2013年10月24日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・須弥山観音に祈る(標高 778 m)

【諸橋孝夫さんのこと】



平成191022日配信 毎日新聞


 ◇精神伝える−−両親ら参列、開眼法要
 中越地震のボランティア活動に携わり、重い肺炎にかかり亡くなった妙高市(旧妙高高原町)関川、消防団分団長、諸橋孝夫さん(当時41歳)を追悼する「須弥山(しゅみせん)観音像」が完成し、21日、自宅脇で開眼法要が行われた。「穏やかないい顔をしている」と語る父文夫さん(75)の傍らで、母シヅさん(77)は「玄関のすぐ前にあるから、毎日手を合わせることができる」と観音像をいとおしそうにながめた。
 諸橋さんは地震発生から間もない04年11月上旬、震度7の激震に襲われた川口町でボランティア活動に加わり、キノコ工場の後片づけに従事した。作業中に吸い込んだカビが原因でアスペルギルス肺炎にかかり、同年12月24日に亡くなった。
 諸橋さんの死を悼み、ボランティア精神を後世に伝えようと遺族や住民らが「須弥山観音像を作る有志の会」を設立。文夫さんを代表に、東京・銀座などで募金活動を続けた。約75万3500円の浄財が集まり、遺族も一部負担して完成にこぎ着けた。
 石造りの観音像は高さ約1・5メートル。左手にハスの花を持ち、柔和な面立ちをしている。自宅脇の畑を整地し約1・2メートルの台座の上に建立された。「須弥山」は諸橋さんの自宅に近い妙高山の別名に由来する。
 開眼法要式典には遺族のほか、川口町の岡村譲町長ら約60人が参列。文夫さんは「息子の死から3年たって、家族も悲しみから立ち直ることができた。明日にでも観音像が無事建立したことを墓前に報告したい。ボランティア活動の発展と無事故を祈っています」とあいさつした。(平成191022日朝刊)

(新潟中越地震から9年目を迎えた昨日、この観音様を拝ませていただき、崇高な精神力と真心を捧げられた諸橋孝夫さんを偲ばせていただきました。観音像開眼法要式典当時の毎日新聞の記事を慎んでここに掲載させていただきました。庵主 合掌 礼拝)

2 件のコメント:

  1. こういう尊い働きで命を落とした方々は本当に有難い事をされましたね。心からご冥福をお祈りいたします。
     各自治体の消防署員が慢性的に不足している中で、アマチュアとして自分の時間を犠牲にして地域のために盡す消防団員の活動は有難いですね。本来なら定員不足となっている消防をもっと増やして災害時のプロとして活動してもらう必要がありますね。

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  2. 小川 洋帆 様

    お早うございます。台風の余波があるようです。充分お気をつけてお過ごし下さいませ。今伊豆大島でも千数百人の自衛隊、消防団、警察、ボランテイア有志の方々によって日夜、捜索活動が続けられています。ご不明の方々の一刻も早い発見と、皆様に二次災害が発生しないよう心から願っています。当時の諸橋孝夫さんの献身的なご努力を偲びつつ、祈っております。

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