2014年1月11日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 842 m >



花一輪・恋の笹舟(三十九)

道諦・歩む・八正道・正語(しょうご)

順心は茶道の心得など皆無であった。長い人生の中でそのような場に居合わせた事がなかったのです。慈恵はというと、茶の湯の心得があるようで、春禰尼の手元をじっと見つめている。

尼は点てた茶をまず慈恵の前においた。彼は作法通りに茶を喫した。その姿は流れるように、優雅ですらあった。春禰尼は順心に茶をすすめた。順心はなにも判らないままその茶を飲んだ。決して美味いとは思えなかった。慈恵と尼とが茶の湯について話すのを傍でじっと聞いていた。順心は、なにも判らない自分が恥ずかしくもあった。

二人が礼を言って寂夢庵を出た頃は、もう陽が山の端に隠れようとしていた。代わりに朧の月が谷間の隙間を抜けていましも中天にかかろうとしている。二人は寺への道を急いだ。どちらも言葉を交わすことなく黙々と歩いた。

その夜、順心と慈恵は勤行が終わった後、これからの自分たちのことについて遅くまで話し合った。二人は真言宗の僧である。慈恵は今自分がおかれている立場について話した。それは永聖寺の将来のことに加えて、自分が将来その寺の重要な位置に身をおくことについても吐露した。

寺には数十人の僧がいた。寺の経営にも手を染めねばならないとも話した。独りで久遠実相寺を預かる順心は、慈恵のこれからの人生が大きく拓けて行くのを感じて、自分が取り残されていくかのような思いに駆られていた。

慈恵がポツリと言った。『御佛より与えられた使命を果たすことが、この世に生を受けた目的じゃ、お互い不惜身命に生きようぞ』そう語った慈恵の眼(まなこ)は一点の曇りもなく深く透き通っていた。

順心はその時、自分が寂夢庵で感じた慈恵への「嫉妬心」が、今しも蝋燭の浄化の炎で焼き滅ぼされるのを痛感していた。その夜の自分の未熟さからくる恥辱は、彼の人生の長きに渡って事ある毎に思い出されるのであった。

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【庵主よりの一言】

道諦(どうたい)・歩(あゆ)む・八正道(はっしょうどう)・正語(しょうご)

では正語とはどういうことなのでしょうか。つねに真理に合った言葉使いをする事です。具体的に申しますと、社会生活の上で慎まなければならない事では、妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということがその意味です。でもこの「正語」を自分自身の生活の中で守るのは並大抵のことではないように思います。

それを為すのには、自分の心の奥にある「潜在意識(サブコンシャスネス)」を浄めていかなければなりません。河川でも源流が汚れていては、下流はもっと汚れますね。大本を美しくすることが「潜在意識」を浄める事なのです。明るい言葉、前向きな想念感情を日々持ち続けることもその一つですね。

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