2013年4月8日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ジャズパブ維摩 35 <標高587m>



さて庵主様ご一行は今どこにおられるのだろうか。気仙沼には1016日のうちに着いておられました。新谷誠(まこっちゃん)は南気仙沼で車を降りて彼の友人の経営する海産物卸の会社を訪ねて行きました。18日に再び合流する事になったのです。

庵主様、暁子さん、運転手の源さんの三人はとりあえず今宵の宿、気仙沼第一ホテルに車を入れました。気仙沼港が一望できるまだ新しいホテルであります。

あきちゃんが今回の旅の段取りを全てやってくれたのです。ホテルの予約から、美味い物の探訪まで全てです。

運転手の源さんはいびきが大きいとかで一人部屋。庵主様とあきちゃんがなんと一緒の部屋での滞在です。『あきちゃん、私と同部屋?・・・』と聞いた庵主様に、あきちゃんは『お世話させて頂きますわ』とあっけらかんとした表情。まあ庵主様を男として認めていないのでしょう。まさに『お父さん』感覚であります。

とっぷりと日が暮れて、秋色濃い気仙沼港には夜の漁に出て行く漁船の灯が美しい。あきちゃんが、お茶を入れてくれる。長旅のため少し疲れていたが、日本茶の香りと味で生き返った思いだ。『庵主様、車お疲れになりませんでした?』『私にはちょっときつかったよ』。あきちゃんがそっと後ろに回って優しく肩を揉んでくれる。首の辺りの凝りが軽くなっていく。彼女の優しい心づかいが庵主様に昔のある事を思い出させていました。

それはもう30年以上も前の事であった。ある仕事の取材に東北を歩いていた。宮城県の気仙沼に入ったのはもう冬が近づいていた。11月の初旬だった。庵主様もまだ40才の新進気鋭の脚本家として関西で頭角を現しつつあった。

その取材のために彼は何日も気仙沼の町を歩いた。化粧坂の近くに「観音寺」がある。境内全体が燃えるような紅葉でおおわれ、数多いお堂を染めあげている。彼は山の西側の道を辿る。そして薬医門の仁王門をくぐり、石段を登るとそこには本堂、右側に庫裏がある。

この寺は延暦寺の末寺で、延暦寺根本中堂の法灯を受け継いでいる。このような寺は東北地方では、立石寺、中尊寺とこの観音寺の三カ所しかなく、これらを『東北三灯』と呼ぶ。その境内の欅の下に『その女性』は座っていた。境内には冷たい風が吹き抜ける夕方の事でした。

『こんにちは』と通りすがりに声を掛けた。残照の中でその女性は微かに笑った感じがした。一周りをしてまた元の場所に戻って来たが、彼女はまだそのまま座っていた。何も言わずに立ち去りがたい気持ちがしたので、もう一度声を掛けてみた。

『冷えてきますよ。大丈夫ですか?』『ご親切に、有り難うございます』。そう言いながら顔を上げた。亡くなった母の若い頃の面影にどことなく似ていた。油っ気のない髪の毛が潮風に解(ほつ)れて、妙に不憫な気がして、その女性に引かれていく若き庵主様でありました。

『庵主様、庵主様ってば!眠っておられるのですか?』そう言いながら、あきちゃんが肩を揺すった。『う〜ん、すまん。少し夢を見ていたようだ』『そう言えば、難しそうな顔をしておられました』。あきちゃんがそっと熱いお茶を進める。

30年前の気仙沼の記憶が戻った時、目の前にいる暁子にその女性が重なって、年甲斐もなく胸の高まりを感じた。この秋、暁子と浜裕次郎との仲人をする自分に気付き、頭を強く振って妄想を振りはらった。もう外では、雨が霙(みぞれ)に変わっていた。

気仙沼での第一夜、このままではどうも治まらないような予感がします。暁子と庵主様は一体どうなるのでしょうか?


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