2011年11月28日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・リーフノベルス <標高208m>

【ひかりと影のバラード】



『北窓さん、お久しぶりね。お仕事忙しいのね』ギャラリー「マロニエ」の女主人、小笠原文絵(おがさわらふみえ)は読みかけの陶芸誌を閉じて彼を見た。それはまるで姉が弟を見るような慈愛深い眼差しであった。

『文絵さん、それほどでもないよ。それより秋のコンペテイションの準備に手間取っちゃって』『ちょっと待ってね、まあそこにでも掛けてて。今コーヒー入れるから』そう言って文絵は、小さな暖簾の入り口から奥に消えた。

彼女は主に、現代作家それも若い新人の作品で店の空間を埋めている数少ないギャラリーの主人である。北窓の作品も何点か並んでいるが、未だ売れてはいない。でもそんな事は一言も言わないのである。この「マロニエ」が新人陶芸家達の励みになれば良いくらいに考えているらしい。

しばらくしてブルーマウンテンの香りが文絵を連れて戻って来た。岳志は椅子に座り直して文絵を見た。優しい目が笑っている。コーヒーを飲みながら作品の事を話し合った。文絵がぽつっと口にした一言が北窓岳志を戸惑わせた。

『岳志さん、あなた結婚しないの』『ええっ! 結婚ですか?さあ、考えた事もないですよ』『そお〜、でも結婚すると良い面で手が上がるって言うわよ』『そんなものですか?』北窓は文絵の顔をそっと見た。彼女の端正な顔立ちの中には、み仏のような慈愛深さが満ちあふれていた。どこからともなく、“白檀(びゃくだん)”の香りが漂ってきた。その香りが後になって、自分の人生を変えようとは今は知る由もなかった。

北窓岳志は鴨川に舞い遊んでいた白鷺をモチーフに創作に打ち込んでいた。白鷺をテーマにした焼き物には、かつて長崎の諫早で見た「現川焼」で、そこには白鷺が絶妙の刷毛使いで舞っていたのを見て感動した事があった。そしてあの夢を見た夜を境に、白鷺を土の上に置いてみたいと思うようになった。今回の新人陶芸コンペテイションに自分の今までの全てを出し尽くさねばならないとさえ思った。今回の作品は酒器とする事に決めた。

大きめの徳利、少し背の高い猪口、それに酒の肴用の細長の菜皿、と決めた。秋の夜長、静かに杯を傾ける悦び。そこに集う男と女の睦み合う色模様。それを白鷺で顕してみたかったのである。

京都の町が紅葉に染まる季節になった。北窓岳志はコンペテイションの出品を済ませ、久しぶりに四条河原町の裏通りにあるギャラリー「マロニエ」に続く木の階段を上った。女主人、小笠原文絵に今回の報告をするのが目的であった。

扉に『暫くの間、休ませて頂きます。主人』と書かれた一枚の紙がピンで止めてあった。文絵さんに何かあったのだろうか?彼の心の中に一抹の寂しさと愛しさが流れた。


神 佛 衆生 三無差別 ( 伏尾街道 久安寺)By Jun

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