2012年9月29日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 459m>


日本旅行協会 『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 14



日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より

櫻海老とワカサギ」 二月から三月へ掛けての散策                            近藤 飴ン坊


水戸へ花見に行ったら、湊、磯濱まで行樂を延長して春の海を眺めるのもいい、そこには鮮魚が諸君の味覺を満たして呉れる。東京で氷で保たしてある魚類に舌を胡麻化されてゐる者が、海から取り立てのピチピチと生きている魚に出會った時、サカナは美味いものだなと思ふ、而も鹽燒、煮肴、サシミ、價は廉。

土浦名産サクラ海老は驛賣が持ってゐる。霞ヶ浦の小海老を、贅澤にアタマも尾も脚もむしり捨てて本當の眞中の正味の肉だけを茹でて乾したのだから價も廉くないが酒のサカナに佳し、殊にビールのサカナとしては最上品。サクラ海老とは乾し上げたカタチが櫻の花に似て其の色が櫻色だからである。

土浦では此のほかにワカサギが名産、これは新年が近くなると東京で賣出すが正月の膳に無くてはならぬ物の一つになってゐる。此のワカサギ屋が土浦の町には何とまあ多いことよ。驛前から一直線に行くと頓て鼻は芳い匂ひにぶつかる、誰でもさうかとうなずく。

飯能の土地料理

川越へ出ないものは飯能へ出てもよからう、天覽山にはポツポツ梅が咲いてゐる、見晴し臺から見ると、視線内の村々を梅の花が白く點綴(てんてい)してゐるその向ふに富士が見える、大菩薩峠が見える。

山を下った所に料理旅館東雲亭(しののめてい)がある、默ってゐれば椀、燒、さしみに吸物の東京式だが命じれば土地料理を提供してくれる。自然薯が土地の名物だが、これは驛前で賣ってゐる。狭山の銘茶も家包(いえづと)にいい。

久慈の梅から鯰料理へ

久慈の梅林は古木で有名。玉川電鐵に拠るもよし、南武鐵道に拠るもいい。名物を持ってゐないが、南武鐵道の客となれば義士の遺跡もあるし、多摩川の春光もいい、登戸(のぼりど)には古い料理屋があって鯰(なまづ)を名物にしてゐる。

あれから小田急も利用出来るし、府中へ出て大國魂神社に參詣、京王電車で新宿へ出ればここにはお好きな名物が何でもある。鮨、天ぷら、鰻飯、支那蕎麥、牛鳥肉と並べただけでゲンナリするのに近代風カフエーがあり、附近は、小料理とおでん屋が軒をならべてゐる。

<庵主からのひとこと>

登戸は多摩川と多摩丘陵を背景に自然に恵まれた地形で、かつては旅人が宿場として利用していた由来と歴史をもつ地域です。
天保元年(1830年)創業、変わらぬ味の登戸の料亭『柏屋』は、今も伝統の川魚料理を承けついでいます。俳人巌谷小波も昭和の初めに句会のため柏屋に立寄り、『小春日や日本一の腹加減』という句を詠んでおり、今でも句碑として残っています。
1932年(昭和7年)頃、飯田九一により描かれた画には大きな鯰(ナマズ)が描かれてあり、そこに巌谷小波が即興で「小春日や」の俳句を書き残したとの事です。この柏屋を訪れた巌谷小波も鯰料理を楽しんだ様子が窺い知れるのです。現在「鯰料理」がメニュウに入っているかどうかは定かではありません。
(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます





2012年9月28日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 458m>


【秋の野草とマユタテアカネ♂】


昨日の朝 わずかな日溜りのなかに緋おどしを身につけたようなマユタテアカネの雄(♂)が翅を休めていました

朝晩の気温はもう15度Cをきっています 秋の最後の温もりを体にあびて 精一杯の晴れ姿をボクに見せに来てくれたのでしょうか

そんな健気な姿に感動して 秋の野草を摘んで飾ってやりましたよ 拾って来た「栃の実」も添えて・・・


『素敵なイケメントンボさん あなたの門出にわたしたち野の草花もエールをおくりますよ あなたの子供たちに来年の夏もきっと会えますように』

『ありがとう ススキさん アザミ君たち ボクの子供を来年もよろしくね きっとはねを休めにうかがうと思うよ ではさようなら・・・』

(庵主の日時計日記:自然と私)より




2012年9月26日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 457m>


【トリカブトの花とスジアカハシリグモ】


日本三毒草のひとつ トリカブトがことしも花開きました

雪解け水が流れている細流の傍に自生しているこのトリカブト 春の山菜摘みの時には 『触らず摘まず近づかず』を守っています 若葉がニリンソウやゲンノショウコウに似ているので「要注意」なのです

