2011年9月7日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高125m>

時刻表 JR全線版を使って旅に出よう!

【庵主の草枕・夢旅日記(二)】

駅の旅行案内所で問うてみました。『敦賀に行きたいのですが、雪はどうですかね』『ちょっと待ってくださいよ。敦賀ね・・・、どうやら雪は無いようですよ』『有り難う』今年はそう積もるほど降っていないようです。これなら私の足でもなんとかなりそうだ。と言うのも最近ちょっと足が弱ってきて、とても雪道などを長時間歩くことは難しいのです。

大阪駅、朝7:47 湖西線回り北陸方面行きの快速電車に乗ります。京都を出ると、滋賀県琵琶湖の西岸を湖に添うようにして走ります。大石内蔵助の隠れ住まいのあった山科、比叡山の登り口比叡山坂本、まあ一度ここで降りて比叡山鉄道(比叡山坂本ケーブル)にてケーブル延暦寺駅(有形文化財)から根本中堂を訪ねるのも良いのですが、今日は車中に身を任せる事にしました。

早速マホービンを取り出します。中味は旅には欠かす事の出来ない日本酒の熱燗がはいっています。銘柄は大阪池田の銘酒『呉春』(ごしゅん)なのです。この逸品については拙文『ジャズパブ維摩第10話』に詳しいので、興味のおありの方はそちらでどうぞ、と言うところでこの駅に停車しました。いま朝の8:37であります。

こう書いている私はまことに日本のJRの時刻に対する正確さに驚くと同時に、日本人の感性に感謝せずにはおれないのです。やはり日本人のDNAには、『几帳面』『正確』という遺伝子が組み込まれているのでありましょうか。

一つ前の『唐崎』にはこの列車は止まらない。とは言えこの唐崎は、『近江八景』の一つであり、唐崎神社から琵琶湖の水平線に昇ってくる初日の出は、殊の外美しいビューポイントであります。

『呉春』の酒精が早くも私の五臓六腑に染み込んできたようです。朝から呑む酒は、電車の適度の揺れ具合と暖房とで一層まわると言うもの。

しばらくして雄琴をすぎ、堅田に電車は滑り込みます。やはりこの辺りまで来ると風の冷たさが違ってきます。空気が凛として頬を撫で一瞬ブルッと震えが来ました。堅田の街も初夏の頃にはゆっくりと訪ねて見たいところであります。

「堅田衆」、この呼び名は所謂海賊、いやこの地方では『湖賊』と言うのが正しいのでしょう。彼らは湖上の水上交通と漁業や湖上運送される物品の権益を把持するため、今で言う、縄張りの仕切屋的存在であったのです。堅田衆は本願寺門徒でありました。今もこの辺りはその名残で、信仰心の篤い人々が殊の外多いのです。

さて堅田を出た電車は、ほろ酔い気分の私を乗せて一路湖西路を走ります。途中「志賀」なる駅を通過します。ここへはもう7年ほど前になるでしょうか、一度初夏に訪れた事を思い出しました。手元にある志賀観光協会のパンフレットによると、「西に比良山、東は琵琶湖に囲まれた北16km,東西約7km.の細長い町である」と説明してあります。

白砂青松の緑と水に囲まれた自然の息吹あふれる町でありました。土地の物産を何よりの楽しみにしている私は、早速町の土産物屋を訪ねました。何がなくても琵琶湖は鮎料理。小鮎の飴炊き、鮎の塩焼き、鮎飯、鮎の天ぷら、鮎ずし、鮎の佃煮なと挙げればきりがありません。

私は、小鮎の飴炊きを求めました。『お婆さん、これ下さい』『ハイハイ、どれほど入れましょうかいね』『これ量り売りですか?』『そうじゃ、いくらからでもええんぞ』『じゃ、200グラムほど。いいですか?』『ありがとよ。とれとれの小鮎をさっき炊いたとこじゃ。こりゃ美味いぞな』そんなやり取りをしながら、小鮎の飴炊きを買いました。

まだほんのりと温かい小鮎の飴炊きを、薄い木で出来た小さな舟に入れて持たせてくれます。このあたりが都会とは違った、琵琶湖の風景に溶け込んだ優しさが息づいているのでしょう。近くの神社の境内に腰掛けて、芋焼酎を湧き出る霊水で割って胃の腑に流し込んだのです。小鮎の飴炊きの味は、7年も前の事だったのですが、今でもこの舌の上に昨日の事の様に甦ってくるのです。いやはや酒のお噂でまことに、すびませんねえ。




Imagined by Jun

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