2012年2月25日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ ・言葉のアーカイブス <標高296m>

連載小説 【あり地獄】最終会

宇野と祇乃は朝から車を西に向かって走らせている。車は早くも福島県を過ぎ、新潟県に入っていた。朝から走りづめである。今日は新潟で一泊をして明日の朝早く出立すれば、松山にはその日の内に着くだろう。今日の泊まりは、信越国境の妙高高原辺りにしようと考えていた。


妙高高原ICを出たのは、夕方5時頃であった。祇乃は昔、一度だけスキーに来たことがあると言った。宇野も大学時代、友人と冬休みには志賀高原や赤倉を訪ねていた。そんな関係で少しは土地勘があったのである。

というよりも今でも時候の挨拶を取り交わしている、ペンションのマスターがいた。今夜はそこでやっかいになろうと決めていたのである。祇乃も子供のように明るく喜んでくれた。予め連絡をしておいた、妙高山麓のいもり池畔に建つ瀟洒なペンションへ着いた。プチペンション『エーデルワイス』は60過ぎのマスターと奥さんの二人で経営している。森の中の静かなペンションである。まだスキーシーズンには早いためだろうか客は宇野達だけであった。ペンションのオーナーは二人を見て、特に何も聞かなかった。あくまで夫婦の扱いをしてくれたようだ。部屋も妙高山が見える一番良い所を用意してくれていた。

宇野達が声を掛けるまで、何も聞かず、部屋を訪ねることもなかった。隠れ旅の二人にとって、それがなによりの持てなしであった。静かに暮れていく妙高山の景色のなかで、信二と祇乃は初めて口づけを交わした。

まるで何も知らない、青年同士のようなぎこちなさであった。明日から実生活へスタートする前夜、二人はマスター夫妻の心づくしの夕食を心底楽しんだ。誰が見ても型の良い夫婦であった。マスターも後で、『あの時はまだ夫婦じゃなかったの?』と驚いたほどであった。


宇野信二は、祇乃の母親に会って事の全てを話し了解を得られるまでは祇乃の奥には踏み込まない決意であった。それがせめてもの彼の祇乃に対する愛の証であると思った。祇乃の安らかな寝息と、暖かい体の温もりとを感じながらその夜は満ち足りた深い眠りに落ちて行った。

備讃瀬戸大橋を一気に渡って、四国に入った。坂出を通り、車は高松道より松山道に入って行く。広々と拡がる田園風景の故郷へは、祇乃にとって高校を卒業して以来三度目の帰省であった。

宇野信二にとってもこの四国は若い頃、市会議員の選挙に打って出ると決めた時、心の修行の為に歩き遍路を体験していた。懐かしい風景が現れては消えていく。もう僅かで松山に着くのである。

祇乃は途中のパーキングエリアから母親にもうすぐ着くと連絡を入れた。母の喜ぶ顔が浮かぶようだと言った。

宇野の車は、田舎道を走って広い庭を持つ旧家に入って行く。畑の中で仕事をしている年老いた女性がいた。それが祇乃の母親であった。車から降りた彼女は転げそうになりながら、母の元に駆け寄っていった。その姿は母の懐の中に飛び込んで行く、祇乃の、遥かに遠く長い人生の旅路の「おきどころ」でもあった。

『かあちゃ〜ん』。そう言ったきり二人はただ抱き合って泣いていた。宇野はこの景色と風土の中にいずれ自分の働く姿を思い描いて山の端に目をみやった。畑の向こうには、一面のコスモスが風に揺れている。

気が付くと、祇乃の母が被りを取って宇野に深く礼をした。真っ黒い顔に汗の玉と涙の筋が光っていた。 


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

『あとがき』

この『あり地獄』は、人間が、と言うより自分自身が心の中で知らず知らずの内に創りだしていく妄想や、思い煩い、恐怖心、不安感などが、現実世界に具体的な形となって現れてくること。これを仏教では「三界は唯心の所現」という言葉で表している。全ては己の心のなせる業なのである。病気に対する思いこみや、取り越し苦労、恐怖心などが、日々の生活を如何に制約し暗黒化していくかを別の次元で同時進行サスペンスの形で顕してみた。


さすれば日々明るい心で、「日時計主義」で生きて行くことの大切さを感じるのである。

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