2013年10月17日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 771 m >



花一輪・恋の笹舟(十九)

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

「是大神呪、是大明呪、是無上呪」

『春禰尼様、誠に失礼かと思いますが、拙僧、伊予の土産を求めてまいりました。どうぞお納め下さいませ』そう言って風呂敷に包んだ伊予絣の作務衣を春禰尼の膝の前に置いた。

明らかに驚いている尼をみていると、男性から贈り物を貰うのが滅多にないか、それとも初めてであるかのような仕草であった。順心も女性にそのような品を渡すのは、生まれて初めてであった。どう言って手渡したら良いのかさえも分からなかったのである。



『順心様、このような尼にお心遣いなどは無用でございます。はてこれは・・・』『はい、尼様のお姿を旅の夜、夢の中にもみたのです。そして初めて買い求めました。どうかお納め下さいませ』そう言って順心は風呂敷包みを解いた。


燭台の炎が大きく揺らいだ。春禰尼はその伊予絣の作務衣を腕(かいな)で押し頂くように持ち上げた。そしてそれをじっと眺めていた。頬が少し紅潮したのを順心は感じていた。

『なんとお礼を申し上げて宜しいやら。わたくしには身に余るお心、必ずや大切に使わせて頂きます。この伊予絣、亡くなった母がよく着ておりました。この着物の柄と同じでございました。あ、順心様少々お待ち下さいませ』そう言って尼は、奥に入って行った。

 しばらくして盆にのせた茶を持って出てきた。手には小さな包みを下げている。順心は少し体が冷えていたので熱い茶はなにより有り難かった。掌(たなごころ)に大切に包み込むようにしてそれを少し飲んだ。

『順心様、わたくしこれをと思ってお作り致しておりました。托鉢にお出での折にお使いになっておられる殿方の手甲と脚絆にございます。どうかお納め下さりませ』

尼の差し出す小紋の袋、紺の紐がかけられてある。仄かに白檀の香華が順心の鼻孔を擽(くすぐ)った。礼を言って順心はその袋を受け取る刹那、尼の白い手に自分の手が触れたのを感じていた。そして無意識にもおのが手を強く重ねてしまった。

尼は少し後ずさりをしたようだったが、そのままじっとしていた。灯明の揺らめきが大きくなって、障子を照らしている。春禰尼の頬をつたった涙の一滴が、重ね合った二人の手に落ち掛かった。

その涙は哀しくも儚(はかな)い、これまでの尼の過去を連れだちて、今順心の胸の内を濡らしたのを強く感じていた。順心は立ち上がって深く礼をして、逃げるようにして枝折り戸を押した。

大きな欅でフクロウが鳴いているのが聞こえた。まるで自分の心を見通しているかのような、悲しくも切ない声であった。順心はあの時重ねあった手の温もりが、今もまだ消えずに火照(ほて)っているのを感じながら、ひたすら夜道を走った。

2 件のコメント:

  1. 涙があふれる…人を愛おしく想う…人とは儚くて切ない生き物ですね…

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  2. maruru 様

    こんばんは。

    たしかに人間の生は儚くも哀しいことも多々あります。しかしそれにも益して、歓びや感動にうち震えることも少なく有りません。たとえ孤独な道を歩む時でも、自分の中に神仏のご加護が必ずあることを信じましょう。

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