2013年10月2日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・懐かしのエッセイ <標高 756 m >

【わが思い出の人々】

阪急電車西宮北口駅の南側を歩いていたとき、一筋の川が流れていて、その両脇に今では珍しい柳の並木路がありました。川には大きな鯉や鮒が泳いでいて、もう初夏の雰囲気さえ漂っています。その柳の古木の一つに、沢山の蜜蜂が飛び回っているのです。不思議な事があるものだと蜜蜂の仕草を見ていました。そうするとやっと分かりました。500円玉位の穴が空いていて、そこにせっせと出入りしているのです。どうやらそこが蜂の巣なのですきっと中には『女王蜂』がいて、沢山の蜜が溜められている事でしょう。そのときふと、こんな事を思い出していました。


私が愛媛県新居浜市に在住していた頃、会社の現場に年齢は70歳の男性がいました。名前をYさんと言いました。この方はその後、私の渓流釣りの師匠になった方でした。若い頃から、四国の山は全て踏破した強者。それも山の奥深くへ、たった一人で入って行くと言うのです。まあ、危険きわまりない行動ではあります。彼はよくこう話していました。『山の中はな、奥に入れば入るほど霊気を感じるんや。なんかこう、背筋がぞ〜っとする事がある。夜など一人で火を焚いて過ごしていると、『地縛霊』と言うか、そんな何かが・・・うん、まわりに集まってくると言うのかな』。

なにしろ身が軽い、まるで野猿のような身のこなし方だった。岩から岩へ飛ぶように渡って行く。一つ間違えれば、滝つぼに嵌ってお陀仏だ、あの世行き。私などは怖々岩に乗るものだから、足が竦んでそこからの一歩が出ない。

岩だって、ぬるぬるしていて滑りやすいから何しろ怖いのである。そこへリュックを背負って、釣り竿を片手に持って上って行く。バランスも何もあったものではない。急流に足を取られる直前にもう次の岩に片足が架って前に進んでいる。

まるで軽業師である。その間好ポイントとみるや、背を屈めて竿を出す。そして美しい渓流の天女、『山女魚(やまめ)』を釣り上げて行く。音を立てず、影を落とさず、まるで忍者のようにである。そうだからと言って余裕がないのかというと、決してそうではない。

きっちり、春の山菜を摘んでいるし、『エビネ』などの蘭もなにがしか手にしている。ある時など、どこで採ってきたのか野生の『わさび』を持っていた。どこで手に入れたのか尋ねたが、笑いながら『ひ・み・つ』と言った。まるで子供の様な無邪気さであった。

そんな70歳の師匠に、取って置きの楽しみがあった。それは釣行の途中で自分が山中にセットしている、日本蜜蜂の蜜を集める『蜜箱』の存在でありました。全部で20か所ほど置いていたであろうか。よくまあ、あのような断崖の上にと思うような場所にそれらはあった。

『蜜箱』を失敬する泥棒がいるとの事で神経を使っているのだと話していた。年に何回か巡回をして、箱の掃除、修理など結構手間が掛かるらしい。でも秋には待ちに待った収穫の時を迎える。

最高純度の蜂蜜が一斗缶に4~5杯ほど採れるとのことだった。毎年私にそれをプレゼントしてくれた。それも大きなネスカフェの瓶に入れてだ。あのような美味しい蜂蜜は後にも先にも食べた事がなかった。Y氏の全身全霊を傾注して収穫した大自然の宝物であった。

その取って置きのY氏の楽しみも、あの忌まわしい20049月の新居浜大水害であっけなく終わりを告げた。なぜなら、洪水で山が完全に変わってしまったのだ。地滑り、土石流災害、土砂崩れ、倒木、流木、橋の消失などで山に入る術が無くなったからである。

そして生態豊かな渓流の多くが、岩石と砂で埋まってしまった。魚が棲める沢がなくなった。また元のような静かな山に戻るのには半世紀はかかるであろう。人が入らなくなった山は殊の外早く荒れてしまう。

今、眼を閉じれば岩から岩へ飛び移って行く師匠の溌剌とした姿が思い出される。彼は今、何をしているのだろうか。囲炉裏の傍で、行く当てのない釣行を夢見て竿を磨いているのだろうか? 『Oちゃん、今週の土曜日、山入らん?』『よっしゃ、その前にストレッチして体鍛えとくわ』こんな会話をもう二度と交わすことが出来ないのが悲しい。

4 件のコメント:

  1. 歳をとるとだんだん昔のことを思い出したくなりますね。
    親もそうだったな~~~としみじみ思います。
    我が人生の師と仰げる人がいることは幸せなことですね。
    私にはまだそのような人との出会いはありません。しいて言えばやはり私の師は「母」ですね。

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  2. 珍しい方もおられるのですね。深い山に一人で野宿するのは余程慣れて胆力が無いと出来ませんね。山で仙人のように振る舞える方は相当の経験を積んだ方だと思います。すごい人がおられるのですね。それも自然の災害とともに終焉するというのも大自然の一員として生きる人間の運命なのでしょう。自然が未だに残る妙高にでも居を移されてまた自然と共に活動していただきたいですね。

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  3. ごん魔女 様

    こんにちは。お元気でしょうか? 確かに昭和の日々を思い出す事が多いです。今よりも生活のリズムもゆっくりと、愛に包まれていたような気がします。あなたは師と仰がれているお立場では。ではまた。

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  4. 小川 洋帆 様

    こんにちは。そのYさんは、技術者(溶接)でした。大きな屋敷に住んでおられ、お庭では「白ダルマメダカ」を沢山飼っておられました。当時の価格で1匹、5,000円〜10,000円もするのです。それを売ろうともせず、沢山増やして楽しんでいたのには驚きましたね。一人で山に入って行くのが好きで、仲間を誘っての渓流釣りは、もっぱらボクがそのお相手でした。

    でも今から思うと、よくあんな危険な場所に行ったものだと思います。雪解け水の中に、滑り落ちたら一巻の終わりだったのです。どうやらお酒をあおって歩いていた記憶があります。ではまた。

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