2012年7月30日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高414m>


【ウマオイ】



わたしはウマオイじゃよ 馬っ子を追い立てるように

スウッチョ スウッチョと鳴くからそう呼ばれている

体は緑一色 周りの葉っぱにとけ込んでいるのだな

食べ物は小さな昆虫などが好きなんだわ

ハヤシノウマオイやハタケノウマオイなど

棲んでいる場所で呼び名が違うのも特徴だな

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年7月29日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・貝の芸術 <標高413m>


【アサリの模様は星の数】


以前 潮干狩りに行って獲って来たアサリ 

この模様はまさに千差万別

どうしてこんなに美しい模様を描き出すのだろう

全く一緒の模様は皆無だろう 

アサリは個性の象徴だ 自然は驚きの宝庫である

(庵主の日時計日記:自然と私)より





2012年7月27日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・虫の芸術 <標高412m>


【虫が残したメッセージ】


白樺の木を玉切りにしていたら 不思議な模様とも漢字とも見えるものが出て来ました

『五体字類』や『字源辞典』で調べてみたら それらしい漢字がみつかりました その結果

【稟(りん)】という漢字に決めました

「稟告」 天から授かる。生まれつきの性質という言葉が

あります まさに虫が授けてくれた貴重な文字として記憶

しておきましょう

(庵主の日時計日記:自然と私 より)




2012年7月26日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・歌劇の町へ <標高411m>


【久しぶりの宝塚】


歌劇の町 花の街 Takarazukaに久しぶりに出かけました

日中はとっても暑かったですが 武庫川宝塚大橋の下流は

たゆとう流れの上を涼風が吹き抜け 温泉街の香りが漂っています

橋の右手に『大劇場』(http://kageki.hankyu.co.jp/)が見えています

シテーホテルの老舗『宝塚ホテル』は左手奥になります

この河岸の草原にはボクのお目当てのトンボ・ミヤマアカネがいます

昭和40年代にはこの流れに天然鮎が遡上していました

今は鯉やナマズが生息しています ウナギも間違いなく棲んでいますよ

今度訪ねるときは ウナギの夜釣りをしてみましょう 楽しみです

(庵主の日時計日記:故郷訪問 より)



2012年7月22日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・朝露の中で <標高410m>


【ヒグラシ(♀)の羽化】


露草に産屋をかりたのは セミの過去と今のコラボレーション

花のあたえた一雫(ひとしずく)は命の水か はたまた涙の一滴か

自然のなせるわざは あまりにも感動的で美そのものである

(庵主の日時計日記:自然と私 より)



2012年7月21日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高409m>



日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」  第 6 


【多藝の龜甲齋虎丸師】
・・・・眞菰の中にあやめ咲くとはしほらしやアーー

の情調はなくとも、玉楼のおばしまに紅いメリンスの長襦袢のおいらんが南京豆を囓ってゐやうとも、行こか戻ろか思案橋と唄れる、加藤洲十二橋正體が、細い河の兩岸をつなぐ二間ばかりの板一枚であるに過ぎなかろうとも、水郷潮来の情趣は、やはり懐かしさをそそる何かしらがあった。

佐原からポンポン蒸気に揺られて大利根に出て、まんまんたる水々々の面を、一路潮来へ向ったのは、浪のうねりに冷々と秋を感じた頃だった。

ホテルを福屋といふ。汽船發着所のまん前まんまんたる水に臨んだ新しい旅館だ。夕方に着いて一泊。翌日の晝下り。

『今夜演藝大會に来て下さいょぉ・・・・』帳場側で新聞を讀んでゐたら、謄寫版刷り半紙一枚のチラシを、さも心安げに聲をかけて投込んでいった、オールバックの、若い、藝人タイプのお床があった。