花は紫色の素敵な兜のような形状をしているので ファンはたくさんいると思われますね
さてたまたま撮影したトリカブトの花に一匹のクモが取り付いています どうです見えるでしょうか? 写真をクリックしていただければ拡大しますよ

猛毒のトリカブトの花に遊ぶこのクモ 名前をスジアカハシリグモと言うそうです(クモ図鑑参照)
山地や丘陵地などに棲息し ちょっとした谷があって沢が流れているような環境が適しているようです

まさにトリカブトの咲いている場所はドンピシャでした 予想もしていなかったこのクモとの出会いに ありがとうです

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年9月25日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 456m>


日本旅行協会 『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 13 



日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より

「鼻に梅ヶ香、舌に名物」二月から三月へ掛けての散策                         近藤 飴ン坊



梅の水戸には名物が多い、曰く、梅ようかん、水戸の梅、紫錦梅(しきんばい)などが梅に關するもので、其他吉原殿中。工藝品では好文亭燒、寒水石細工、萩筆等々、名物の多いのでは全國都市中屈指であらう。梅ようかんは別に特色がないが、水戸の梅は餡を紫蘇巻にしたもので、外辛く内甘く、オツな菓子である。



吉原殿中と五家寶



吉原殿中は名前だけでは、どんな菓子か想像がつかない。熊谷で賣ってゐる五家寶と同じものである。水戸で吉原殿中熊谷では五家寶、そこに如何なる關係があるかと云ふに、熊谷の五家寶屋が水戸屋を名乗ってゐる通り、先祖は水戸から出たのである。水戸の藩士で仔細あって兩刀を捨て熊谷で五家寶の店を開き町人になった、製品五家寶は水戸の吉原殿中を模したもので、原料は全く同一、熊谷の方が形が大きいだけである。


天狗納豆も名物である。小粒納豆とも云って小粒だ。水戸から平、湯本、仙臺、ずっと先の盛岡の寺町納豆まで豆は小粒になる。名物と誇る値打ちのある程天狗納豆は納豆好きによろこばれてゐる。

好文亭燒は偕樂園燒ともいふが、現代の窯では良品は製しない。黄門様が民の困苦を忘れぬ記念にと燒かせて座右に置いたものを耕作人形といひ、それを模した農人形を今も賣ってゐるが玩具に過ぎない。

常磐公園の好文亭に賣店があるので好文亭燒とも云ふのであるが、此の賣店では偕樂園燒のほかに笠間燒も賣ってゐる此の方に上物がある。花瓶、急須、抹茶々碗に雅到(がち)あるものがある。郷土人形は千葉せんなり屋子の考案で、一名漫彫とも云ひ彫刻へ漫畫味を應用したもので、磯節人形などはイササカリンリンとして好評を博してゐる。

鰻と待合とアンカウ

鰻は老舗なか川がある、江戸前の鰻を材料として東京の一流どこに匹敵する味を提供して呉れる。大工町の加奈女(かなめ)、みやこが鮨の方の大關。天ぷらは振るわない所。

待合の多いことと大きな構へをしてゐる事も名物の一つであろうが、アソビは高い所と言はれてゐるので、こないだ値下問題から料理店待合と藝の對抗争議があって、女將と藝が口をとんがらかして大いに揉めた。

水戸の鮟鱇料理は全國に冠たる名物料理で梅見ごろがシーズンである。鮟鱇のトモ酢と云って、肝味噌で食べるのだが此の肝味噌が傳授事で、その上手下手で名物にもなるし、名物でもなくなる。

鮟鱇の肝を味噌で伸ばすのだが、最初に味噌を竹の皮へ薄く伸ばして火で焙り、それと肝を摺鉢であたるのである。鮟鱇はチリにして、そのトモ酢を附けて食べるのだが實に珍味無類。東京で作らせて見たが、どうも水戸で食べるやうにいかない、そこが又郷土料理の値打であらう。梅を見に行ったらば試食を是非お勸めする。

水戸銘菓 吉 原 殿 中 (2)

水戸藩の奥女中、吉原が作らせたと言われる、水戸古来の銘菓です。米の餅を焼いて膨張させかるいあられにして、飴で柔らかく丸い棒状にかたちづくり、きな粉をまぶした香ばしいお菓子です。

