2012年1月26日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ ・ 言葉のアーカイブス <標高267m>

連載小説【あり地獄】3

その日以来、宇野の心の中にはいつも黒い雲がかかった様な暗澹たる思いが支配していた。携帯が鳴っただけで体がびくっと反応する。夜、なかなか寝付けない。普段飲まない酒が、ここにきて知らない間に増えている。酒の力を借りて眠りに就こうとするのだが、妄想は留まるところを知らず次から次へと自分の将来の姿を映し出していく。

夜中に寝汗をびっしょりかいて、はっと目覚める日が多くなった。以前のように仕事に全力投入出来ない。加えて体がだるく重たい。いわゆる切れが無いのである。それもその筈、いつからか食欲がなくなった。この前同僚と職員食堂で昼食を取った時も、宇野はほとんど手を付けなかった。同僚はそんな彼を見て驚き、一度医者に診て貰う事を進めてくれた。

先日も風呂に入った時、自分の体を見て唖然とした。学生時代からスポーツで鍛えあげた自慢の筋肉質の体であったのが、その鏡の中に見たものはあばら骨が浮いた、げっそりと窶れた病的な別人のそれであった。

自分の中に何かが忍び寄っている事実を宇野は明確に感じたそのとき、目眩がして彼はマンションの床に崩れ落ちたのであった。何時間が経過したのだろうか。宇野はうっすらと目を開いた。カーテンの隙間から日の光が差し込んでいる。今日が何日で何曜日なのかすぐに理解出来なかった。それほど深く眠っていたのだ。

腕時計を何気なく見た時、彼は全身に冷水を浴びせられたかの様な衝撃を感じた。10月12日、木曜日。午後2時35分。この日はまさに彼が派を代表して市長に質問する極めて重要な市議会の日であった。

それは午前10時からであった。とっくにその時間は過ぎていた。当然市議会は彼が出勤して来ない事に蜂の巣を突いたような騒ぎになった事であろう。自分の携帯を引き寄せた。まんの悪い事に電池が切れている。同僚からの連絡が入る術もなかった。

誰かがこのマンションを訪ねてくれたのかも知れなかったが、宇野はその頃、意識不明であったはずだ。いずれにしてもこうしてはおれない。ただちに出勤して、対策を講じなければ彼の今後の議員生活はこれで終わりを告げるかも知れなかった。

市議会の開催当日に、質問者が無断欠勤するなんて事は前代未聞であった。今夜の夕刊には活字が踊るであろう。それを考えると宇野はどう対処して良いか分からなかった。完全にパニックに落ち込んでいった。

しかし気持ちは焦っても、体が動かなかった。なんとか起き上がろうとしてみたが睡魔が容赦なく彼を襲った。その後目覚めたのは夜中の2時過ぎであった。宇野は重い体を引きずるようにして地下の駐車場に降りていった。

車に乗り込んで、静かに前進した。後ろでフラッシュが焚かれたような気がしたが、そのままスピードをあげて高速道路のゲートをくぐった。どこに行くと言ったあては何もなかった。ただ朝がくるのが怖かった。自分の許容範囲を超えた何かがきっと起こるであろう。今はその恐怖心から逃れたい一心であった。

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