2011年2月5日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブ <標高22m>

今日から、10回連続でアップさせて頂きます『ヴィオロンとマグネット』。変なタイトルですが紫野慎次郎とドイツ人女性、ロジーナの青春の一ページを切り取りました。


戦争という時の流れに翻弄されながらも、彼らの青春と愛が哀しくも儚く燃えているのです。この小品は3年ほど前に以前のブログで発表したものです。(この物語はすべてフィクションです)



【ヴィオロンとマグネット (慎次郎とロジーナの青春より) 1】



紫野愛希の祖父慎次郎は、帝大を卒業後内務省に奉職した。出身地は、福島県会津である。武士の家系に育ち、厳格な教育を受け今では仲間から、「野武士慎次郎」と呼ばれていた。ある意味、融通の利かない頑固者であるということだ。

しかし彼の頭脳は、内務省創始以来五指に入ると言われているほどの秀才だった。大学時代、ある宮家に友人がいたこともあって外人との交わりも結構多かったのである。

この話は、昭和10年の秋の日まで逆戻らねばならない。その日慎次郎は、宮家の集まりに招待を受けていた。それはある国から留学に来ている王子のバースデーパーティへの誘いであった。

ゲストのほとんどは、学習院を卒業していた。東北帝国大学出は、紫野一人である。その時同じようにロジーナという女性もそのパーティに招かれていた。彼女はドイツ・キールの出身だと言った。

慎次郎が以前調査した艦船、アスコルドはドイツのクルップゲルマニア造船所で19003月に進水し、その後中国の旅巡に根拠地を置く露西亜太平洋艦隊に編入されていた。

そのクルップゲルマニア造船所のあるキール(Kiel)は、バルト海に面した、Das Dritte Reich(ダス・ドリッテ・ライヒ)第三帝国のドイツ北部の都市、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の州都であり、ドイツ有数の軍港である。

それが縁でその後何度か彼女と会う機会があった。慎次郎はドイツという国に興味をもっていた。その頃は日本と独逸は友好国であったのも彼の思い入れに輪をかけていたのである。

宮家で初めて出会ってからすでに半年が過ぎていた。ロジーナの父親は、海軍省の招きで日本の潜水艦造船技術のサポートをするために日本に滞在していた。そしてその年で3年の締約期間が終わろうとしていた。彼ら家族はそれが終了次第キールに帰ることになった。その頃慎次郎とロジーナは既に恋に落ちていたのである。
 



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