ハイヨと、これも氣軽に受取った女中の手から、チョットと借受けて讀下すと、トタンに嬉しくなっちまったものである。

来レ! 演藝娯楽大會!
秋の一夜を東都一流の大家の熱演に聽け
浪曲 本家龜甲齋虎丸(ニセモノ御注意——龜甲齋に非ず)琵琶・・・・落語・・・・

浪曲家以外の名は忘れたが、ニセモノ御注意——龜甲齋に非ず、の如きは、斷じて凡俗の徒のよくするところならずと、やけにホガラカな氣持で、同夜、會場を訪れたと思召せ
臺では、龜甲齋同様、東京の眞打類似の名を持つ若いハナシカが、既に熱演中だった仲々旨い。手に入ったものだ。が、よく見ると、それは晝間のビラ撒きの男だった。

次は琵琶、石童丸——だ。是も田舎廻りにしては相當聞ける。而るに、良く演者の顔を見ると、髪の格構も、薄い顎髭のある點も、出演者とはちがひ、眞に良く似てゐる。恐らく兄弟だらう、私は眞實さう思った。

と、次は龜甲齋虎丸師、五ツ紋の羽織、肩まで垂れた長髪、白足袋、悠然と語出した。鼻下には美髭まで貯へてゐて、仲々立派だ。語る浪曲も決して馳出しの業ではない。聽衆も感心して聞惚れてゐた。

その最中私は意外な發見をして吃驚した。痣。紫がかった痣。腕を擧げる度に、右の袖口から見える相當大きな痣。それは、虎丸師ばかりでなく、琵琶師にも、落語家にも、さうだ、たしかにあった。偉大なる發見よ。

虎丸師も、琵琶師も、落語家も、實は扮装を異にした同一人だったのである。そして、この綜合演藝大會の出演者は、なんと、ビラ撒き氏唯一人であったのである。

嗚呼、偉大なる名人インチキ子よ。あの、秀れた、田舎廻りの、天才藝術家?は、今何處を彷徨してゐることやら。


ちょいと一服(イワナの骨酒)

(庵主の一言)

この話に出てくる吾人、まことに立派としか言いようが無い。浪曲、琵琶かたり、落語家、一人三役をこなす芸人が今日のテレビ界にいたとしたら、まさに引く手あまたでありましょう。
また「英語」、「フランス語」、「ドイツ語」の三つの言葉を正しく話すマルチ人間も貴重な存在でしょうな。どこかの国では外務大臣ですら「英語」がお出来にならないとか。アンビリーバブルなことで・・・


(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます

2012年7月20日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高408m>

【イナゴの騎士団物語】


われわれはイナゴの中でも その敏捷性においては誰にも負けないコバネイナゴ 別名エゾイナゴと言う一族じゃ  

縄張りのアナベルの近くに 毛虫の集団がやってくるとの情報が入ったので 最強の騎士団が出兵することになったってわけさ

先鋒をまかされたのはわたくし イナザイル1号 後鋒は弟のイナザイル2号 周りのみんなは私たちのことを『ナザールの騎士』と呼んでいる 怖い物知らずのかっとび兄弟なのだ

『2号よ 毛虫集団が見えて来たぞ ぬかるんじゃないぞ』『へい兄貴 あんな毛虫の集団なんて俺たちにかかれば 煙にまいたのも同然』なんて時代がかった銭形平次の世界を踏襲している感じで・・・これでほんまに毛虫軍団に立ち向かえるのか???

そんな虫たちの話を聞いていたのは なんとアマンちゃん(アマガエル)でした
『またケンカの話い どうして仲良くしないの? 困った虫たちね うち虫がすかんわ〜』なんて余裕のしゃれ言葉などを呟きながら その様子を眺めているのでした(続きます)


(庵主の日時計日記:自然と私 より)


