2015年1月17日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(22)】(標高 1058 m)


【男達の黄昏・・そして今(22)】

 普段経験した事のない『尾行』。まるで自分が刑事になったかのような不思議な体験でした。あの男に気づかれてはいなかっただろうか。あの路地の奥に彼の住まいがあるのだろうか?ただ何気なくあそこに入って行っただけではなかったのか? 考えれば考えるほど不安になり、心配になり、どのように黄昏班のみんなに報告すればいいのだろうか? あの周さんの様に理路整然と説明できるだろうか?そんな事を考えてなかなか寝付くことの出来ない夜が更けて行きます。彼は起き上がって昨日の出来事を日記に細かく書いておきました。記憶の中にあるどんな小さな事も書き留めたつもりでした。その日記が後になってある事の決め手になろうとは、その時はまだ誰にも判っていませんでした。夜が白々と明けてきました。朝9時になったら、山岡さんに連絡を入れようと思った時、ブルット体が震えました。それは久しぶりに彼が感じた『武者震い』でした。

 明るい陽差しが梅雨の晴れ間から差し込んでいます。上沼幸三は睡眠不足の目をこすって、冷たい水で洗面を済ませました。彼が釣り上げた大きな魚の魚拓が掛けられてある和室の椅子に腰掛けました。そこは彼の書斎でもあります。マホガニーで出来たライテイング・ビューロウが置かれています。魚に関する本が沢山積み上げられて、彼の趣味の世界がそこにも広がっています。滅多に吸わないタバコに火を付けて、大きく吸い込み煙を吐き出したとき電話が鳴りました。その電話は山岡哲からでした。『山岡です。おはよう』『哲じい、お早うございます。これから電話しようと思っていたところでした。』『いや、昨日はあんたが張り込んでいたんだろう』『そうです』『夕方ね、あんたが急ぎ足で出てきて坂を下って行くのを鶴さんが見たそうだよ』。

 『その件でお電話をしようと・・・』そう言ったあと昨日の出来事をかいつまんで話しました。『よし、緊急招集を掛けましょう。』と哲じいは気色ばんで言った。その日の午後、例によって『明石屋』にいつものメンバーが集まってきました。リチャード先生は大学の授業とかで欠席です。鶴さんが3丁目の交番へ電話を入れたのは、以前島田巡査から『皆さんお集まりになる時はお知らせください。』との依頼を受けていたからでした。島田巡査はすぐさま、香山部長へ。香山部長から、天宮婦警へ連絡が回ったのは11時半頃でした。

 天宮婦警はその頃、山麓保育園の園長室でその電話を受けていました。保育園を出る時、男が忘れて帰ったという黒縁のメガネを大切にハンカチに刳るんでバッグに収めました。お昼過ぎ『明石屋』には黄昏班の面々が集まっていました。今日の主役は上沼幸三氏こと沼ちゃんです。一つのテーブルを囲んで、鶴さんお手製のキツネウドンを食べながらの打合会が始まりました。その時、表に車が止まった音がして、天宮さんが入って来たではありませんか。みんな驚いています。会合のある時、彼女はそれも時間を計ったかのように現れるのであります。

 『こんにちはみなさん。ご一緒させて頂いて良いかしら?』『さあどうぞ、こちらえ』そう言って、哲じいが席をすすめます。『鶴さん、ウドンもういっちょう追加!』『はいよ〜』とカウンターの中から威勢の良い声が返ってきます。『沼ちゃん、ほな皆さんに説明してか』。ご指名に預かって沼ちゃんは食べかけのウドンを置いて話し出したのです。『昨日の事でした。ええ、私が張り込みの当番でした。あれはもう夕方の5時を過ぎた頃でした』。そう言ってある男の話を始めたのです。思い切ってその男の後を付けて行った事。下町の繁華街のある路地裏まで見え隠れしながら約半時間、いや正確には40分ほどだったか尾行をしたこと。しかし自分が見た男の風貌は、それまで聞かされていたのと全くと言って良いほど違っていた事実。それは、野球帽、髭面、黒縁メガネ、デイバッグ・マスコットなし。本当にこの男が我々が追っているターゲットなのだろうか?と、半信半疑の時間であったことなどでした。

 そんな事を考えていた時、その男が路地の奥に消えてしまい、残念ながら男の家を確認できていない事。彼は自分の日記帳を見ながら実際に見た事、感じた事を正確にみんなに説明したのです。『沼ちゃん有り難う、よくやってくれたね。』そう言ったのは周さんでした。彼も自分の足で、市役所にも出向き、山麓保育園までも訪ねただけにその苦労が判るというものでした。

 『さ〜てと、黄昏班の活動もええとこまで来てる感じやな。』と哲じいが呟いた。その時、天宮真智子さんが質問と言って小さく手を挙げました。『沼さんが見た人物と、それまで鶴さんや、保育園の男性の感じた風体とが違っているのは皆さんどう思われます?』これは質問と言うより、みんなの意見を聞いて可能性を探る、捜査の基本姿勢なのであります。一人や二人の見方では、事の真実やその隠された部分はなかなか見えて来ない。色んな人間の感性でマルチに物事を考える、これが『水平思考、垂直思考』即ち深掘り現状認識の手法なのです。

2 件のコメント:

  1. 途中から読見始めたわけですが、私の好きな推理小説だと思い、続きを期待しています。

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  2. 小川 洋帆 様

    こんにちは。ご愛読感謝申し上げます。お元気で、ではまた。

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