2012年2月15日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ ・言葉のアーカイブス <標高287m>

連載小説 【あり地獄】11

賽は投げられた、とか、覆水盆に返らずとか言ってその行為を容認しつつ軌道修正するしかない。今となっては、戻るに戻れない宇野の心は千路に乱れていた。


一歩、一歩確かめるように歩いて行く。なだらかな草原がどこまでも続いている。そこは『迷ヶ平高原』と呼ばれ、急な登り坂の上に拡がる広大な高原である。宇野が今歩いているこの季節は都会では秋本番であるが、ここ高原ではもう初冬の景色であり、風の流れも冷たく寒い。

人の姿は見えない。どこからともなく霧が湧き上がって来て、急に視界を遮ってしまう。所々に大きな木が立っている。それが唯一の目印になってくれる。細い道が曲がりながら続いている。冷たい霧の粒子が頬を濡らして谷の方に流れて落ち込んでいく。宇野はその時軽い目眩のような感覚に襲われた。

体がいつもとちがって軽く感じる。歩いていく足がフワフワと少し浮いたような、まるで月面を歩く宇宙飛行士のような感じなのである。彼はそのまま『迷ヶ平』の草原の中に呑み込まれるように倒れ込んだ。

頭上を虹色に輝く雲が流れていく。どこからか龍笛の音が聞こえてくる。遠くの方から自分を呼ぶ声が・・・・。母の優しい笑顔が顕れては消えていく。ここは一体どこなんだろう。大きな岩が見えている。誰だか分からないがその大岩の上で手を振っている老人のような姿が見える。

長い杖のような物を天空にかざして、まるで祈っているようだ。朦朧とした意識の中で、宇野はあの岩の上の老人が『カタカムナ人』ではないかと思った。霧が晴れたとき岩の上にはもう誰もいなかった。

体全体が、快いしびれたような感覚に苛まれている。魂の奥底からの陶酔感がエクスタシーとなって波状的に宇野にまとわり着いてくる。その感覚が高い空に駆け上っていくと、しばらくするとスーッとまた落ち込んでいく。その瞬間彼は今まで経験した事のない『絶頂感』に襲われて意識を失った。

誰かが歩いて近づいてくるようだ。遠くの背の高い草の中を見え隠れしながらその姿は確実に宇野の方に迫って来ている。その時意識が戻ってきた。しかし体の中には、まださっきの陶酔感が残って痺れているのだ。

彼は下半身の濡れた様な感覚に気づいて愕然とした。なんと彼は『夢精』をしていたのである。あの陶酔感と絶頂感はまさに性的エクスタシーそのものであった。何故だ!疲れ切った体をこの広大な『迷ヶ平高原』に横たえた時、彼の体は得も言われぬ『大自然』との交合を余儀なくされたのかも知れなかった。この大地と自分とが一体になった事を無意識のうちに潜在意識の中に刷り込んでいた。

彼はすぐさま、汚れた『夢精』の処理をした。宇野は自分の中にまだ『性愛』への機能が保持されていた事に気づいていた。それは「迷ヶ平」の大地が与えてくれた『男性機能』への回復であったのかも知れなかった。

近づいてくる者は誰だろう。男か女か?それは、草原の中にまだはっきりとは見えていない。しかし確実に一歩一歩その距離は狭まっている。宇野は無意識のうちにゴルフクラブを握りしめている。まるで獣が狩りをするときのように草に隠れて身を伏せた。

その時でもまだ体の中をあの時の快感が薄れながらも駆け回っていた。なにか不思議な力の漲りが、彼の全身に注入された様に思えた。

一陣の風が霧を払い去ったとき彼の前に一つの影が射した。宇野は草原の中で体を硬直させぐっと奥歯をくいしばった。

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