2012年7月19日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高407m>


【ノシメトンボ ♂】


12.7.18 夕方芝生の傍にある薪の上にとまっていました

大型のアカトンボの一種です 

ノシメトンボという名前は翅端(したん)=羽根の先端部に明瞭な

褐色部の翅斑(しはん)があることに由来します

この褐色の模様のあるトンボには コノシメトンボ リスアカネ 

マユタテアカネ(雌の約半数)にもあります

ボクの調査していますミヤマアカネはこの褐色の部分が帯状になっています

参考にミヤマアカネの写真もアップしておきます 昨日の10時頃 

妙高高原の畑で ミヤマアカネ(♀)を今年初めて見つけました



(庵主の日時計日記:自然と私 より)

2012年7月18日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高406m>


【クジャクチョウ】


『早起きは三文の徳(得)』とは良く言ったもので

今朝 早起きして周辺を散策していました

その時どこからともなく 蝶が舞い降りて来ました

地面にとまって羽根を広げたのをみて

『あっ クジャクチョウだ 写真 写真 早く』と

はやる心を抑えながら撮ったのがこれです

笹が峰に行けば出会えるのだそうですが 池の平や

杉野沢ではなかなかお目にかかれません

去年も一度出会ったきりで 果たして今年はどうかな

と思っていた矢先でした タテハチョウの仲間です

どちらかと言うと南国ムード一杯の蝶でしょう

大きな目玉のような派手な模様は天敵から身を守る

擬態のひとつなのでしょう 羽根を折り畳んだら

その地味な事 茶羽織りをきた老婦人が蛇の目傘を

さしたところ とでも表現出来そうな地味な模様でしたよ

(庵主の日時計日記:自然と私 より)

2012年7月17日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高405m>

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」  第 


無念!拾圓紙幣の犠牲

房州の某海水浴場地のホテルで———

これは、友人の受難記。所謂、笑へぬナンセンスの一つであらう。

相思の女友達を携えて、胸を、わくわくさせながら、『茶代廢止———絶對御無用に願ひます』と書かれた入口の貼札を横眼で睨んで、悠然とホテルの敷居をまたいだ。

良き鴨とや、主人直々に宿帳持參のお世辭だらだら。この時、S氏ブルヂョア然と、拾圓紙幣一枚を主人の前に押しやり、主人とアミとを半々に見ながら、

———君、甚だ僅少だが帳場の方へ。と、主人紙幣を手にしながら一寸當惑顔。
———ヘエ、有難う存じます。が、御承知の通り手前共では本年から、茶代は絶對に頂戴致しません方針で・・・・
———フフン、それは・・・・
———而し折角の思召し・・・・
———エ?
———是は茶代でなく、雇人共に頂戴させて戴きます。ハイ、實にどうも多分に・・・・
———・・・・
———君ッ、房州へ行っても、絶對にあのホテルはよせよ!
畜生奴!
友人は、後日心から憤慨した事である。

(庵主の一言)

さてこのページの次ぎに、廣告が載っています。スポンサーは、東京・大阪 田邊商店 スポーツ薬 サロメチールです。この田邊商店こそ、現在の佐藤製薬の大元であります。

サロメチールは、佐藤製薬株式会社が販売・製造する鎮痛剤である。まことに息の長い商品である。1921年(大正10年)に東京田辺製薬株式会社(現・田辺三菱製薬株式会社)から発売された。元はフランスで同時期に発売された「ボーム・ベンゲ」軟膏に、東京田辺製薬(田辺元三郎商店)がサリチル酸メチルが主成分であることからその開発をはじめ、また粉石鹸をベースにしたべとつきの少ない軟膏作りも並行して開発し、25グラムチューブ入り「サロメチール」が発売を開始した。商品名のサロメとはサリチル酸、ロイマチス(リウマチ)、メチルのそれぞれのカタカナの頭文字から取ったものである。

より注目されたのが1937年竣工の後楽園球場の外野フェンス広告にそれが掲示されたことで、その後東京ドームに移行しても長年に渡り看板を提供し続けた。ウィキペディア(Wikipedia)参照。