<庵主よりの一言>

簡単につくり方を紹介しよう。五家宝

 材料は、もち米ときな粉と蜜(水、砂糖、水飴)。添加物などは一切使わない。もち米は一晩水につけてから蒸し、搗いて餅にし、それを薄くのばして2mm角に切り、釜で焦がさないようにふっくら煎り上げる。ちょうどポン菓子のポンのようにしっかり膨らんでいる。そして蜜とからめて“種”の出来上がり。種を包む皮は“着せ皮”といい、これはきな粉と蜜を合わせたしっとりしたもの。
まず種をラグビーボールくらいの大きさにまとめ、のばした着せ皮ですっぽり包み込む。そしてのし板で直径2cm弱まで、着せ皮は1mmほどの厚さになるよう、時折きな粉をふりかけながら細い棒状に伸ばす。その後5.5cmの寸法に切り、たっぷりきな粉をかけて一晩置いて味を落ち着かせる。そして包装して出荷、というのが全工程だ。

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます

2012年9月23日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 455m>


【スズメバチハンターの痕跡か?】



昨日近くの林の中で奇妙な物を見つけました 木の枝に新聞紙を巻き付け 川魚を針金に吊るした物を引っ掛けてあります おなかの部分は開いてあります よく見るとハエが一匹とまっています

『これはなんだろう・・・ああそうだ これが以前妹が話していたハチハンターの仕掛けなのか!』

ことの顛末はこうだ<ワン・ツー・スリー> 

この魚をめがけてスズメバチがやってくる→ハチが肉団子を作っている間にハンターはハチの体に紙のコヨリのようなものを付ける→ハチが獲物を持って飛び立つと その白い紙を目印に追いかけて行く→ハチは紙の重さでゆっくりとしか飛べない→ハチはいずれ巣の近くに到着する→そこを見計らってハンターは巣を探す→みつけるとハチを追い払い・煙で弱らせ・巣を捕獲して蜜やハチの子をゲットするのだ

<庵主の一言> 

ハチが飛んで行くのを見失わずに追いかけるのは至難の業だろう薮あり川あり まず視力が良くないと出来ない仕事だ

スズメバチに刺されるおそれもある そんな危険と背中合わせのハンテングはボクには出来ない

この狩猟法はきっと伝統的なものに違いない それとハチの子を食べるという『昆虫食文化』が生んだ「男のロマン」かも知れない

スズメバチも人に危害を加えることもあるが 反面畑の害虫を平らげてくれる益虫でもある よって人間との共生が保たれていく事を願っている 森や林を歩くといろんなことに出くわす ボクにとっては ほんとうに面白くて有意義な健康法なのだ

(庵主の日時計日記:自然と私)より



2012年9月22日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 454m>


【虫こぶ まるで真珠】





コナラの葉に小さな丸い玉が付着しています まるで真珠のようですね これは「虫こぶ」といいます ナラハヒラタマルタマフシと呼ばれる「虫こぶ」の一種です

中にはタマバチの幼虫が棲んでいます 虫こぶは昆虫が植物内に産卵して、植物が変形したものです この虫こぶが枯れる頃になると、卵から孵った幼虫が虫こぶから出てきます

その後も虫こぶは住かになったり、食べ物にもなるので、幼虫とっては 虫こぶは重要な物といえますね


(庵主の日時計日記:自然と私)より



 

 

2012年9月21日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 453m>


日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 12 



【静かな奥伊豆温泉】              棟方銀嶺

湯ヶ野温泉を振り出しに河内、蓮臺寺、下賀茂温泉と奥伊豆の温泉巡りを濟ました私は、更に、妻良から松崎に出て、仁科へ迄も脚を延ばして名勝を併せて探る氣持ちであったが、下賀茂より引っ返して谷津(やつ)温泉から峰温泉へ廻り再び天城を越えて帰ってきたのであった。

峰温泉、谷津温泉については後日、筆を改めて述べるとしてここで奥伊豆温泉巡りの筆を措くことにする。

最後に申述べたいことは、奥伊豆がまだまだ俗化されずに昔の香りを殘してゐるといふことがこの地を探る人々の誰もが認めることであり、それがこれらの温泉場の強みであるとも言へると思ふ。

熱海、伊東の如き繁華な温泉場も一つや二つは無くてならないと共に、又、下賀茂、峰温泉といった、鄙びた温泉場が殘されてあっても決して惡くはないといふことを附記して置く。

