2013年10月31日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・地元よりのお知らせ <標高 784 m >

【生長の家越南教区・相愛会教区大会】


2年に一度の相愛会(男性の)大会です 皆様方のお越しをお待ち致しております ふるってご参加下さい

男の生き甲斐 心と健康の問題 地球温暖化を是正し住み良い地域創りとは 異業種の仲間達との情報交換 など盛りだくさんの講演会です

(参加費はお一人1,000円です 昼食の弁当付きです)

2013年10月30日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 783 m >


花一輪・恋の笹舟(二十二)

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

 「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦」

深く息を吸って陀羅尼を唱え、弘法大師の作と伝えられる御詠歌「阿字の子が阿字の古里立ち出でてまた立ち帰る阿字の古里」を目の前の仏に向かって呼びかけるように称名(とな)えた。

順心は枕経を終えてひとまず席をはずした。そして隣の襖を開けて部屋に入る。そこには村の世話役の人々が控えていた。皆、順心をみて居住まいを正し、深く礼をした。いっぱいの番茶が出される。それを頂いて順心は、中山喜一の方を向いた。

促されるように喜一は少し膝を進めた。そしておスミ婆の死について語り始めた。それはこうであった。

おスミ婆さんは、この丹波篠山にやってくるまでは、兵庫県淡路島にいたらしい。生まれて結婚するまで、淡路島の洲本に住んでいた。父は線香を作る職人をしていた。淡路島は知る人ぞ知る、お香の産地である。

スミが19歳になったとき、父の知り合いの薦めで、丹波篠山の地に輿入れしたのだった。しばらくして戦争が始まった。スミの主人は周りの男達がそうであったように、やがて召集令状がきて夫は出征していった。スミ23歳の秋であった。

夫は大陸から南方に転戦し、ブーゲンビル島で戦死したという。遺骨一つ帰らなかった。白い骨壺の中には小さな石ころと、木片が一つ納められていたと言う。スミは泣くに泣けなかった。というのもその頃は、自分と同じ様な境遇の女性は周りに沢山いたからである。主人と共に過ごした、たった4年の年月。それは余りにも儚く哀しかった。

この山間の辺鄙な地で、ただ田を起こし、畑を耕して50年近くを独りぽっちで生きて来たのである。若くして死に別れた夫の供養こそが、おスミ婆の最も心安まる時間であった。薄れていく亡き夫の面影を探しながら、季節の花々との出会いが、おスミ婆のたった一つの安住の場であったにちがいない。

☆  ☆  ★

【庵主よりの一言】

 羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦(ぎゃてぎゃて、はらぎゃて、はらそうぎゃて)

カーティ、カーティ、パラーカーティ、パラーサンカーティ、と読みます。カーティとは彼岸という意味で、パラーは、到達するとか、行くという意味になります。

サンは比丘、比丘尼すなわちサロモン・サマナーということです。

このような箴言が遺されています。「おのれ今だ渡らざる先に衆生を渡さんと発願修行する者、仏の位に進む者にして・・・」周りの人々をまず彼岸に渡す、そして自分は後から行く。その深い愛の心がその人の格を高め、救いに導かれて行くのでありましょう。

2013年10月28日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝の妙高山 <標高 782 m >

【台風のあと妙高山の雪景色】


今朝720分頃の妙高山です 青空に突き出た2,454mの頂上が厳しい冬の訪れを感じさせてくれます 白樺と落葉松が露払いのようにお山に寄り添っています

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2013年10月27日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・アンパンは最高 <標高 781 m >


関川にお住まいの「信仰のお友達」から、丹誠込めてお作りになった小豆をいただきました。妙高山麓の高原農場で育った小豆はとっても美味しいのです。さっそく「アンパン」を焼いてくれました。写真で恐縮ですが、感謝の気持ちをお届けさせていただきます。

桑の葉茶に添えてどうぞ。(アンパンに寄り添うのは小豆です)


Baked by Akiyo

(庵主の日時計日記:心の内)

2013年10月26日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 780 m >


花一輪・恋の笹舟(二十一)

仏説摩訶般若波羅蜜多心経


「故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰」

『それでおスミ婆は今どのように・・』順心は辛うじて喜一に問うた。『さきほど駐在がやってきて、詳しくしらべています。病院に運んで行って、死因などを確認するのだと・・・』

『喜一さん、すぐこれからおスミ婆の家に行こうぞ。一緒してくれるかな?』『もちろんですじゃ』『それでは、しばらくそこで待っていてくれるか』。

そう言って順心は、正月の托鉢の装束に身を包み老院主から授けられた「菩提樹の数珠」を持って、庭に下り立った。谷底から吹き上がってくる風に小さな雪片が混じって、厳しい冬の寒さに全身が引き締まった感じがした。


おスミ婆の住まいは、小さな二つの部屋で出来ている。竈(かまど)と台所の横に四畳半、そして卓袱台(ちゃぶだい)を置いた六畳の間。仏壇が部屋の隅の方に置かれてあって、供えられている仏花が、まだ開かない蕾を付けている。おスミ婆が日々に畑で世話をしていた花であろう。

貧しい着物と野良着が竹の衣装掛けに吊されている。土と陽の匂いが微かに感じられる。しばらくしていると、村の男達によっておスミ婆の亡骸が運ばれてきた。自殺ともあって、そう難しい調べはなかったようだ。

表には村人たちが集まってきた。部屋の真ん中に布団が敷かれてある。男達がそこに静かに遺体を寝かせた。それは小さな身体であった。周りの年寄り連中のなかには目頭を押さえて泣いている人もいる。

順心は顔をそっとあらためた。深いシワが刻まれた額は日に焼けていた。喉の部分に白い包帯が幾重にも巻かれて、自殺の跡を隠しているのが余計に悲しかった。粗末な掛布団で遺体を覆い、死に顔には白布をかけた。

順心はしずかに般若理趣経を誦える。野良で作業をしているおスミ婆の、あのはにかんだような笑顔が浮かんでは消える。いつも自分の前に跪(ひざまづ)いて手を合わせたこの小さな身体が、哀しくも愛おしく感じられて、経を誦える順心の胸を激しく揺さぶってくるのだった。

☆  ★  ☆
【庵主よりの一言】

故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰(こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわつ)

過去・現在・未来という三世を、あなたはどう生きるか。輪廻転生を、どう生きねばならないか。智慧の宝庫は、どうやったら開かれるか。そして、光明ある彼岸に到達するには、どうするべきか。

すべては般若波羅蜜多の神理を説き、実践することにつきると言っているのです。