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます



2012年7月16日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高404m>


【ヒグラシ】



12.7.15早朝 羽化して1時間くらい経過しているヒグラシがいました

真っ白な透き通る体をしています 太陽の光と温もりを全身で受けて

飛び立つ準備をしている姿は 健気(けなげ)とでも言いましょうか

哀しいと表現した方が良いのでしょうか いずれにしても必死の様相が

感じられるのです 周りの木ではカラスがあちこちと眺めているのです

ボクとしては見つからないように祈るばかりです 2時間ほどして行って

みると もう立派なヒグラシになって羽根をしきりに動かしていました

手に取ってしばらく眺めていました 風が吹いて来た時 一気に飛び立ち

ましたが 少し離れたブッシュの中に落ちるように消えてしまいました

(庵主の日時計日記:自然と私 より)

2012年7月15日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高403m>


【リスの棲む木】


近くの森を散歩した朝 大きなクヌギの幹を登ったり降りたりする

小動物を発見 大急ぎで近くに走りよりました なにしろすばしっこくて

200mm望遠で数枚撮ったうちの一枚の写真に つがいのリスがキャッチされ

ていました ニホンリス(ホンドリス)だと思いますが 最近タイワンリス

も多く生息していますので 定かではありません 耳のピンと立ったのが

ニホンリス 耳が短いのがタイワンリスとの見分け方がありますが さて

どちらでしょうかねえ どちらにしても日本と台湾はお互いに親密な間柄

動物の世界でも仲良くしてほしいですね 次のねらいは熊の写真ですよ

(庵主の日時計日記:自然と私より)



2012年7月14日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ぶらりご近所 <標高402m>


【苗名(なえな)滝】


昨日雨も一休みだったので 朝から【苗名滝】まででかけました

目にも鮮やかな緑の奥に高さ55mの勇壮な滝が落ちています

これは日本の滝百選のひとつに選ばれている観光スポットです

駐車場の傍にある茶店から歩いて15分ほどで滝の近くまで行けます

水量の多い時期は 近寄るとゴウゴウとまるで地震かと感じる音がします

そんな訳で『地震=なゐ』から『ないの滝』→『ないな滝』『苗名滝』と

名付けられたのだそうです 滝に続く道には『苗名の熊にご用心』と

立て札がしてあり 熊五郎の住処にもなっています 熊よけの鈴を

鳴らしながら歩く方が安全でしょうね 

小林一茶の句碑もありました


【瀧けぶり 側で見てさへ 花の雲】

文化10年(1813)6月頃 小林一茶は苗名瀧を訪ねている
その年鹿児島県諏訪の瀬島(御岳山)に大噴火が発災
海外ではベートーヴエン交響曲第7番が初演されている(12月8日)
(今日より199年前の出来事でした)






2012年7月12日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高401m>


日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」  第4

ここで松浦泉三郎氏の「旅のインチキ點景」なる文章をご紹介します。昭和七年一月一日発行、日本旅行協會 「旅」より。

「路上生活者の新商賣」

東北筋のある温泉町———
食後の散歩をステーションまでのばして、そこで時計を合わせて帰ろうとすると、寒い風の中に、共同便所の塀にもたれた一人の男が、蒼ざめてしゃがんでゐる。ボロボロのインバネスにすっぽりと身を包んで・・・・時代が生んだ哀れな失業者、さういった格好だ。

『君々、どうしたんだい今頃?』『へえ』、呼れて初めて氣づいたもののやうに、もの憂げに擧げた、髭むじゃな顔。
———語りだした。

東京で就職の望みがなくて、妻子を殘して、職を求めて地方を流浪したが、何處も同じ不況の嵐。無爲の一年有半。と、妻からのたよりだ。愛兒危篤・・・・けれども、嗚呼、
半乞食暮しの失業者に、何で東京までの汽車賃があらう。而も、自分も今は半病人だ。

