2015年3月9日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(34)】(標高 1083 m)


【男達の黄昏・・そして今(34)】

 小田村敏夫は、『椚台』から夕陽丘一帯の邸宅の庭の手入れに植木屋として入り込んでいたのでした。仕事の合間にそれぞれの家の間取りや家庭の中の事まで知り得たのです。いつの日からか彼はそれらの家々を荒らしてまわる空き巣犯に成り下がってしまったのでした。深沢周八は、この事実を宝沢市警察が掴んでいるのだろうかと考えていました。事は急を要しているのです。一日も早く小田村敏夫に会って彼のシナリオを伝えたい。もう今年のクリスマスは間近に迫ってきているのでした。

 その年も既に残すところあと二ヶ月、十一月を迎えておりました。ここ夕陽丘にも冷たい風が『仙人岳』から吹き下ろしてきます。町の通りが、風の道になって時には突風ともなって楓の葉を巻き上げ、それは恐ろしい姿を見せているのです。その頃、黄昏班のメンバーは秋の「馬の背町」へのハイキングに出掛けるため日本晴れの日曜日、5丁目の公園に集まっていました。哲じいの先導で歩き出したのが朝の9時でした。

 参加者は山岡哲夫妻、上沼幸三夫妻、市村徳治郎さんの奥さんは健康上の理由から欠席です。リチャード先生、キャサリン夫人。深沢周八さん、そして寿司屋の明石鶴之進さん。それと3丁目のバス停から合流した、天宮真智子さん。合計10名でした。国道筋に出て、「馬の背町」方面行きのバスに乗ります。距離にして25Kmほどでしょうか? 国道を北へ走り途中で逢来川に添って走る。ちょっと寒い位の風が頬に心地よい。七曲がりをバスはゆっくりと上って行く。途中真言宗「心鏡院」の山門を右に見て「馬の背町」へと入って行きます。平安の昔に建立された、延喜式内社「馬の背神社」が苔むして鎮座ましましています。

 町役場の前でバスは止まる、ここが終点です。夕陽丘辺りと比べると海抜にして100mは高いでしょうか。それだけ外気温度も下がって、今摂氏12度を示している。当然周りはもえるような紅葉であります。早速、沼ちゃんはカメラを採りだして写真撮影に余念がありません。リチャード先生はなにやら古式豊かな、磁石などを取りだして方角のチエックをしています。奥さんの横で、山の方を指さして何か説明しているようです。英語で話しているので、何を言っているのか判りませんが、山の奥にお寺の屋根の先端が見えています。どうやらそれについて説明しているようです。

 このバス停付近で小休止という事で、それぞれ町役場のトイレなどに散っていったようです。徳さんは早速、ビールを取りだして飲んでいます。この景色の中で飲むビール、さぞ美味しい事でしょう。深沢周八さんは、じっと腕組みをして何か考え事をしているようです。この地域が今後の宝沢市発展のキーポイントとなるかも知れず、自分の目でしっかり確かめているのでしょう。その時彼の側に、天宮真智子さんがやってきました。今日の彼女は、普段の緊張感漂う宝沢市警察の婦警主任の面影は全くありません。明るいお茶目な女性としてこの自然の中に溶け込んでいるようです。

 深沢周八は軽く会釈をして、横のベンチをすすめました。少し離れて座った天宮の髪から、爽やかな香りが漂ってきます。まるで、宝塚歌劇の男役が今しも抜け出てきたようです。『天宮さん、少しいいですか?』と周八は言いました。『ええ、いつもお世話に・・・』そう言って彼女はウィンドパーカーの襟を立てました。『あの、小田村真一の事なんですが。こんな場所でお聞きしていいでしょうか?』再び彼は念を押しました。『真一がどうって?』『35年前の風水害で亡くなった真一。山麓保育園と小田村敏夫の繋がり、そして彼の保育園に対する思い入れ。年末クリスマスの腹話術。当然貴女は、それら全て掴んでおられる・・・。』『さあ、どうでしょうか? 私どもも仕事柄、それらに集中して対応していますからそれなりには』。と天宮真智子は周八の目を見て云った。周八は彼女に見つめられて、自然に目をそらせた。吸い込まれるような深い目の色である。『一つ教えて頂けないでしょうか?』『はい、なんでしょう』。そう言って天宮は再び周八の顔を見た。

 どうやら、彼女は人と話すとき必ず相手の目をじっと見る癖が付いているようであった。警察官の身に付いた習わしであろうか。『真一ちゃんのお墓はどこにあるのでしょうか・・・?』『お墓? 真ちゃんの?』天宮も驚いたようなリアクションであった。しばらく考えていたが、『真一ちゃんのお墓は、ここへ来る途中バスが通ってきた心鏡院にあります。』『ああ、そうですか。有り難うございます』。周八は礼を言って頭を下げた。
『深沢さん、どうして真ちゃんのお墓の事を・・・』『なんでもないのですが、一度お詣りしようかと思って。』『そうですか、真ちゃんきっと喜ぶでしょうね。お母さんの愛も受けずに可哀想な短い命だったのですから』。

 大きな檜の前で山岡が、集合!と叫んでいる。どこからともなく9人の参加者が木の周りに集まった。これから、牧場を目指して出発である。空はあくまで青く、空気は凛とした風となって川面を駆け抜けてくる。先頭を行くのは上沼夫婦、みんな一様に子供の頃に帰ったような気持ちがしていた。宝沢市、馬の背町切畑、「夢遥牧場」(ゆめはるかぼくじょう)には牛や羊が、草原を亘る風にアルペンホルンの音色の中で群集いながら草を食んでいました。大きなログハウスが見えて、屋根の上から白い煙が上がっている。もうストーブを焚いているのでしょうか。メンバーはみな、ここが宝沢市とは思えなかったのです。

 ほんのりと木の香りがする、「夢遥牧場ゲストハウス」です。大きな入り口、檜と杉の木をふんだんに使った丸ログ。これらの素材は全てここ「馬の背町」の山林から伐採されたものである。やはり日本の木材の素晴らしさが随所に感じられる木造建築である。広いホールには、大きな木製テーブルがゲストを心優しく迎えてくれる。黄昏班のメンバーは、腰をかけてコーヒーを注文しました。コーヒーサイフォンから醸し出される香ばしいかおり。南側に開けている森林の風景が、おおきなガラス窓より見える。牧場では牛や羊が草を食んでいる。ここは岩手県の「樅の木牧場」(もみのきぼくじょう)と提携をしています。かつて阪神淡路大震災の時、かの地より多くの支援を戴いたのでした。今年もお互いの牧場に働く青年の「交換留学」が行われていました。

 岩手県よりやって来た青年が、コーヒーを運んできます。香り高い一杯のコーヒーの中にも、山の自然と人の優しさが溶け込んでいるようです。リチャード先生ご夫妻も、アメリカ、ワイオミングの故郷を思い出して感無量と言った面持ちで外を眺めておりました。

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