2013年1月3日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ジャズパブ維摩 15 <標高526m>



『どうです一杯』 そう言ってわたしは地ビールを彼女の前に置いた。ジャモウが薄目を開けて「雪女」を窺うている。女は一口、ビールをのんで『ああ、美味しい』 と呟いた。肩のこわばりが、少し楽になったようだった。

私は、ナット・キング・コールの『モナリザ』を低く流す。真空管アンプ独特のテンダーネスの響きが、午後の残照の中で静謐の時間を連れてくるようだ。女は少しずつ話し出した。それは私が考えていたストーリーとは、全くかけ離れた内容であった。

『マスターさん、こんな話をして良いかどうか何度も悩んだのですが、誰も相談する人がいないので、ここをお訪ねしたのです』 と目に涙を浮かべながら話し出した。話をかいつまんで言うとこの様になる。

郷里は、宮城県気仙沼。26才で結婚したが、夫がバクチに手を出し大きな借金をかかえる。結婚3年目の頃のことであった。その借金を返すべく、体を張って夜の世界に身を沈めた。後は酒と男の欲望の中でズタズタになって体を壊した。

長期療養が続いた。その間何度も死のうとしたが死にきれず、神戸に出て行ったたった一人の兄を捜しにきたのが昨年の十二月の半ば頃であった。彼女がこの『維摩』に「雪女」として入ってきたのがクリスマスイブの大雪の夜である。

その兄は未だに見つからず、蓄えのお金も底をつきかける今日この頃。一人で苦しんでいたら又自殺の事ばかり考えるので、ここを訪ねたと言う事だった。実はその話は、あの大雪のイブの夜、浜ちゃんと入ったホテルの一室で始めから終わりまで全編に亘って話したらしい。

結局二人は夜が白々と明け出す頃まで、ああでもない、こうでもないと無い知恵を捻って話し合ったらしい。浜ちゃんも最初のよからぬ企みもどこかへ消え失せ、まるで人生相談の民生委員そのものであったようだ。まあ彼も女の過去を全て聞いた後で、なにしようなどとは思えなかったのだろう。それが浜ちゃんの優しい人柄でもあった。

私はその時あの白マフラーの男が、女の探している兄だと確信していた。兄を頼って神戸まで出てきたこの女に、これ以上悲しい思いをさせたくなかった。さきほどから私はある事を考えて、心に決めていたことがあった。

『こんちわ』 。扇子を持って新在家甲六師匠がドアーを開けた。『ありゃ、今日のお客は、雪女かえ。シャシャ〜ン、シャシャシャシャ、シャ〜ン』と口三味線。『師匠、この女性今日から維摩のチイママじゃ』『ホンマのママは誰じゃいな〜〜あ』まるで芝居である。『ホンマのママは、ジャモウじゃわいなあ〜』

『ジャモウは男じゃぞいな〜あ』『なにをおっしゃる甲六殿、男とはまっかな偽り、おなごぞいな〜』『さいでやすか、今日からニューフェイスちゅう訳でんな。よろしゅ、お願いしまっせ』

『ほら早よご挨拶せんかいな』と私。『今日からこの維摩にご厄介になります、源氏名、お雪にございます』 なかなか良いセンスをしている。ちゃんと受けよった。気仙沼仕込みだけの事はある。

たった一人の身内の兄を頼って神戸にきた「雪女」。いっしゅはんは、何をどう考えたのか、この『維摩』で預かることにしたようだ。それにこの「雪女」、常連にとってはまんざら知らん間柄でもない。

さてこの後大変な事が・・・・。


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