以上 この項 おわり

「民衆娯樂の理想郷」宝塚温泉

日本旅行協會昭和七年一月一日發行、「旅」の終わり近くに、「民衆娯樂の理想郷」と題して、以前私が住んでいました宝塚市の「宝塚温泉」の宣伝が一頁にわたって掲載されています。80年前の「宝塚」を知るためにも、ここにご紹介しておきましょう。

「正月は寶塚中心の行樂」との副題です。

 交通 大阪梅田から直通四二分、又は神戸上筒井から西宮北口經由で參ります。日曜祝祭日には直通電車を運轉致します。

 寶塚新温泉 有名な寶塚少女歌劇は、月花雪三組交代で、四千人大劇場にて毎日公演、中劇場の寶塚國民座、大運動場の野球戰等面白い催物は年中絶えず、大浴室、大食堂、家族温泉、寫眞室、賣店、圍碁室、理髪室、圖書室、遊戯室、玉突、納涼臺、醫局等悉く完備して居ます。新温泉入浴料は大人は二十錢、小人十錢、歌劇座席券三十錢均一であります。

 寶塚旧温泉は武庫川の對岸にあり。炭酸泉で、胃腸病、婦人病、神經病によく、家族温泉、貸間の設けがあります。
 寶塚ホテルは鐵筋コンクリート、耐震耐火の純洋式ホテルで、客室は清潔。食堂、宴會場、グリル・ルーム、玉突、酒場、理髪室、賣店、テニスコート、ゴルフ・リンクス等完備し、保養に滞在に理想的で、長期滞在の人には割引があります。此ホテルを利用して、遠近の名所を探るに勝る樂しみはありません。

 有馬行(乗合自動車で四十分)
有馬温泉は、寶塚から毎日定時に乗合自動車が出ます。片道九十錢、十六キロ餘を四十分で有馬温泉前に達します。

武庫川の川沿いに建てられた寶塚新温泉の全容が写真に映っています。現在のS字大橋の辺りから、下流に南口駅近くまで大温泉施設が作られています。




今年の夏 宝塚南口駅横 武庫川下流より宝塚温泉街 歌劇場周辺を望む

武庫川を渡って行く阪急電車の車輪の音は今もボクの耳朶を離れない



2012年9月19日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・胡桃(クルミ)の収穫<標高 452m>


【オニグルミを加工】

近くに大きな胡桃(クルミ)の木があります。一本はオニグルミの成る木。もう一本はヒメグルミの木です。これは果肉を除去して初めて知りました。


木から落ちた胡桃(クルミ)はこのような形をしています。とっても堅いのでこのままでは物になりません。しばらく水に浸けておきます。油が出てアルコールの匂いがします。その後水から取り出し、土中に埋めるのです。今回の作業で判ったのですが、45日くらいで果肉は腐ってしまいます。
それを掘り出して水洗いをして、布で一つづつ汚れを拭き取り乾燥させているのが下の写真です。


このように天日干しをして乾燥させたらほぼ出来上がりです。あとはフライパンで炒りますと少しだけ口が開きますので、ドライバーかナイフを使って半分に割ります。けっこう力が必要です。割れたら爪楊枝かなにかで中身を取り出せばクルミナッツの出来上がりです。

この間3ヶ月の時間が必要でした。雪に閉ざされる冬の間、ストーブの前でゆっくりと割っていただく事にしましょう。栄養満点のクルミの加工方法をアップしてみました。ちなみにヒメグルミの方が割り易いので実の取り出しが簡単です。

(庵主の日時計日記:自然と私)より


2012年9月18日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・愛もてともに生きる<標高 451m>


【アザミとミツバチの共生】


汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の萬物何物も汝を害することは出来ぬ。(中略)本當の和解は互いに怺へ合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。怺へたり我慢してるのでは心の奥底で和解してぬ。感謝し合ったとき本當の和解が成立する。

(谷口雅春師著 甘露の法雨『七つの燈䑓の點燈者』の神示)より謹載

2012年9月17日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・同じ場所とは・・・ <標高 450m>


【妙高山麓の秋と冬・定点観測】


秋を迎えた最近の景色です ビジターセンターが右奥に見えています 山腹のスキー場のゲレンデが草原として広がっているのがわかります(池の平スキー場)


この写真は今年の1月31日に撮った『雪の壁』の様子です 壁の高さはほぼ3mでしょうか ビジターセンターは雪に埋もれて窺い知れません もうすぐこんな景色に変わってしまうのです でも雪の壁の中ではそんなに寒くないのですよ

