2013年5月1日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・フーテンの寅さんに会う <標高 606 m>



【原一平氏との出会い】

その日は昨年の106日の土曜日の事だった。数日前に知人が入院したと奥さんよりの連絡を受けていた。早めに訪ねて行きたいと考えていたが、来客があったりして伸び伸びになっていた。朝起きてみると晴天だったので『よし今から歩いて駅まで出かけよう』と、いつものせっかち癖が出て来たのである。

家から妙高高原駅まで徒歩で約1時間の行程である。高原では晩秋にさしかかっていて、とても爽やかな天気、歩いていても汗はかかない。駅前について切符を買おうと歩いていると、なんだか見た事のある男性が一人、喫煙場所でタバコを吸っている。

切符を買う間も『たしかあの人は・・・う〜ん・・・』と、思いあぐねていた。その時ふとあることを思い出した。その男性の足下にトランクが一つ置かれていた。これで全てがクリアーになった。切符を買うとすぐさまその男性のもとに急いだ。

『失礼ですが、寅さんですね』『えっ? ハイ ところで おあにいさんは』ときた。その声はまさに『フーテンの寅さん』そのものであった。私も自己紹介をさせてもらい、列車が到着するまでの20分ほどの間、『車寅次郎旅日記・妙高高原温泉巡り』(シリーズには無かったが)、の映画の一場面の様な景色がそこには広がってくるのを感じた。

『ところでここは何県になるんでしょうか?さっき東京から着いたもので右も左もさっぱりなんで』『ここは新潟県です。でももう少しで長野県に入りますよ』『という事は雪が深いんでしょうな』『そうですね、この駅前あたりで1mほど積もるでしょうか?ボクの住んでいる所は3mも積もるのですよ』『そりゃ、ていへんだ。でもおあにいさんは、ずっとこちらにお住まいで?』『いいえ、最近ここに引っ越して来たのです』『こりゃまた物好きなこって。こんな雪深い土地にねえ。で、どうして?』『美しい自然と優しい人の多い妙高市、これがボクの脊中を押してくれました』『いいこと言うねえ〜 憎いねこんちくしょう』。

ちょっとくたびれた、つば付き帽子、なんと裸足の足には花柄の尾のついた雪駄を履いていた。背広はいつものダブルのそれをザックリと引っ掛けている。

『寅さんはどうして妙高に?』『いやね、赤倉温泉のホテルTに一ヶ月ほど前から寅さんが逗留しているので、一度会いに来ないかとのオファーがあって、遠路はるばるやってきたって寸法さ』。

そう言って苦笑いをした。もう一人の寅さんがホテルTにいる・・・? 私はなんのことだか分からず首を傾げた。

『よくあることなんですよ、寅さんは国民のアイドルなもんで』『と言うことは寅さんのニセ者?』『おあにいさん、それを言っちゃおしめいよ』『でも貴方が本物の寅さん・・・?』。私には原一平さんも寅さんのニセ者だと納得するのにしばらくの時間がかかったのだった。

妙高山に上って行く道を一台の車が下って来て、私たちの前で止まった。それはホテルTの社用車だった。降りて来た運転手はこう言った。『先生、ご遠方ご苦労様です。列車の旅いかがでしたか?』『ちょっと退屈だったがね』。そう言って原一平の寅さんはトランクを下げて吸っていたタバコを消した。そして私に向かって手を差し出した。『おあにいさん、あんさんもお達者で、あばよ』『寅さんも温泉にでも入ってゆっくりおくつろぎ下さい。ニセ者の寅さんにも宜しく』。

私は彼の手の温もりを感じながら、山に向かって去って行く寅さんに大きく手を振ったのだった。妙高高原にはいよいよ秋が深まって、どことなく冬が忍び寄っている10月の朝のことであった。

(庵主の日時計日記:心の出会い)より

2 件のコメント:

  1.  珍しい出会いでしたね。私の知っている「原一平」氏は故人ですが、かつての生命保険勧誘の営業マンとしてそれこそ「腹一杯」注文を取った、日本一と称えられた伝説的な保健勧誘人でした。
     現在も活躍している芸能人としての原一平さんが居るのですね。

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  2. 小川 洋帆 様

    お早うございます。

    いろんな出会いが人生にはあるもので。思わぬ出会いもあれば、夢で見た人との出会い。
    その絆を大切にすることは、人生を豊かにしてくれます。
    「人を愛するごとく、己自身を愛する」これはボクの座右の銘です。だはまた。

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