2014年10月31日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(3)】(標高 1006 m)



【男達の黄昏・・そして今(3)】

 ある早春の午後、寿司処『明石屋』のお店からこの物語は始まった。明石鶴之進、通称鶴(つる)さん。なかなか古風な良い名前である。本人はこの名前を結構気に入っているらしい。ネタの仕入れを午前中に済ませて、一通りの仕分けをして、冷蔵庫へ入れて一息ついたのが昼前の11時半頃であった。その日は3月の初めにしては、暖かい気持ちの良い朝であった。亡くなった妻の仏壇に花と、昨日お客さんから頂いた上生饅頭(じょうようまんじゅう)を供えた。奥さんと死別してまだ一年が経たない。彼の連れ合いは昨年の620日、梅雨の長雨が降って肌寒い朝、市民病院で63歳の人生を終えた。寝付いて半年であった。和歌山の御坊で生まれた漁師の娘であった。鶴さんとは大阪の仕事場で知り合って結婚した。いわゆる職場結婚である。不景気の波に翻弄されて、彼らの会社は敢えなく倒産。26歳にして無職の身となった。鶴さんの両親が少しばかりの援助をしてくれて、二人はここ夕陽丘で商売を始めることにした。

 初めのうちは、野菜やら、玉子などの日常の生鮮食料品を仕入れて売っていたが、根っからの努力家、何を思ったか寿司屋を開く準備を始めた。それというのも、鶴さんの実家は兵庫県明石で魚屋を開いている。通称『魚の棚』(うおんたな)の一隅にである。まあそんな事で学生時代から家の商売を手伝っていた関係で、少々『包丁』が持てたのである。魚も実家から仕入れればなんとかなる話であった。

 妻の幸代さんもまんざら関係のない事もなく、和歌山の実家の仕事は漁師であった。料理の腕もなかなかしっかりしていた。寿司飯くらいはなんなく段取り出来ると言うものであった。そんな、見通しが立ったので思い切って店を改造して、現在のようなカウンター10席、テーブルが3つ、忘年会や新年会の場合は、二階の自分たちの居間のフスマをはずして、宴会場として使えるようにした。とは言え、住宅街の中の寿司屋、そんなに食べに来る客は多くはない。しかし出前は結構忙しかった。それと冠婚葬祭時の仕出しは、月に23回の注文が来た。これは助かっていた。結構人数がまとまるのが有り難かったのである。

 この夕陽丘の住宅地が開発されたのは、昭和50年の始めであった。当初は数十戸の規模であったが、年を経る毎に大きな街に生長した。いまではこの地域から市会議員が一名出ているほどである。学校も、小学校、中学校、高校と揃っている。なかなか高校などレベルが高いらしい。進学率が良いと評判である。街のメインスツリートには近郊の私鉄の駅からバスが頻繁に通っていてアクセスの不自由はない。

 それでも他の地域と同様に、少子化の傾向は年々大きくなっており老人の目立つ街になりつつあった。そんなおりもおり、『明石屋』の店先に3人の男が立った。『ごめん下さい、もうやっていますか?』『らっしゃい、どうぞ中へ!』こう言って3名のお客さんが『明石屋』のカウンターに腰掛けた。この時間帯に男性が食事に来るのもそう無かったので、鶴さんは正直心躍ったのである。



2014年10月30日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・旅に思う(標高 1005 m)


【夜と道連れ】

生活の扉を出て ひとり夜汽車にのった
窓に映る自分の顔をじっと眺める
一筋の灯りがゆっくりと 遠ざかり
過去は消え今がきて 未来へと繋がる

吐く息が窓をくもらせ『生きる』と指が書く
あの人が笑っている この人は悲しんでいる
そんな顔が列車の窓に 映っては消えて行く

目を閉じて轍の音を聴く『実相・円満・完全』
目的の無い旅 行く先を知らない旅列車
在るのは【今】もうそれだけ 何もいらない

夜汽車の名は「久遠の今号」 ただありがとう

2014年10月27日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(2)】(標高 1004 m)


【男達の黄昏・・そして今(2)】


 時にはお互い声を荒げて、言いたくもない事を言い合うこともあろう。主人もリタイアーして三ヶ月程度は、散歩をしたり旅行に行ったり、たまにはゴルフに行くこともあるでしょう。しかしそんな事ばかりしている訳にはいかないのである。だんだんと退屈になって来る。その内、体のどこかの調子が悪くなったりで、まあこれは運動不足からくる、なんとやらシンドロームでの肥満体から来る生活習慣病かもしれないのですが。


 そんなこんなで、酒や煙草に身を落とし妻子から疎んじられる日々の哀しさ。なんて余りにも悲観的な事を書いたようではあるが、大なり小なりこんな環境下にあるのかも知れません。そんなある日、奥さんから『貴方、ちょっとお話しが』と、くればもう一巻の終わり。長年連れ添ってきた妻が、愛想を尽かして離れていく。それを止める術はない。心の中に深いキズと、空しい思いだけを残し人生の晩年を迎える事になる。

そこで、はたと気付く。妻が居なくなったら、何も出来ない自分の姿を。下着一枚何処にあるかもわからない。『風呂』『飯』『寝る』の三言しか喋らず、会社人間を貫き通してきた、哀しい男の性(さが)なのである。

 財産を妻と分割して、子供の養育費を毎月支払って、その代わり子供は妻が引き取って生活をする。残されたのは、尾羽根打ち枯れた哀れな男一人。こうなっては生きていく望みも楽しみもなんにもない。さてどうすれば良いのか。あとは呆(ぼ)けるだけである。

こういう風にはなんとしても、どんな事があってもなりたくない男達がここには居る。夕陽丘(ゆうひがおか)5丁目に住む中年の男達である。

山岡哲(やまおかてつ)、今年65歳であります。会社を63歳でリタイアーして、年金暮らし。趣味は仏像彫刻。家族構成は、妻、犬一匹。子供達は独立してそれぞれ関西圏に住んでいる。孫が2人。自動車免許有り。といった塩梅である。

上沼幸三(かみぬまこうぞう)、61歳。つい最近定年退職をした。長いこと単身赴任で各地を変転しやっと帰ってきたら定年だったというパターン。趣味は魚釣り、料理。奥さんと二人暮らし、子供は結局出来なかったので、いない。

市村徳治郎(いちむらとくじろう)64歳。つい最近まで会社に勤務していたが奥さんの体調が良くないので思い切って会社を辞めた。社長はまだ働いてほしいと言ったそうだが、そんな訳で今はなにもしていない。趣味は野菜作り。

リチャード・ラスパート。58歳。アメリカ国籍。現在ある大学の客員講師をしているが、けっこう自由がきく身である。美しい奥さんと二人暮らし。子供はいない。趣味は日本のお寺や神社を訪ねる事。それと旅行である。

深沢周八(ふかざわしゅうはち)60歳。つい最近この夕陽丘に引っ越して来た。今まで関東に住まいしていたらしい。家族は老いた母一人と聞いた。趣味は競馬。なかなかの感性の持ち主らしく、結構良い思いをしているらしい。

 さてもう一人、この夕陽丘で一軒だけのお店。それもお寿司屋を営んでいる人、明石鶴之進(あかしかくのしん)66歳。もうこの商売を初めて25年になる。去年40年間連れ添うた愛妻を亡くして今は、やもめ暮らしである。

 まさに第一の人生をほぼ終了して、新たな人生を迎えようとする男達の住む夕陽丘5丁目に今、何かが起ころうとしている。この男達の生き様は、はなはだ心許(もと)なく、不器用ではあるが、それでいてなんとなく暖かで、真剣さに満ちあふれているのである。