(庵主の日時計日記:自然と私)より 

2012年9月16日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・北信濃旅情 <標高 449m>


【野尻湖畔に秋立ちて】


北信濃の保養地野尻湖畔には、初秋の風の通り道にまるで夏が置き忘れていったような、一握りの木蔭が寂しそうに居座っているのも中々面白い。湖に面したホテルのカフェテラスには幾組かのカップルたちが、色鮮やかなカクテルや、なんとかパフェといったスイーツを楽しみながら、ゆっくりと滑って行く観光船に手を振ったりカメラを構えながらも、過ぎていった夏に心を巡らせているようだ。



湖面を周遊する船の甲板では、ターコイズブルーの湖水を見つめながら、今宵の泊まりに思いを寄せて、賑やかな語らいの中にも密やかな期待に胸を躍らせているかのように見える

森の中にたてられた瀟洒なホテルやペンションを眺めながらしばらく歩いて行くと、以前小説の舞台にした小さな教会の前に出た。今ではあまり訪れる人がいないのか、秋の野草が所狭しと繁茂している。少し歩いた裏道の奥には、大正時代か昭和初期に、この地で亡くなった宣教師の墓が苔むしてたっていた。隣には彼の奥さんの墓だろうか、二つが並ぶように立っているのが哀しくも寂しかった。

もう夕暮れが近づいていた。私はリュックを背負って教会を後にした。下って行く道ばたには白い秋明菊が咲き乱れていた。それはまるで宣教師夫妻の魂を慰めるかのように墓所の方に頭を垂れていたのがいつまでも心に残っている。

(庵主の思いで日記:秋によせて)

2012年9月15日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高 448m>


【あこがれのクロカナブンに出会う】




黒い漆(うるし)を塗り 磨き上げた様な甲冑をつけて そばによってくるコクワガタを威嚇し樹液を吸うクロカナブン妙高高原でも滅多に見る事の出来ないカナブンです

夏の終わりから秋の初め頃に発生するようですが ボクも初めての出会いでした

香川県では絶滅危惧種に指定されていると聞きました 新潟県でもこのクロカナブンは減少している昆虫でしょう

天敵はオオスズメバチだと思いますが 良い勝負をするはずです今年出会った昆虫の中でも特筆すべき一種です

(庵主の日時計日記:自然と私)より




2012年9月14日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・黒姫山の初秋 <標高 447m>


【黒姫山】


妙高山(2454m)が越後富士と呼ばれ 黒姫山(2053m)は信濃富士と称されて多くのスキーヤーや登山者に愛されています。
典型的なコニーデ型火山で、旧火口付近には峰ノ大池や七ツ池など小さな沼が点在し、山頂からの眺望は絶景です。
戦国時代、志賀の池に棲んでいた大蛇が城主の一人娘・黒姫に恋をし、若侍の姿になって現れたという浪漫の伝説も残っています。
妙高山が戦国の武将の凛々しさを顕す山容だとしたらこの黒姫山は城を守る武将の妻の感じがします。ほぼ並んで位置しているのがそのようなイメージを沸き立たせるのでしょうか。

黒姫駅の近くに有ります信濃町立柏原小学校の校庭は、右に妙高山、左に黒姫山を望む絶好の場所にあります。

素敵な山々に囲まれたこの信越国境に生活出来る喜びをしみじみと感じているボクであります。

(庵主の日時計日記:自然と私)より




2012年9月11日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高 446m>

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 11 



【静かな奥伊豆温泉】              棟方銀嶺



蓮臺寺温泉は、吉田松陰が米艦に投じて渡航しようとしたことがある、丁度その頃、ひぜんを病んでこの温泉に療養してゐたといふので、温泉の效能と史的事實の魅惑とが錯綜してより有名になってゐる温泉場である。

蓮臺寺も河内(かうち)温泉のやうに田圃を控へ後に山を背負ふてゐて取りたてて景色を云々するがものはない處であった。が、河内温泉に比して何處かに落ちつきのある静かな温泉場であった。

泉質は透明の硫黄泉で皮膚病、リウマチ、神經痛等に特效があり、療養行楽向きとでも言ふ温泉場で、下田から藝妓を呼ぶことが出来るので粋人向きでもある譯だ。

旅館も整ったのが三四軒あり、全部で十一、二軒の旅館が夫々相當の客を収容して繁昌してゐるところで、宿泊料も二圓から五圓位が止りである。

下田から新鮮な魚が入って来るので、その點は田圃の中に在る温泉場でも恵まれてゐる譯だ。が、海が近いといふだけでは喰べ物の總てが美味いといふ結論は得られない。海の物の新鮮さはあっても、その調理法が下手であっては何にもならぬ。この點蓮臺寺温泉はも少し都會人向きの喰べ物にも留意すべきであろう。

然し贅澤を言へば切りがない。冬のさ中に西瓜を望むことが出来るから!