『旦那、あたしは身を切られるよりも、まだ、つらうございますよ!』

———涙が頬を濡らしてゐた。興へられた五圓紙幣を押戴いた彼は、何度となく、額を地にすりつけながら、くどくどしく禮の言葉を繰返した。

小さな善事のあとの愉快さに、相當飲んで、氣持良く、二軒目の酒場の扉を排したのは、それから二時間の後だった。
『開業第一日目の大成功だ。ウンと飲みなてえことよ。ヘヘッ、世間には莫迦もゐらア』二人連れの先客。聞き覺えのある聲だ。『アッ!』『おッ!』五圓紙幣に涙を注いだ失業者は、友達と一緒に、大満悦の態で痛飲最中だったのだ。

ふと、側の風呂敷に眼をやると、なんとその間から覗いてゐたのは、最前の、あのボロボロのインバネスだった・・・・。
次の瞬間、咄!!彼は卑しい笑ひと共に、空々しくも、かう云ったではないか。

『へえ、先程はどうも、今日てえ今日は、全く神さんの御加護で、なあに、あれから直ぐに、この友達の野郎と、へえ、三年振りで會ひやして、ま、兎に角、終列車までつきあってくれ、へえ、かう云はれやして、へへ・・・・』

翌日の同地々方新聞夕刊社會面の一隅の見出しに曰く。
———考へたりな失業職工の新商賣、
———開業日に因果は廻る御用の聲

(庵主の一言)

なんだか、昭和7年も平成24年もそう大きく変わらないような気がしています。景気が後退して、多くの失業者が出ている。ホームレスの人々も増え、政治も経済も不安定。

色んな詐欺が横行し、凶悪な事件も後を絶たない。せめて庶民の楽しみは、温泉にでも行ってゆっくりしたいもの。でもそんな道中にも、騙されて金を取られる事もある。落ち着いて温泉にも入っておれないのかしらね。

「情けは人の為ならず」という諺があります。人のためになにか役に立っておけば、いずれ自分の身にもそれなりの良い事がやってくるでしょうという意味です。「義を見てせざるは勇無きなり」(論語)、見て見ぬ振りは男の風上にもおけねえや。もう一度じっくりと味わいたい言葉であります。

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます



2012年7月11日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高400m>


【妙高高原の生き物たち】

昨日の夕方、今年はじめてのヒグラシ蝉の鳴き声をききました。森の東の方向から聞こえて来たのですが、すぐあとにその声に鳴き交わすように西の雑木林の奥から『カナカナカナ・・・・』と哀しげな声が聞こえました。ふと次の俳句が思い浮かびました。


『蜩(ひぐらし)のなき代りしははるかかな』草田男


まさにこの俳句そのものの風景でありましたね。


梅雨の一時の晴れ間、今夜あたり蛍が飛びそうだとの予感がしましたので、8時頃庭に出て座っていました。川の熊笹の間から飛び立つはずだと思ってじっと眺めていますと、大きな光の粒がフワリと空中に浮かびました。ゆっくりと風の流れにのって白樺の木のそばを飛び、しだいにドームの館の窓に添って高く舞い上がりました。


そしてふっと消えてしまいました。蛍については、それは近しい人の魂が戻って来たのだとよく聴かされていました。今は亡き母がボクに会いにやってきたのだと思う事にしました。


そう言えば数日前、『不可解なモグラの死』について書きました。ひょっとすれば地震の前兆現象か?とも書いています。そんな折、昨日昼の12時49分頃、長野県北部を震源とする震度5弱の地震が発生しました。庭に出て一服していたところにグラッときて飛び上がりましたよ。妙高市で震度4でした。ここは信越国境の地ですから、モロにきつい揺れを感じたのです。妙高山の堅い岩石地盤の上に位置していますので、普段は少々の地震では大きく揺れる事はないのですが、今回のはちょっと驚きましたよ。でも特に被害はありませんでした。多くの方よりお見舞いの電話をいただきました。



