2011年10月15日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高164m>



【クリスマスの意義(中)】

マタイによる福音書、第二章一節~



ここにはクリスマスの前後のことが記されています。東方から来た占星術の学者達が登場します。かつては3人の博士達となっていましたが、ここでは占星術をなす3人の学者です。

本当は3人という人数もハッキリとはしていません。また博士達についても色々と説があるようです。白人、黒人、黄色の人種が各1名ずつとか、老人や青年であったとも言われているのです。いずれにしても出発した場所は、「サバ」でありました。聖書を紐解きながら進めてまいりましょう。

マタイによる福音書 第2章、占星術の学者たちが訪れる

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」1節~2

さきほども書きましたが、3人の学者が幼子イエスを拝んだとき、それぞれがそのキリストを自分自身の世代の人の様に見えたらしいのです。それは幼子であったり、青年そして老人となって、自分の眼に映ったのです。それは、キリストが自分を受け止める、みんなの救い主であったという意味なのでしょうか・・・。

この占星術の学者たち(マギ)とは、星占いをして自分の生計を立てていた人々でありました。その当時の町のよろず相談所を開く「知恵者」であったのです。その学者たちは、東方(バビロン、ペルシャ)からやってきたのではないでしょうか。いずれにせよ遠い国から遙々と歩いて、時にはロバに跨ってやって来たのです。その旅路は何ヶ月も、いや何年もかかったに違いないのです。

彼らの旅路は、人生そのものに喩えられます。旅というのは目的が決まっていて、ルートや計画がハッキリとしているでしょう。ところが占星術の学者たちの旅路は、不思議なことにユダヤ人の王(イエス)がどこにいるか判らなかったのです。それはまるで私たちの人生になぞらえているようでもあります。

生まれるということはそういうことかも知れません。気がついたら、生まれていて、人生の旅路に歩かされているのです。その旅はどこまで続くのかさえ判らない。思いもよらないうちに始まりそして・・・ある日突然終わる。

同様にこの学者たちもそうだったのです。旅の途中でいろんな人たちに出逢います。そして話し合ったようです。『あなた方はユダヤ人なのですか?どこに居られるのですか?』『さあ~?』と言わざるを得なかったのです。

人生は灯りのない長い旅路を歩き続けるようなものだと仏教でも説きますが、一つの「星」が学者たちを導いていくのです。私たちにも「星」があります。それが私たちを導いてくれるのです。人生の旅路においても、その導きがなければ進んで行けないのではないでしょうか。マタイのこの文章は、そんな不思議な、また大切なことが記されているのだと思いますよ。



われに来よと主は今 優しく宣り給う Imagined by Jun




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