最初は石橋に泊まった、二度目は會津屋で晝飯を喰べて下田へ引っ返した。落ちつきのある田圃中の温泉に強い魅力を感じてゐる。

蓮臺寺を後に下田へ、更に自動車で三十分、下賀茂温泉を訪ねた。妻良(めら)街道に沿ふて青野川の流れにのぞんだこの温泉は、蓮臺寺温泉、河内温泉に比して、よりひなびた温泉場だった。八幡屋とか鈴木屋、福田屋などといふ旅舎が田圃中に或いは農家に入り交って建てられてあった。

それだけに荒らされてゐない、人情の濃いやかさといふものも覗(うかが)はれた。そして嬉しいことには、冬だといふにポカポカと暖かい陽が、四邊(あたり)の山々に差し込んで、いかにも南國らしいのんびりとした空氣が流れてゐた。

それに、青野川の畔にはそこ彼處にもうもうと湯氣をたてて温泉が湧いてゐた。ここを訪ねる人々を一層喜ばせるのも、斯うした南國らしい暖かさと、湯の豊富な、そして人情の質朴さがあるからだといふことだ。

別に娯樂機關とてもないこの温泉は、療養向きとして今後大いに賣出すべきで、中途半端な娯樂設備にこの温泉場を荒らさしたくないとは私ばかりの考へでもなささうだ。

それほど私にとってはお氣に召した温泉場でもあったし、一度はおすすめもしたい温泉場であった。温泉は温度が高いので、地熱を利用しての温室栽培がお行はれて、そこでは大きなメロンが作られてゐた。又、附近には石廊權現、修福寺、手石の彌陀窟等の名勝もあり、滞在中一度は杖を曳くべきところとされている。


☆ ★ ☆

<庵主よりのひとこと>


蓮臺寺温泉は、1300年ほど前、行基上人によって発見されたという名湯で、稲生沢(いのうざわ)川沿いの素朴な自然の中に位置する温泉地である。豊富な湯量と、静かな風情が、訪れる人々をなごませるのは今も昔もかわりはない。

下鴨茂温泉は源泉数が多く、湯量豊富な伊豆半島最南端のいで湯である。青野川と伊豆の山々に囲まれたのどかな風景は、立ちのぼる湯けむりとともに温泉情緒をさらに演出している。早咲きの桜と菜の花の時期が特におすすめだろう。(各温泉H.Pを参照)

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます

2012年9月10日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・秋の信越五高原を駆け抜ける <標高 445m>


【第3回・信越五高原ロングライド】

2012秋 9月9日(日)初秋の心地よい微風と快晴のもと、名だたるサイクリストの出場を得て、信越五高原を自転車で走る全行程125Km・獲得標高2,710mを目指して、参加選手250名が朝7時に2地点を同時スタートして行きました



斑尾高原→妙高高原→黒姫高原→戸隠高原→飯綱高原→スタート地点へ戻ってゴール

妙高高原→黒姫高原→戸隠高原→飯綱高原→斑尾高原→スタート地点へ戻ってゴール

コースの大半が上信越国立公園内の五高原を一気に疾駆するというなんともハードかつヘビーな道のりです。曼荼羅伝説の斑尾、山と湯の神が鎮座する妙高、妖精の気配が色濃く漂う黒姫高原、神降臨の地・戸隠、豊饒の実りを湛える飯綱ーこれら個性豊かな信越五岳を繋ぐ、変幻自在のコースです。(大会パンフによる)


妙高高原・池の平スタート・ゴール地点での開会式 サイクリストたちの夢のロングライドの幕が上がる





ゼッケンナンバーごとに順次スタートしていきます カラフルなコスチュームとヘルメット 各自ご自慢のスポーツサイクルが風を切って駆け抜けて行きます
外人選手の姿も見える国際色豊かな大会です この大会は競争ではありません 一般道を走るため交通規則を守り 地域住民の方々に迷惑をかけないよう心掛けてのサイクリングです 途中6カ所のエイドステーションが設けられ 参加選手の体力維持 熱中症対策 休憩場所としてボランテアの皆さんの努力が光ります


