2014年1月14日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 845 m >



花一輪・恋の笹舟(四十)

道諦・歩む・八正道・正業(しょうごう)


丹波篠山の山裾の村内に、強烈な印象を残して去って行った慈恵師のことは、村人達の話の中に、これからもずっと語り伝えられるだろう。順心もまた朝に晩に慈恵の恙無き事を御仏に祈っている一人であった。

慈恵師が久遠実相寺を去ってはや二ヶ月が過ぎた。季節はもう初夏の様相である。順心は朝から寺の裏手にある雑木林に来ていた。冬の大雪で、木立が折れたり倒れたりしていた。

それらを集めては荒縄で縛った。

そんな束がすでに十数個出来ていた。一服しようと、傍の大石に腰をかけて茶を飲んだ。



その順心の目に、山門に続く道を一人の男が登って来るのがかすかに見えている。それはゆっくりとまるで牛の歩みのようであった。どうやらこの村の住人ではないようだ。順心は作業を中断して境内につづく獣道を下りた。



その男は一歩一歩確かめるように寺に続く石の階段を登ってくる。頭が見えて、そしてようやくのこと山門まで登り切った。しばらく立ったままで息を整えているようだ。境内を掃除している順心のそばにやって来て、丁寧にお辞儀をした。



『こちらは、阿方順一さんのおられるお寺でしょかいの?』とその男は言った。順心は耳を疑った。どうして自分の名前をこの男が知っているというのか?今では阿方などと呼んでくれる人は誰もいない。まして日常では、自分すら本名を使うことは先ず無いからである



『はい、私が阿方順一ですが、なにか・・・』そう言った時、男は日に焼けた顔を歪めて、なんと目から大粒の涙を流したのだった。が、しばらくしてなんとか、落ち着きを取り戻したようだった。

『わたっすは、徳島の美馬郡より来たもんです、柴田寛三というもんでっす』『柴田さん・・でしたかな、どうして美馬からここへ』と、順心は覗き込むようにして問うた。柴田と名乗った男は、薄汚れたタオルで目をこすっていたが、とつとつとこう話し始めた。

『わたっすは、阿方はんのお父さんに良くしてもらった一人です』『私の父にですか?』そう言ったあと、順心は柴田と名乗る男を本堂の土間に誘った。それは立ったままで聴く話ではないと思ったからであった。

2 件のコメント:

  1.  父親が遺してくれた他人に対する善根が子や子孫に有難い福をもたらしますね。

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  2. 小川 洋帆 様

    お早うございます。仰る通り、先祖や両親が遺して下さった善徳は、いつの日にかこの世で花が咲くでしょう。私たちもそうありたいですね。洋帆様のお父様もそうだったのですね。感謝

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