この場をかりてお礼申し上げます。感謝




2012年7月10日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高399m>

【バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)】第3回


日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」

ここで松浦泉三郎氏の「旅のインチキ點景」なる文章をご紹介します。昭和711日発行、日本旅行協 「旅」より。

客間も新築、風呂場も新造、女中も美人揃ひと、眞しやかに述べたてる客引きの巧言につられて、ではと投宿してみると、何から何まで嘘八百だったのに憤慨して、オイ最前の言葉は?と詰問すれば、番公いけ酒亜々々(しゃあしゃあ)と、ヘエ、あれは隣のことで、ヘッヘッヘッ・・・で揉手叩頭。

是は、勿論今でも類似のことがないではないが、小咄に名残を止める、昔の宿屋の、明かなインチキ振りだ。では現代(昭和7年当時)では?に答えて、旅に絡る、そして、旅で遭った、インチキの微苦笑風景を二ツ三ツ、御披露しておあとと交替といふことに・・・。

この眞理・・・

暑中休暇を目前に控えた中學の上級時代のこと。新聞紙上にこんな三行廣告を發見した。

▲ 告満天下學生諸君 全國無旅行の新發見秘訣無料傳授
 
即刻乞問合 返信料實費拾錢封入要す 東京小石川區小日向臺町xx番地 大日本無錢旅行研究會本部

暑休利用旅行費用捻出に就いて頭をひねってゐた最中のことでもあり、早速二錢切手五枚封入紹介・・・待つこと三日、返信来、取る手おそしと開封したら、ポロリ、一枚のザラ紙が落ちた。そして、嗚呼、その新聞ザラには、なんと次の如く、謄寫版刷りの、拙い文字がかすれてゐたではなかったか・・・・!

 無錢旅行秘伝傳虎之巻
錢にて往復なし得る範囲を旅行すべし

但し是は斷じて筆者の創作ではない。同種のものに、「水泳秘訣傳授」「難病全治秘訣傳授」等々の廣告詐欺もあった。恐らく、何れも同一人の所爲であろう。驚いたことに、この詐欺漢は、拾錢切手の掻集めに依て、一時相當の財を積んださうな。濱の眞砂と共に、盡きざるインチキ廣告の一ツ。


ちょいと一服




【庵主の一言】

いつの時代でも、インチキ、◎◎詐欺なるものが横行していたようです。やっぱりそれに引っかかる、気の良い人もいるようで・・・。

この文章をタイプアップする時の最も難点は、本漢字を入力する事でした。でもやってみて当用漢字より遥かに心地よい深みのある文字であることを感じたのであります。

(庵主の思い出日記:時を戻して より) 続きます



2012年7月8日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝のポエム <標高398m>


【雨の続く日は】

森の木々がため息をついた

乳色の霧が小枝にまとわりついて

そのフローは渦になったり

一筋の帯になったりして道に出てくる

こんな日は本を読むにはうってつけだ

『不思議の国のアリス』をひろげる

ロンドンからやって来たこの本

もうすぐオリンピックが始まるのも

霧が有名なのもロンドンの町だ

そんなことを考えながら

虫めがねを手にした


(庵主の日時計日記:自然と私より)





2012年7月7日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・思い出の阪急沿線 <標高397m>



長かった愛媛県での単身赴任生活から帰って来て阪急電車に乗った時、『やっと故郷にもどってきたんやな〜』との実感が湧いたものでした。「阪急電車」という小説が世に出て、映画化もされました。そんなある日ボクは「今津線」に乗って逆瀬川駅から西宮北口まで出かけました。

その日はちょうど7月7日で七夕だったのでしょうか、西宮北口駅周辺では七夕飾りが東口川の橋の上に揺れていました。あまりの暑さに缶ビールを買って、橋の欄干に座って一休みしたのを覚えています。黒い大きな鯉が悠然と泳いでいました。それはボクにとって至福の一瞬(ひととき)でした。街路樹ではクマゼミがまるで追い立てる様なせわしげな声で鳴いていました。『やっぱり阪急沿線は最高やな・・・』そう独り言を呟いて残ったビールを飲み干しました。