125Kmを無事走りきってゴールに帰って来たサイクリストの
皆さんを待っているのは 妙高高原の美しい夕暮れの景色と嬉しい温泉でしょう

今年も多くの参加選手の心の中に ここでしか体験出来ない五高原(Five Peaks)制覇の思い出がしっかりと残ったことでしょう おつかれさまでした また来年もおこし下さい

(文・写真:庵主)


2012年9月9日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高 444m>


【秋の野花・シュウカイドウ】



日曜日の朝 必ず森の教会に行かれる老夫婦がお持ち下さった

『秋到来』にぴったりの野花 【秋海棠】です 

ご自宅の周りに咲いているんだとか ざっくりと生けてみました

合唱仲間のTさんは9月の声を聞くと神戸に帰って行かれました

D女史は『暑い都会には帰りたくないの でも絵の展覧会が・・・』

大好きなトンボや蝶の姿も急に少なくなって 寂しいです

そんななかで蜂だけはせっせと巣をつくり子供を産んでいます

ボクは畑に行って トマト キュウリ モロッコインゲンなどの

収穫に汗を流しています 霊峰妙高山からの風は千金の値です

去年植えたアメリカフヨウの深紅の大輪がその風に揺れて

まるで『おいでおいで』をしているような高原の日常です

(庵主の日時計日記:自然と私)より



 





2012年9月7日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高 443m>


【オオルリの幼鳥・ルリッチ】



今年の夏 ボクのフィールドで生まれたオオルリの子供です

全部で3羽が巣立って行きました 元気で飛び回っているかな?

来年の夏も大人になって帰っておいで 待ってるからね

『ルリッチ!』お前の事はボクの胸の中にいつも生きているから

(庵主の日時計日記:自然と私)より


2012年9月6日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 442m>


日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 10 


【静かな奥伊豆温泉】              棟方銀嶺

天城を越えて最初の温泉場は湯ヶ野温泉である。温泉場は河津川の流れに臨んで建てられ、重疊(ちょうじょう)たる天城の山群を望むことが出來る。

階段をなした畠が綺麗に耕されてあったり、名も知れぬ草の實が赤々と冬の陽ざしを受けてゐたり、總てのものが田舎の温泉場といったたたずまひである。


贅澤を言って寢ころんで暮らす温泉場とは一寸趣が違って寧ろ、米、味噌持參で七輪の火でも起すーーといった温泉場に相應しい靜かなところだ。それに、天城を越えただけで何となく南國らしい暖かさが漂うてゐて、長閑な山の湯といった感じがシミジミと味へるところだった。

前を流るる河津川では、夏には鮎がとれて、それが食膳に上ることもあるちいふことだった。靜に本でも讀んで暮らす温泉、退屈したら晝寢でもして日を送るには又とない靜な温泉のやうに思へた。

湯ヶ野温泉を後に、途を右に取って、俎峠(まないたとうげ)のトンネルを過ぎると稲生澤川の畔に出る。橋を渡れば河内温泉であった。下田から十八九町、自動車で二十分程の處にある温泉で湯は無色透明の藍類泉で、神經衰弱、貧血症などに良いといはれている。

前に田圃を控えた温泉場で、下田富士、武山等を眺めることが出来たが、景勝に恵まれた温泉といふでもなく、同じ田圃に面してゐる温泉でも蓮臺寺の方に私は、より魅力を感じたのだった。附近には、近年劇に映畫にその一生を織り込まれた彼の主人公であるお吉が、言はば國際的政策の犠牲(いけにえ)となって身を投げたといふお吉ヶ淵があり行人の脚を止めてゐるのが眺められたりした。

ここは晝夜の氣温の差が極めて低いので避寒向の温泉としては相當常連を有ってゐるといふことである。
晝食を金谷で喫った私は蓮臺寺へ向かった。

☆ ★ ☆

<庵主よりのひとこと>

私どもの好きな言葉に『湯治場(とうじば)』というのがあります。山深い静かな温泉場、それも豪華なホテルや旅館が並ぶというような景色はありません。昔ながらの木造の温泉宿、湯治客は1ヶ月以上滞在し、その間の食事は主として自炊、数人の知り合いと生活をともにする事もしばしば。そして朝・昼・夜と治療に適した入浴を是としています。

野菜をしっかりと食べ、清浄な山からの水を飲み、楽しい語らい、助け合い・いたわり合いの日常生活。心身ともに癒すという合理的な治療法でしょう。一度は体験してみたいものです。 (庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます

