2013年9月21日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 745 m >



【花一輪・恋の笹舟(十三)】

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

「無知亦無得、以無所得故」

順心は早朝より読経、そして寺の作務、夜は僧達との学びを遅くまで行った。若い僧侶達との熱心な話し合いは、夜遅くまで続いてなかなか終わらなかった。それはこれからの宗派の将来像から、社会の問題まで多岐にわたっていた。順心は生まれて初めて、志を同じくする者たちとの接触を経験して、打ち震えるような感動を覚えたのである。

その中に、年齢は四十半ば、がっちりとした体格、浅黒い肌、名を慈恵という壮年の僧がいた。この六日の間に、不思議と互いに心が通い合う同志としての友情を結んだ。彼はいつかきっと、丹波篠山の順心の寺を訪ねると約束してくれたのだった。その燃えるような目の輝きと、頭脳明晰な判断力に、並々ならぬ逸物であろうと思った。

順心はその寺に六日間滞在し、老院主の御霊を回向した。そして塚田慈雲師に心から礼を述べて秋の深まる中、松山の地を離れ再び四国の霊場へと向かったのである。


『朝まだき紅葉の渓に散る葉さへ水に浮かびて流れしものほ』

順心は、春禰尼より手渡された結び文の和歌を今一度口に出して読んでみた。丹波の地は恙(つつが)なく普段通りの生活であろうか。村のおスミ婆は今日も畑に出て作業をしているだろうか。寂夢庵の谷はもう秋から初冬に変わってしまっているだろうか。自分の住まいする久遠実相寺は何事もなく杉林に埋もれているだろうか。歩きながらも続から続へと思いはつのって、一層強い郷愁の念に駆られるのであった。

順心は今回の旅で、初めて一つの土産を手にしていた。松山の街で求めた品である。それは「伊予絣」(いよがすり)であった。

伊予の松山名物名所 三津の朝市 道後の湯
音に名高き五色素麺 十六日の初桜
吉田挿し桃 小杜若(こかきつばた)
高井の里のていれぎや 紫井戸や片目鮒
薄墨桜や緋の蕪(かぶら)ちょいと伊予絣

と民謡にも唄われている伊予絣である。

それは麻文様の入った女性の作務衣であった。素朴な落ち着いた感じがした。春禰尼が普段に着ているものとよく似ていた。ある意味で生まれて初めて女性の為に求めたものといってもよかった。

2 件のコメント:

  1.  順心も春禰尼も独身で健康な若者ですからお互いに惹かれ合うのは素晴らしいことだと思います。こうして二人の新しい人生が希望に満ちたものに展開して行けば国の活性化のために貢献する人生が送れるのではないでしょうか。

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  2. 小川 洋帆 様

    お早うございます。人生は「今」の連続でありますね。その「今」も、もう既に「過去」に置き換わっています。という事は「Eternal Now」=永遠の今、こそ実態のある時間にほかなりません。
    これを佛教では「久遠の今」と称し、神道では「弥永遠(いやとこしえ)」とも申しております。

    ではまた

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