2012年9月6日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 442m>


日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 10 


【静かな奥伊豆温泉】              棟方銀嶺

天城を越えて最初の温泉場は湯ヶ野温泉である。温泉場は河津川の流れに臨んで建てられ、重疊(ちょうじょう)たる天城の山群を望むことが出來る。

階段をなした畠が綺麗に耕されてあったり、名も知れぬ草の實が赤々と冬の陽ざしを受けてゐたり、總てのものが田舎の温泉場といったたたずまひである。


贅澤を言って寢ころんで暮らす温泉場とは一寸趣が違って寧ろ、米、味噌持參で七輪の火でも起すーーといった温泉場に相應しい靜かなところだ。それに、天城を越えただけで何となく南國らしい暖かさが漂うてゐて、長閑な山の湯といった感じがシミジミと味へるところだった。

前を流るる河津川では、夏には鮎がとれて、それが食膳に上ることもあるちいふことだった。靜に本でも讀んで暮らす温泉、退屈したら晝寢でもして日を送るには又とない靜な温泉のやうに思へた。

湯ヶ野温泉を後に、途を右に取って、俎峠(まないたとうげ)のトンネルを過ぎると稲生澤川の畔に出る。橋を渡れば河内温泉であった。下田から十八九町、自動車で二十分程の處にある温泉で湯は無色透明の藍類泉で、神經衰弱、貧血症などに良いといはれている。

前に田圃を控えた温泉場で、下田富士、武山等を眺めることが出来たが、景勝に恵まれた温泉といふでもなく、同じ田圃に面してゐる温泉でも蓮臺寺の方に私は、より魅力を感じたのだった。附近には、近年劇に映畫にその一生を織り込まれた彼の主人公であるお吉が、言はば國際的政策の犠牲(いけにえ)となって身を投げたといふお吉ヶ淵があり行人の脚を止めてゐるのが眺められたりした。

ここは晝夜の氣温の差が極めて低いので避寒向の温泉としては相當常連を有ってゐるといふことである。
晝食を金谷で喫った私は蓮臺寺へ向かった。

☆ ★ ☆

<庵主よりのひとこと>

私どもの好きな言葉に『湯治場(とうじば)』というのがあります。山深い静かな温泉場、それも豪華なホテルや旅館が並ぶというような景色はありません。昔ながらの木造の温泉宿、湯治客は1ヶ月以上滞在し、その間の食事は主として自炊、数人の知り合いと生活をともにする事もしばしば。そして朝・昼・夜と治療に適した入浴を是としています。

野菜をしっかりと食べ、清浄な山からの水を飲み、楽しい語らい、助け合い・いたわり合いの日常生活。心身ともに癒すという合理的な治療法でしょう。一度は体験してみたいものです。 (庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます

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