あの日からもう6年の月日が流れました。今年の七夕様は「妙高高原」の雨の中で迎えています。懐かしさに眼を閉じた時、そこでは西宮北口界隈の進学塾に通う子供たちの声が聞こえてくる様な気がしました。

(庵主の日時計日記:思い出の阪急沿線より)

2012年7月6日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高396m>



【バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)】第2回

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」


ここで、この日本旅行協会「旅」誌の編集長だと思うが、佐藤生氏の「年頭偶感」なる巻頭言を紐解いてみましょう。今から80年前の文章です。

昭和6年も(あわただ)しく暮れて、昭和7年を迎へることになった。何はさて置き、明けましてお目出度う御座います・・・・・と吉例の御挨拶を申し上げます。

X

新しい年を迎えるといふことは、何かなしに、喜び度い氣持ちで、いっぱいになるものである。そして、お互いに、今年こそは・・・・といった氣持ちを抱くであろうと思ふ。商人なれば、不景気が何アんだの今年こそは・・・・であり、百姓なら、一反歩十俵の収穫をあげて見せるゾの今年こそは・・・・であるかもしれぬ。

と、同じことが旅行者にも言へよう。昨年は妙高、赤倉で滑らずにしまった。が、今年こそは・・・・であるかも知れぬ。

兎に角、年新なると共に、何かなし一つの希望を持つといふことは、決して惡からう筈はない。お正月を寝て暮らすも、ウィンター・スポーツを味って暮らすも、去りゆく日数に變わりはない。

とすれば、ナーニ寝正月だったヨ、といって挨拶をすることよりは、ほんの僅かな暇を見出して、それ相當のスキー場へでも出かけて雪と親しんでスキーを滑って来るなんぞは、気のきいた「愉快に正月を送る法」であると共に、尠(すく)なくとも、一張羅の羽織を失くしても、折(オリ)だけ大切に下げて帰る・・・・あの酔ひどれの錯覺は起こさずに濟むと思ふ。(佐藤生)

(庵主の一言)
ここで佐藤生氏が述べられている如く、暇を見つけて旅に出る。近郊でもよし、遠方・海外でもよし。生きている内にいろんな物を見て、楽しむ事も人生の大切な一面であると思う。なかなか蘊蓄(うんちく)のある文章ですね。




(庵主の思い出日記:時を戻して より) 続きます

2012年7月5日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・桑の実熟れる <標高395m>



桑の実・マルベリー (Mulberry)

むかしは蚕の食草として大切に栽培されてきました

現在国産の絹織物は価格が高く 中国製にとってかわられたため

桑の木はなすがままに大きく育ち この季節に実を結びます

木には本桑と山桑があって葉の切れ込み具合で見分けがつきます

どちらも実をつけますが 味の差はほとんど無いようです

熟れた実は赤黒く そのまま食べると舌の色が変わりますよ

でもとっても甘いから摘んでその場で口に入れます


桑の実ジャム ジュース 桑の実酒 

桑の葉茶や若葉の天ぷらも美味しいとの情報あり

早く摘まないと 虫たちや野鳥に持って行かれます

さあてと いまから桑の実摘みに出かけましょうか

赤とんぼの2番の歌詞を口ずさみながら・・・


【赤とんぼ】作詞:三木露風 作曲:山田耕筰

(1) 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  負われて 見たのは
  いつの日か

(2) 山の畑の 桑の実を
  小かごに摘んだは
  まぼろしか

(3) 十五でねえやは 嫁に行き

  お里の 便りも
  絶え果てた

(4) 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  とまっているよ
  竿の先 

(庵主の日時計日記:自然と私より)


