはこの蝶が多いね 


アザミの花に戯れて蜜を吸っています この数日晴天続きでタテハチョウが帰って来ました 今夜から雨らしいのでこれが最後になるかも知れないので カメラを持って歩いています 妙高山頂では今週エンドには初冠雪を見るかも そんな気がする風が流れて行きます

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年10月15日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 469m>


【ルリタテハがやってきた!】


昨日の午前中 タテハチョウの仲間のなかでもとりわけ美しい蝶と云われるルリタテハが7頭(匹)ほど家の周りを飛びました その訳はどうやら夏から秋にかけて樹液を出すクヌギ(櫟)がここ数日たくさんの樹液を出しているからなのです


 

そこにはスズメバチやアカタテハなどに混じってボクの大好きなルリタテハが蜜を吸っていましたよ
夏に見たルリタテハより翅がボッテリとしているのは寒冷地バージョンなのでしょうか? 肢体全体が黒褐色とルリ色の帯を纏ったそれは美しい蝶です(光のあたり具合で色目が変わります)



スズメバチが2匹蜜を吸っています その横に翅をたたんだルリタテハがいます こうして昆虫たちに吸蜜されると その刺激で木は一層樹液を出すのです いろんな虫がきてほじくって穴を開けていますね
このように虫たちが潜り込んで木を傷つけてしまうと 大雪に耐えられなくなって倒れてしまうことも多いのですよ

(庵主の日時計日記:自然と私)より



2012年10月14日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 468m>


【アマガエル見つめる先に野竜胆 庵主】




もう朝の外気は5度を切っています そろそろアマガエルも木の葉の蔭に隠れてしまうでしょう
ミヤマリンドウがぽつぽつと花を開いています 迷彩服をまとったカエル君も見納めのように花をながめていましたよ 




高原の花々たちの中でも ボクはこの清楚な野花に拍手を贈りました なぜかって? この花こそボクのブログのタイトルのヒロインだからなんです

『花アル時ハ花ニ酔ヒ 風アル時ハ風ニ酔フ 自然法爾のおきどころ』

(庵主の日時計日記:自然と私)より 


2012年10月11日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 467m>


日本旅行協会『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第  15 



日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より

北信濃温泉周遊 別所、田澤、沓掛、戸倉、上山田、平穩七湯
                            田中 聖二

みすず刈る國信濃路の旅ーー蒼くたかく杳とした空と白雲と、そしてそのしたの果てもない山脈。高原地帶の密林のなかに匂ふ白樺。峡路の底をさんさんとして流れる千曲河原に咲く宵待草の美しさ。


信濃への旅は私の永い間の夢であった。都會の巷塵に埋もれながら、その濁った空の彼方に私は常に聖爽とした山脈や草原や温泉を夢みてた。信濃の生んだ詩人島崎藤村が歌ってゐる。



小諸なる古城のほとり 雲白く遊子かなしむ

暮れゆけば淺間も見えず 歌哀し佐久の草笛



遂に私の旅情は、私を信濃路の遊子として、漂然と上野を發たしめて終った。山河極まりない自然のふところへーー



夜行十一時十五分上野驛を發車した汽車は、横川で電氣機關車を連結させて、上信の國境碓氷峠を越え、二十七のトンネルを通過して井澤で黎明を迎へる。ほのぼのとした朝霧を透して展開された風景ーー打ち續く草原の彼方、なびき合ふ薄や尾花や、白樺の林の間に見えがくれして點在する赤い家や三角の屋根のある建物。

この野趣ある異國的な風景は人の心をすっかりエトランヂにして終ふ。軈て汽車は矢のやうに信濃路を指して走る。山に阻まれた沿線、落葉松と白樺の林をくぐり、佐久の平原を過ぎ、黒煙と共に火を噴く淺間を右にして上田驛だ。


には眞田幸村の城址がある。徳川秀次指揮の關東百萬の軍勢をこの小城ひとつで食ひとめたと言ふ軍記で馴染深い古城である。
私は上田から西南二里二十丁の別所温泉を先ず志した。別所温泉は電車で四十分(三十三錢)激流岩を噛む千曲川を南に越え、藍田平の極まる處、男神岳と女神岳の裾合にある眺望開溪。とほく
淺間
の噴煙を望むことができ、廣漠たる平原のなかを千曲川が銀色に輝いて長驅北行して
るのが見える。



往昔日本武尊が東征の途次、大己貴命の示現によって七カ所の噴泉を開かれたと言はれてる。だから別名七苦離の湯とも呼んでる。又天武天皇の御製の『信濃なる古き宮居の女夫山萬代つぎてみたらしのみ湯も此の地を詠ぜられたとも思はれる。町にはなまめかしい湯のかほりと、絃歌が常にみちてる。旅宿の二階の手欄に倚てると、道を通る藝者が聲をかけて行く。


<庵主よりの一言> 今日から田中聖二氏による『北信濃温泉周遊』をアップさせていただきます。80年ほど時は遡って、長野県北部の温泉地を紹介しています。この写真は記事とは直接関係はありませんが、信越本線黒姫駅前の風景です。この『ふじのや』(藤野屋旅館)さんは登録有形文化財に指定されており、創業明治43年と言いますから、105年の歴史を刻んでいます。ゆっくりと、ほっこりとしたタイムスリップの旅を楽しんでみて下さい。

(庵主の思い出日記:時を戻して)より 続きます


2012年10月9日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 466m>


【怪しげな訪問者・・その正体とは】


ちょっと そこにいるのは誰なんだい? サーチライトのような目でこっちを見ないでよ アッお前はムジナだな またボクをだましに出て来たんだろう


違いますよ あたしたちはこの近くに住むタヌキの家族ですよ 村の中で空き家になっているところに ちょいとご厄介になっていますんで ハイ 今日はまだ何も食べていないんで庵主さんの敷地におじゃましたって案配で・・・


そうかい腹へってるのかい へえ〜4匹家族なんだ カエルやミミズもたくさんいるから ゆっくりしていきなよ
でも畑を荒らすんじゃないぞ! この前ほじくり返していたのはお前たちだったのか

ごめんなさい 好き好んでやってるんじゃありませんよ 森の中に食べ物が無いんで そんでちょっと・・・

★ ☆ ★ 

いやあ 真っ暗な中に怪しげな動物がうごめいているのは やっぱ不気味ですね でもタヌキとわかって安心しましたよ

(庵主の日時計日記:自然と私)より


 









2012年10月8日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・高原の贈り物<標高 465m>


【シュウメイギク・秋明菊】


今年も腕に一杯の花を抱えて訪ねてくれた女性

その優しさをミルク缶にそのまま生けてみました

清楚な姿は彼女の庭に咲く「風の花」そのものだ

秋明菊 その花束の中に包まれてみたい心地よさ 

そんな気がして今朝も立ち止まって見つめている

(庵主の日時計日記:自然と私)より