2011年12月29日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高239m>

酒を愛した俳人、松尾芭蕉と宝井其角

さて前置きが長くなってしまいました。ここから今回のメインテーマ、「酒を愛した俳人、松尾芭蕉と宝井其角」のお話が始まるのです。


主人公、俳聖芭蕉はお酒は飲んだようですが、けっして酒豪ではありませんでした。酒も俳句をつくる素材の一つと考え自然体であったようです。その頃のお酒は「花に浮世酒白くして飯黒し」という濁酒(どぶろく)と玄米飯でした。

芭蕉の活躍していた元禄時代には、清酒は高級品で彼の収入ではとても手が届かなかったようです。ところがそのころの事でありました。ある裕福な町人のお弟子から、清酒の二升樽が贈られてきたのです。芭蕉は大喜びでこんな句を詠んでいます。

「月花もなくて酒のむひとりかな」といった調子で、この虎の子の清酒を、ちびりちびりと長い時間をかけて楽しんだそうです。そしてまたこのような句を作りました。
「飲みあけて花生けにせん二升樽」この空いた樽にまた新しい酒を詰めれば良い香りがするのですが、芭蕉にはそんな余裕とて無く、花生けにするという風流を句にのこすのです。

その頃の、芭蕉の弟子は酒のみが多く、中でも宝井其角(たからいきかく)は酒豪として知られておりました。彼の句に、「酒を妻つまを妾の花見かな」と、女房より酒を愛するほどの、手放しの酒大好き人間であったようで。
弟子を預かる芭蕉先生は、この大酒を心配され其角に節酒を促す手紙を書いたのでした。そしてその文末へ次の句をしたためます。

「朝顔に我は飯喰う男かな」と食らわしました。この意味は、わしはお前のように朝酒は飲まん・・・。この句意に其角は恐れ入ってしまったのです。その朝顔も終わる頃、ちょうど季節は仲秋の名月です。

その夜芭蕉は、其角らと大川を小舟で上下し月をめで、酒を酌んだがなかなか名句は出来ませんでした。家に帰ってもねむられぬまま庭でフト浮かんだのが次の句だったのです。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

さすが俳聖といわれた芭蕉、フト浮かんだ句が360有余年経た今日までも輝きをはなっているのです。やはり深酒をしていてはこうはいかないのでありますな。




(これはまさしく自省の弁であります)




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