2013年8月8日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 699 m >



【花一輪 恋の笹舟(二)】

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子」

何事も無かったかのように、また歩き出す。いつもの事であるが、托鉢最初の出会いは、ここ木の橋の傍、おスミ婆さんから始まるのである。必ずそうであった。という事は、おスミ婆さんは毎日この畑で仕事をしているのであろう。

集落の東の方から、牛車(ぎっしゃ)を追い立てながら佐奈助が歩いてくるのに出会う。もう七十を超えているだろう。順心に軽く会釈をして擦れ違う。いつもの事ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。ある人の話によると、佐奈助は耶蘇を信じているとの噂であった。

順心は、人間が生きていく為の心の支えになるのなら、それがたとえ御仏でなくても良いと思っている。この日本の国は、神道あり仏教あり、そしてキリスト教など様々の宗派が存在している。自分がこうだと信じた教えに、おのが人生を託してみるのも面白いものだと感じてもいた。

ここから先の切り通しを越えると、紅葉谷に寂夢庵(じゃくむあん)がある。この辺りではたった一つの尼寺である。春禰尼(しゅんでいに)が庵(いおり)を結んでいる事は以前から知ってはいた。だが今まで一度もその尼の顔を見たことはなかった。ほとんど庵より外に出ることがないらしい。いましもその枝折戸(しおりど)の前を通り過ぎようとしたときであった。

としの頃なら、五十前後と思われる女人(にょにん)の姿が見えた。質素な着物を纏(まと)った痩せた感じの女性だった。それが春禰尼かどうかは定かではないが、まず剃髪していたから間違いはなかろう。順心は立ち止まって軽く会釈をして通り過ぎようとした。女人も順心に腰を折って応えた。その襟足がなんとも白く、痛々しかった。

順心は逃げるようにしてその場を離れた。女性とそのような形で挨拶を交わしたことは今までにそう多くはなかったからである。近くの藪の中で、雉(キジ)が一声、ケ〜ンと鳴いた。


2 件のコメント:

  1.  僧尼というと私の家の町内に80坪ほどの敷地に寺建って僧尼が住み始めました。寺は浄土真宗本願寺派と頭書きがあって寺の名前が看板に書いてあります。もう10年近くになりますがその間僧尼の後姿を1回だけ見かけただけであとはひっそりと扉が閉ざされた中に住んでおられます。お顔も拝見したことは無いのです。軽自動車が1台おいてありおそらく買い物などの外出に使っておられるのでしょう。住宅地の家並みの中にある80坪という庶民の住宅並みの狭い敷地で普通の住宅のような、あまり寺らしくない風景ですが、お葬式も法事も開かれた様子はありません。不思議な気になるお寺と僧尼です。何か不思議な物語でもあるような佇まいです。

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  2. 小川 洋帆 様

    こんにちは。なんだか不思議な尼寺ですね。お立場上、ご近所の付き合いもほとんど無いのでしょうね。ボクの知っています「修道院」は完全に一般の方々のお住まいと隔絶されていまして、院内で畑もパン工場もあり、ある程度自給自足の生活をなさっておいでです。

    俗世間の風にまみえますと、修行の妨げになるのはわかります。以前個人的にお訪ねして、お話を承ったことがありました。壁を隔てて、覗き窓のような空間でお顔を拝見しつつのインタビューでした。とっても美しいシスターだったと記憶しています。

    コメント感謝致します。

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