2013年7月24日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・蓬莱渓谷の一夜(最終)<標高 683m >


【有馬郡 蓬莱渓谷の一夜】

       登場人物:英国の実業家 クリフォード・ウイルキンソン
                                      :蓬莱渓谷に庵をむすぶ山家の男



(ク)『マスター、コノ、ワラー、水ハ、ココデワイテイ

    ルノデスカ?』

(主)『そうじゃよ、庭の奥の岩の間から滾々とな』



(ク)『コレハ、ソーダデス。ニホンデハ、タンサンスイと



    イウノデショウ』



(主)『なんじゃそれは?』


(ク)『コノミズヲ、スコシ、イタダイテモイイデスカ?』

(主)『そんなもので良ければなんぼでも持って帰れ』

<そう言って主人は笑った。>

<前の林の中には、鶏が放し飼いされている。イタチや野生の猫などとも共存しているらしい。朝早く林を歩いて地鶏が生んだ玉子を集めるのが主人の朝の仕事だそうだ。それは自然が落としてくれた命の糧そのものだと言った。

主人はこれらの仕事を、毎日流れるようにこなしている。まさに自給自足を絵に描いたような生活とは、こんな事を言うのかも知れない。

さて夜はもう、ずいぶん遅くなってきた。外は大雪になった。戸の隙間から入り込んでくる風の音が、なんとも恐ろしく凄まじい。>

[音楽 (鎮魂のしらべ)最後まで流す。終わればストップ]

<山家(しゃんか)の主人は、以前、町で生活をしていたと話した。三十過ぎには結婚もしたそうだ。相手は身寄りのない薄倖の女だったらしい。二人の間には幸か不幸か子はなかった。>

(主)『四十歳ころにワシは町を離れ、この蓬莱山麓に移っ

    てきた。妻も一緒になって周りを開墾してな、畑を

    耕し米を作り、まあ二人だけの幸せな日々が続いて

    いたのじゃよ。』

(主)『そんなある年、長雨の続いた梅雨の終わり頃じゃっ

    た。夜半から降り出した大雨に、裏の山が突然崩れ

    た、あっという間もなく、二人とも土砂に流され、

    妻は声を上げる事もなく暗闇(くらやみ)の濁流に

    のまれて流されてしまった。 ワシは奇跡的に、木

    の根に掴まり命は助かったが、妻は二度と帰って来

    はせんじゃった。その日からは、ただ妻のことを考    
    えながら畑仕事に没頭したのよ。忘れようと

    思っも、できゃせんかった。夜は妻に据え膳をし

    て、たったで酒を呑んだのじゃ。

    泣きとうても涙ひとつ出はせんかった。せめてもう

    一度妻の顔を見たい、声を聞きたい。それ一心の悲

    しい辛いワシの人じゃよ』

<主人は妻の縫ってくれた刺し子の着物を、それ以来一時もはなさないと言った。妻は、この主人が一生にたった一人、心底愛した女性であった。妻の名を菊於(きくお)といった。>

(主)『もう過ぎたことぞ、もどりゃ〜せん

<そう言って主人はじっと目を閉じた。彼にとって妻は、大切な、己の命以上の存在だったに違いない。それ以降彼は、妻の亡くなった七月には、決して猟には出ない、殺生はしないと心に決めている。それが妻へのせめてもの鎮魂の祈りからでもあると言った。これから老いていく主人の生業(なりわい)は、妻への供養行脚の旅そのものであろうか、哀しい心の旅路でもある。>

[再び 鵲橋(かささぎばし)の音楽]

<翌朝、新雪を踏みしめながらクリフォード・ウルキンソンは蓬莱渓谷を後にした。山家の主人は猟銃を背にして雪の林に消えていった。>

<クリフォード・ウルキンソンは、山家の主人からもらった炭酸水をすぐさま、母国ロンドンに送ったのであります。そして分析を依頼します。その結果、これは医療用、食卓用として折り紙付きの世界的名鉱泉というお墨付きをもらったのです。これが炭酸清涼飲料製造会社、ウヰルキンソン社がこの世に出現した始まりでありました。>

<皆様もよくご存知の『バヤリースオレンジ』はこの会社の花形商品でした。>

<明治の初期に母国イギリスより、近代国家とは名ばかりの日本の国、それもとりわけ草深い武庫川河畔に居を構えた彼の勇気と使命感が、私たちの琴線を揺り動かすのであります。皆様も一度はお飲みになった事があるでしょう。そのオレンジジュースこそ、あの斜めひょうたんマークの商標でした。今でもそうだと思いますが・・・・。>

<山紫水明、水清らかな宝塚市武庫川河畔にあった工場は今はもうありませんが、クリフォード・ウヰルキンソン氏の熱い思いと、宝塚温泉(炭酸鉱泉)が、彼の名前と業績を今に残しています。昭和50年頃まで、阪急電車、逆瀬川駅のすぐ近くに彼の大邸宅がありました。その名残は今、川沿いのコープの駐車場に石垣として少しだけ残っているのであります。

【完】 

(庵主の懐かしの脚本より『蓬莱渓谷の一夜』を4回にわたってアップさせて頂きました。お読み下さった方に感謝申し上げます。またの機会をお楽しみに。)

2 件のコメント:

  1.  最愛の友人でもある奥様を奪われてしまうアクシデントは主人公にとって気の毒ですね。大自然の災害はいつ襲ってくるかわかりませんが、こういう奪ってもらいたくない人の伴侶を突然奪い取ってしまうとは、運命とは過酷な一面がありますね。
     バヤリーズオレンジは大好きな飲み物です。ビンに横に倒した瓢箪のマークがついていますがこういう昔話があったのですね。庵主様の故郷は昔から歴史の舞台としていろいろな逸話が残っているところなのですね。 

    返信削除
  2. 小川 洋帆 様

    こんにちは。

    そちらはいかがですか? 大雨が降っているようですね。
    午後から強烈な雨雲が通過しそうで、充分気をつけて下さいね。

    ボクもバヤリースオレンジ大好き人間です。今は『アサヒ』がその商標を買い取ったやに聞いています。ではまた。

    返信削除