2012年7月4日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高394m>


【不可解なモグラの死】



梅雨に入って不可解な事が起こっています。それは「モグラの死」であります。今までモグラの被害にあったこともありましたが、モグラ自体の姿を見る事はありませんでした。夜行性で、まして土中を縄張りにしているのですから、なかなかその姿は見れませんでした。

ところが6月中旬以降に4匹、そして今朝も1匹の大きなモグラが道路で死んでいたのです。中には2匹が並ぶようにして息絶えていたのもいました。地面の下で何か異変が起こっているのかも知れません。モグラの生態を調べてみましたら、奴らはなにしろ大食漢との事。四六時中餌になるミミズなどを探してテリトリー(縄張り)を動き回っているらしいのです。

そして自分の胃袋の中に、12時間以上食べ物が入っていない空っぽ状態だと死に至るらしいのです。だから土中でのモグラ同士の食物争奪の争いは凄まじいものがあるのです。敗者は土中から追い出され、太陽のお照らしの下で死を迎えるのだそうです。

そうは言ってもこの広大な妙高高原、モグラの食べ物が無いはずもなく、何か別の要因があるように思えてならないのです。もう少し調べてみますが、「地震」の前兆現象?「地熱の変化?」「24年の豪雪」の後遺症?などが考えられますが、何事もなければ良いのですが。

(庵主の日時計日記:自然と私より)

2012年7月3日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高393m>


【バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)】第1回

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」

私の机の上に今から80年前の旅行雑誌『旅』が置いてある。まさに無造作にと表現した方がいいのであります。昭和7年という年を遡って調べてみる前に、昭和6年がどんな年であったのでしょうか、そこから掘り起こしてみたいと思うのです。

いまから80年前のことです。西暦でいいますと1931年になります。私がこの世に誕生する、まだ15年も前のことなのです。年が明けた26日、チャールズ・チャップリンのサイレント(無声)映画、「街の灯」が公開されています。318日には初の国産飛行機が、中島飛行機工場で完成しています。

418日には、直良信夫が兵庫県で「明石原人」の寛骨を発見しています。今日も「明石原人」は皆の知る化石ですね。51日にはなんとアメリカ・ニューヨークに世界一の高さ(381m)のエンパイアステートビルが完成しています。

525日には国鉄、宮津線の網野—丹後木津間が開通しています。またこの年は大火の発生した特異な年でもあったようです。それがなんと5月に集中しているという、これ自体がまことに特異な事なのであります。

57日に、石川県山中温泉で大火災が発生し、800戸余りが焼失しています。その一週間後、515日には秋田県で発生し450戸を焼失。そしてなんと明くる16日、今度は中国地方の松江で大火が起こり、848戸が焼失しているのです。

さてそのような昭和6年が終わり、昭和7年(1932年)が明けました。雑誌「旅」の最初のページを飾る写真は、「雪の怪物」とのタイトルで、蔵王山の樹氷帯を行くスキーヤー4名。なにやら軍服のようなものを着ています。そして次のページには、初雪を歓ぶ奈良の鹿、廣島県安芸の宮島の雪景色と日本列島の厳冬期を象徴するかのような写真が並んでいます。

当時新潟県上越、新井からは妙高山の山麓に沿って田口駅(現妙高高原駅)がありました。1969年(昭和44年)信越本線電化にともない駅名も妙高高原駅と改名され今日に至っております。



(現在の信越線 妙高高原駅)

その田口周辺に昭和7年当時、田口大天上スキー場が妙高山の勇姿を背景に広がっています。それにしてもスキー客の少ないこと。大きなゲレンデにざっと計算しても40人ほどしかいないのです。さぞかし当時のスキーヤーは優雅な時間を共有したことでしょう。

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます


2012年7月2日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝のイチオシ <標高392m>


雪の消えた妙高山



衣替えをした妙高山の山並み(12.6.30)

一年のうち7月〜10月まで4ヶ月の間そのままの姿を表します



5年ほど前に同じ場所で撮った山容

6月初め頃か 有明の月が残っています