2012年9月4日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高 441m>


【ニホンアマガエル】


玄関の照明灯の上でしきりに鳴いています

咽の袋を大きくふくらませてケロケロケロ


シルエットで撮影してみたらなかなか良いフォルムだこと

このあと15分ほどして突然大雨が降って来ました

あまりのすごさに鳴くのをやめてしまったカエル君でした

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年9月3日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち<標高 440m>


【いのちの苗床・熊笹の群生地】


お隣の庭と谷川の境に広がる熊笹の一帯

ここはいろんな生物のいのちの苗床だ

朝露がびっしりと降りた熊笹の上にはアマガエル

バッタやイナゴは笹の小舟にのって揺れている

トンボは小さな虫を求めてあちこちに移動し

梅雨明けの頃には モリアオガエルや

シュレーゲルアオガエルが葉の裏に憩う

ボクは剪定バサミを持って若い葉をいただく

笹の葉寿司を作ったり 釣ったイワナを包む

細かく刻んで干して乾かすと笹の葉茶が完成

小さな生き物から人間まで 笹の葉の恩恵を受ける

有り難きかな熊笹よ 美しきかな生き物たちよ


一斉に飛び出したアキアカネ(♂) アカトンボの代表選手だ

関西地方ではタイリクアカネが代表選手だろう

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年9月2日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 439m>


日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 9 


さて今回から新しい記事をご紹介致しましょう。とは申せ、昭和7年1月1日発行、日本旅行協「旅」より、棟方銀嶺氏の「静かな奥伊豆温泉」なる一文をご紹介致します。

☆  ★  ☆

奥伊豆の温泉めぐりに出かけた最初は、昭和二年の暮れから翌三年の正月にかけてであった。だから四年も前の事だ。その時は三島から駿豆鐵道で修善寺に出て、更に天城越えをして湯ヶ野、河内、蓮臺寺、下賀茂、更に峰温泉へ廻って再び修善寺に出たのであった。



第二回目は、東京灣汽船を利用して下田を訪ね、そこから奥伊豆の諸温泉を巡って帰ったことがある。奥伊豆諸温泉も近年は一般に知られて來た。そして船を利用してなり、自動車を利用してなり、兎に角にも不便な温泉のように思はれてゐたこれらの温泉場へ、東京方面からの浴客を南伊豆の温泉場に引きつけるまでになったことは各温泉場としては歡ぶべきことであらう。



東京から近いといふだけなら、熱海も箱根も或いは伊香保も在るのだが、その不便の温泉場へ、そして時間的に見ても、三時間や四時間では一寸困難な、それらの温泉場へ最近は足を向ける人が目立って來たといふその裏面には、何か依て來る原因がなければならないーーといふことになる。

勿論、奥伊豆は詩の國であり史の國であるには違ひない。黎明日本の温泉地下田が在り、吉田松陰の史蹟がある。そして唐人お吉の哀話が醸された情熱の國でもあるからには違ひないーーが、さうした歴史的懐古趣味も然りではあるが、奥伊豆の諸温泉はまだまだ俗化してゐないーーといふことが、一度でも温泉巡りをした人々には頷かれるのである。

或人は、最近の伊豆の温泉場はまるで都會の延長だ、何處に閑寂な氣分が味へえるかーーと憤慨をしてゐる人もある。が、恐らくはその言葉は口伊豆と稱へられてゐる。熱海、伊東、修善寺といった温泉場に向けられる言葉であらうと思ふ。

天城を越えた湯ヶ野にせよ、谷津にせよ、或は、蓮臺寺にせよ、まだまだ田舎の温泉場、山の湯としての圏内から一歩も出てゐないことを知る。それが又一つの大きな力として誇らねばならぬことなのである。

                                                           写真:Imagined by Jun

<庵主よりの一言>

奥伊豆はいまも昔も日本人の憧れの湯巡り、心身癒しの旅路であることには変わりはない。今から80年も前の紀行文からも、当時の伊豆の温泉場の状況が見て取れるのだ。では旅行者は旅先に何を求めているのだろうか?

そこには『非日常』そのものではありますまいか。自分が今住んでいる都会と同じものが旅先の景色や風情に充満していては、何の為の「心身癒し旅」なのだと言うことであろう。そのような気持ちで旅するなら、まだまだ日本には旅人に優しい『隠れ宿・隠し湯』などが残っている。地図を開き、時刻表を繰りながら計画を立てるのも旅の楽しさである。
       (庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます