2011年12月2日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高212m>

「ぶどう園の労働者」のたとえ

マタイによる福音書、第201節~16

今日はマタイによる福音書、第201節~16節「ぶどう園の労働者」のたとえを学ぶ事にいたします。ここはイエスが語られた有名なたとえ話の一つです。イスラエルにはぶどう畑が沢山あります。その園で働く労働者のお話です。聖書の言葉を読みながら進めてまいりましょう。

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は一日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」1節~2

当時の労働者は1日いくらかの日銭の報酬で生活していました。ぶどう園の主人は、そこで働く労働者を確保するため一所懸命でした。そんな当時の収穫の頃のおはなしなのです。(1デナリオンというお金は、1日働いた農夫に対する賃金でした)

「また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、“あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう”と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、“なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか”と尋ねると、彼らは“だれも雇ってくれないのです”と言った。主人は彼らに“あなたたちもぶどう園に行きなさい”と言った」3節~7

ここでは、仕事につかず何もしないでブラブラしている人がいたのです。行って働きなさいといったが、まだ何もしない人がいるのです。主人は何をしているのだ、お前たちは働かないと食えないんだろうと言ったのです。

「夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、“労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい”と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、1デナリオンずつ受け取った。最初に雇れた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも1デナリオンずつであった」8節~10

ここでは、その主人が労働者が働いた賃金を彼らに払うところなのです。その賃金は皆に1デナリオンずつ、それも朝早くから来た者も、そうでない者にも1デナリオンだったのです。

何もしていないような人も同じだけ貰う、これは誰がみても不公平だ・・・と思うのであります。”五時から男”になぜ、同じ額を支払ったのか?

さてここでイエスは何を仰りたかったのでしょうか?私達はこのたとえ話を、どの立場に立って理解するのかなのです。

イエスのたとえ話は得てしてアッと思う内容なのです。まるでショック療法の要領なのであります。

明日はこの続きのアップです。今日私達の日常生活の中にもこのような事はしょっちゅう起こることなのです。でも聖書の語る真意には、私達の人生に対する大きな導きが隠されてあるのです。


ワインには連帯とか血盟とかの隠された思いがある
その赤さの由縁かも知れない   Imagined by Jun


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